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あなたの「家族」とわたしの「家族」

何十年も前から 書いては消しを繰り返してきた
「家族」についての話しの ほんの断片

わたしには、26年共に過ごしてきた女性がいる。
親しい友人は知っているけれど、会ったことのある友人は少ない。
性的指向についてわたしはオープンだけれど、彼女はクローゼットだということも理由としてはある。けれど決定的だったのは、以前彼女の妹がわたしの名前を検索し、わたしの呟いたツイッターの内容を読んで、妹が姉、つまりは彼女に差別的な事を言ったらしく、その日実家から帰ってきた彼女はわたしの前で泣いた。滅多なことでは泣かない彼女が、「自分の身内に差別的な人がいて悲しい」と、ぼろぼろと涙を流して泣いた。その日から、SNS等では彼女の事は語らない様に努めた。その時わたしが書いた内容といえば、確か「わたしのめのまえのあいするひとは なにも ほしがらない」と呟いただけだ。ただ、それだけだ。

それなのに、今更こうしてSNSを使ってわざわざ彼女について触れているのは、ともだちがこの世に残した心残りを前に黙ってはいられず、彼女の存在抜きにしてわたしの「家族観」を語ることが出来なかったからだ。

家族観やマイノリティ、社会問題に関する事は賢い人達に任せておけば良いのだ。そう思っていたけれど、それでも語らずにはいられなくなった。語るよりも語らない方が、後悔すると思った。

わたしは幼い頃から同性愛者である自覚はあったけれど、今一緒に暮らしている人は「固定観念」や「差別」に囚われていない人なだけだ。
現代ならもれなく呼び名も用意してあって分類可能なのだろうけれど、そんなことは、どうでもいい。「一緒に暮らしている」「互いが大切だ」と言うだけで、「どんな性的な行為をするのか」にばかり興味を持たれたり、「理解が出来ない」とばかりに、眉をひそめて怪訝な顔をされる事もあるけれど、他人の幸せにケチをつけたり、当人に相談された訳でもないのであれば特に、稚拙な憶測で無意味に立ち入るのは野暮で愚かしく、下品な行為だと言うことを知るべきで、他人の幸せはそっと、そして添えるように心から祝福すればいいだけだ。
わたしと彼女のセクシャリティは、曖昧でプラトニックなものだ。周りから見れば、否自分でも、暮らし始めてからずっと家族ごっこをしている「ままごと」の様で、いつまでも未熟に感じてしまうけれど、世間で言うところの本当の家族や、普通の家族に縁の無かったわたしには、普通の恋愛も無かったけれど、静かな敬意を纏って、慈しみや思いやりの感情を、注いだり注がれたりしたのは彼女が初めてだった。わたしには、他に家族とは呼べる人はいない。他人と呼ぶには深すぎる。
わたしと彼女の関係を「家族」と呼ばずに、何と名付ければ良いのだろう。

幾度となく日本の結婚制度に組み込まれない組合せについての、安全性と危険性について考えてみるけれど、法に関わればむしろ単純明快にはいかないと思ってしまうから、束になって戦えない自分がいる。そもそも他人同士が「同じ思想」を持ち続ける事はどの世界でも稀だと思っていて、打算的にも計算尽くにも独裁者にもなれない自分は、「守りたいもの」を言い訳にして、苦悩しながら(もしくはそのふりをしながら)どの社会の輪であっても、どれも蚊帳の外から睨みを効かせるに精一杯だった。

今際の際にいて欲しいのは、紛れも無く今の法的無力の家族だと互いで思っているし、遺品整理や葬式もするのであれば、願わくばそれ以外の人に任せたくはないと望んでいる。
「私達の自由」と言ったところで「私達」になった試しはないのだと、法の元で「愛と自由」は無効なのかと幼い頃から落胆は多い。
とはいえ、いつだって「愛と自由」「生と死」は自分のものだ。
己の最後(末路)を想像すれば、「想う人と一緒にいたい」という、たったそれだけの願いでいいのにという主張は、真っ当で「普通」の感情なのは誰が考えてもわかる「一般的願い」だ。

ともだちは「もっとマイノリティについての知識と言葉が欲しい」と言っていた。「言葉で戦うには言葉が必要だ」と勉強熱心だった。
そんなともだちを尊敬しつつ「どうぞ 言葉に溺れないように」と願った。賢い彼女に関しては案ずるに及ばないとは思っていたけれど、懸念していたのはカリスマ化する人に群がって「弱者を盾に鉈を振る人達」の出現が、場を乱さぬようにと言う事だった。わたしは過去にそれで疲弊してしまった経験があったからだ。そんなわたしに「大丈夫、今の私は昔より強いから」と言って、ともだちは強い瞳で美しく笑った。そんな戦うともだちの願いが叶う事は心から祈っていた。勝ち取りたかった戦利品の一番は、法的に承認される「同性結婚」だった。そのともだちの無念を噛み締めている。戦いはまだ続きそうだけれど、願いが途絶えた訳ではない。風向きが急に変わる事もある。その風が爽やかであるようにと想像してみる。

TVで「結婚したいわぁ」と言うマツコさんを見て、話しの流れで軽口を言える環境を整えた彼女を素晴らしいと思った。
タレントでなくとも、そんな風にサラリと(もしや御本人の心情は分からないけれど)笑顔で言える人達が増えたら、軽やかに同性結婚を受け入れられる空気が流れ、世間や一般の認識も変化するんじゃないかと、お気楽な希望を抱いている。

結婚したり養子縁組でもいいから子供も授かりたかった気持ちは
わたしにもある
あなたとわたしの描く 家族の「理想」は違うかもしれないけれど
どことなく 似ていて
いまは まだ かなしい

そんなかなしみが 過去のものになりますように

 

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