嵐の中

一日一日が経過し、口を含めた身体の穴から管が少しずつ外れていきました。慣れないストーマの着脱も看護師から学んでいきました。退院してもストーマのある生活に加えて、普通の食事も取ることはできないし、ストーマも一時的のため3ヶ月から半年後には閉鎖する手術を迎えます。

通常の生活に戻ることは夢のまた夢ではありましたが、まずは退院が第一の目標ということで家内は必死にリハビリをして、ストーマの着脱にも慣れるよう努力しました。
なんとしても早く退院するという強い意志を持って。

本来3月末までの入院でしたが、家内の意志がそうさせたのか1週間以上早く退院の許可が出ました。血液検査の結果がよかったから医師の判断が下りたとのこと。
後から知ったのですが、細胞の損傷度合いを表すCRPという数値が一時30以上だったのが、通常数値に戻ったからのようです。別の医療従事者から聞いたのですが、CRPは30以上では生命の危機だそうです。

退院当日は雨と風が強く、嵐のような天候でした。病棟へ家内を迎えに行き、会計手続きを済ませ、病院を出て駐車場に向かいました。病院の出口から外に出た途端、強風で傘をさしていた影響から、家内は一瞬宙に浮き上がった感覚を覚えたとのことです。その時の情景は今でも深く心に刻み込まれています。
元々痩せ型の体型に加えて、そこから更に10Kgも減ってしまったから浮き上がるのも当然です。

帰宅の道中、家内は病院内での出来事を詳しく話してくれました。入院時には話してくれなかったことばかりであり、詳細は伏せますが病院内での扱いが酷かったと。だからこそ意地でも早く退院したかったと。聞いていて辛い内容でした。

大雨の中、買い物に寄ってから帰宅しました。先に家内を自宅マンションの玄関先に下ろして車を駐車場に入れてエレベータに乗っている途中、家内から泣きながら電話がありました。私が朝にテーブルに置いたA4の紙1枚1枚に1字ずつ書いたメッセージを見たからでした。

その内容は、

「◯◯◯◯おかえり!」(◯◯◯◯は家内のニックネーム)

玄関ドアを開けると、泣いて座り込んでいる家内がいました。
やっと帰れた!という嬉しさと表現できない感情が込み上げてきたようでした。

私はそんな家内を見て、一緒に涙を流しました。

ランチとして買ってきたサンドイッチを食べました。食べる前に家内は手を合わせ、また涙を浮かべておりました。

ようやく帰ってきた。

これから生活の立て直しとなります。ただ、がんのステージがわかりません。本来は腹腔鏡手術後、切り取ったリンパ節にがん細胞があるかどうかがわかるのが術後約1ヶ月。ステージ2か3かで今後の対応に大きな違いがあります。
ステージ2なら経過観察、ステージ3なら抗がん剤治療になるため、非常に重要なポイントです。

ところが、縫合不全・ストーマ創設といったアクシデントがあったため、転移の心配をする余裕はありませんでした。

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