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起業


「会社創ろうよ」
15歳の頃、当時付き合ってた彼氏に話します。
彼は冗談半分で話を聴いていましたが、
私はその頃から自分で何かしたいという思いを持っていました。

かっこいいじゃん!と思っていたのには理由があって、
父親方のおじいちゃんおばあちゃんは、夫婦でカメラ屋さんを営んでおりました。
その二人の姿はとっても素敵で憧れました。

おじいちゃんは、私にはとっても優しく、怒る事なんて一度もなかったけど、警察官をやっていて厳しい目をもっていて、今思うと細かい人だったと思います。
細かいというと言い方が悪いかもしれませんが、よく気づく繊細な人という言い方が適当かもしれません。

おばあちゃんは看護師をやっていて、外交的でいろんな人と交流があり、習字の先生でもありました。
そんな多彩なおばあちゃんは、内助の功でおじいちゃんを支えており、素敵な女性でした。

おじいちゃんとおばあちゃんは、どちらも違った才能があり、非常に良いバランスのとれた夫婦だったと想っています。
そんなふたりにどこかで憧れを抱いていました。



でも
じゃあ何を?
どうやって?
お金は?
私は言い訳ばかり。


できる能力がないから
お金がないから
そうやって逃げていました。

ずーっとそうやって生きてきた私に転機が訪れます。
転機というくらい明るいものではありません。

死ぬか生きるか
やらねば死ぬだけ
そのくらい私の中では苦しいと思う体験をしたことにより、
やるしかない状況が転機となり、
起業することになります。

起業するに伴い、様々なことが起こります。


まず、
会社の役員だった私は、誓約書に署名捺印をしており、千葉市中央区での起業をすることができず、
というより、訴訟のリスクが高く、弁護士さんと相談のもと初めは別の代表者をたてて起業することになりました。


登記するまでの期間、
訪問介護の実働150hをこなしつつ、
法務局・公証役場・テナント・銀行・役所への許認可取得などを行いますが、
特に
登記する住所を使うテナント
登記するときに必要な銀行口座
この部分に着手するのが遅かったため、他の部分に影響がでました。

困難な状況下でも、
「頑張ってる若者は応援したい」
そう言ってくれる代表者がおり、状況をすべて話し、いずれ代表者を変更することや私が代表者であることをお話し、お互いに納得の上スタートしたこの人とならうまくいくと思っていました。


結果的には、法務局の手続きが終わり、代表者に正式になった頃、関係が悪化することになります。


思い返してみれば罵声や暴言はないものの、モラハラと捉えられるような発言や行動があったことは事実で、どういうことかというと、
公証役場に定款を提出しなくてはならないとき、
「定款なんてどうやって作りますか?」と代表者に聴くと、
「インターネットはご存じですか?」と言われ、
何がなんだかわからないまま作業を進め、確認を求めると、
文字の大きさ・隙間のスペースを添削
そして「俺はこういう調べれば記載があることを人に聴いたことなんてないけど。人の時間をないがしろにしてるし、これじゃ居ても意味がない」と言われることもあった。
テナントの手続きが遅いと、何度も何度も確認し、
私から確認してると伝えても話を聞かず直接仲介会社へ怒鳴って連絡をしたり、
仲間も含めてZoomミーティングをしている最中は仲良しなのに、仲間が抜けて二人になった瞬間、「なんなのあの態度」と影で威圧してきたり、
同じ仕事でも今日と明日では全く指示が変わっていたり、いろんなことがありました。
でも、
代表者の印鑑・免許証の写しが銀行・法務局・公証役場など手続きにおいて必要で、代表者になってくださる方は、私のすべてを信用し印鑑などすべて預けてくださった。
私はそういった行動がうれしかったし心から信頼していました。
最終的に不安は完全に不信感に繋がり、顧問弁護士さんも介入のもと、代表者と私、3者で話し合いをすることになり、顧問弁護士さんからいくつか質問しながら話をする中、会話にならない、つまり質問に対する回答ではなく言いたいことをお話される代表者に、顧問弁護士さんは強めの口調で代表者と話をしていました。
代表者は、糸が切れたかのように形相を変え今まで見たこともない凍るくらい冷たい表情で
「私の会社なので文句を言われる筋合いはない」と言い放ちました。
私は顧問弁護士さんの強めの口調と、
糸が切れたかのように形相を変えた代表者に驚きと悲しさが入り混じった感情でいっぱいになりました。
すべての資金は私が出していましたが、
登記・定款上の株主、代表取締役は、代表者の名前でした。
なので、実質的には私が代表者ではありましたが、
彼は自分が代表者だと話を変えてしまいました。


できるなら代表者と一緒にやっていきたい。


でも、もう無理だった。


それくらい代表者との関係性のストレスがあったこと
また、代表者との関係性により、周囲に不安を与えていること
2つのことから、顧問弁護士さんと相談のもと、強行突破することに決めます。


仲間にも決定したことを話し協力を求め、悲しさを押し殺し手続きを進めました。
ちょうどその頃、DJ社長(レペゼン)が同じように会社乗っ取り被害に合っている時期で、こんなことあるの?が私自身の身に起きて、驚き、非常に怖かった。



そんなことがありつつも、
代表者の変更を行い2021年9月
無事に代表取締役に就任したというのが、起業をした中で経験したことです。




こんなことがありましたが、
相談できる仲間がいて
一緒にいてくれたこと。




それが私の誇りです!











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