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【エッセイ】ゆっくり介護(17)

ゆっくり介護(17)<介護が快護に>
『介護は親が命懸けでしてくれる最後の子育て』
*この言葉は「ぼけますからよろしくお願いします」(著:信友直子)より引用


母は鈴木のお婆ちゃんとの会話を今日も楽しんでいる。二人とも耳が遠く、声が大きい。

彼岸が過ぎても例年にない暖かさ。応接間は網戸のまま。庭にいても二人の会話は聞こえてくる。それほど大きな声で会話をしている。ここにいるとすべて聞こえているが、鈴木さんとの会話内容はきっと夕飯の時に母は教えてくれるだろう。

今日の話題はオレオレ詐欺のようだ。

鈴木さんお婆ちゃんの家に見知らぬ男性から「孫だけど」と電話があったと話をしている。

「私、その時から電話に出るのが怖くなってねぇ」

「なんで年寄りをいじめるんだろうね」

「怖くて、私、息子に頼んで『非通知』は電話が鳴らないようにしてもらった。それでも怖いから、携帯電話からかかってきた電話も出ないことにしているのよ」

鈴木さんのお婆ちゃんは、オレオレ詐欺対策をしているようだ。近くにオレオレ詐欺の犯人がいればみんな聞こえてしまうほど大きな声で話をしている。

先日、鈴木さんの息子さんと話したときに、息子さんもオレオレ詐欺の話をしていた。
「うちの母は、非通知の時は電話が鳴らないようにしたのはいいんだけど、携帯電話からの電話も出ないんだよ。俺が携帯電話から家の電話機に電話しても出ないんだよな。一度出たときに、『俺だけど』と言ったのがいけなかったかな」

思わず笑ってしまったが、そこまで高齢者はオレオレ詐欺をいつも気にして電話に出るのだろう。

 

会話は『オレオレ詐欺』の話から、天候の話へとどんどん変わっていく。お互いに耳が遠いので声が大きいのだと思っていた。でも、母は私と話すときも声が大きい。考えてみれば、お互いに耳が遠いから、相手に聞こえるように大きな声を出すのではなく、自分が聞きづらいから自然と声が大きくなっているのだ。それにしても、母の声は大きい。


朝食の時の会話は、朝刊を読んだ母の言葉で盛り上がる。相変わらず声が大きい。夕食の時の会話は、母のその日の報告。夕食時も声が大きい。


ある日、ふと思った。
もし母が小さな声で話していたら家庭はどんな雰囲気になるだろうか。家族みんなが小さな声で会話をしていたらどんな雰囲気になるのだろうか。そう思うと母の声の大きさは心地よく感じるようになってきた

母は、普通の声の大きさで会話ができないだろうかと思っていたが、大きな声で家族が会話できることは母のおかげなのかもしれない


「介護」でなく「快護」なのだと思うようになってきた。

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