おじさんのブログやインスタを見て思うこと

付き合いやら何かの縁がきっかけで、おじさんのブログやインスタの投稿を見ざるを得ない時がある。

そもそも他人のブログもインスタを頻繁に見るわけではない。見始めたら長い時間を取られるし、自分の脳に刺激をくれる、感性を揺さぶるような投稿を期待するだけ無駄なのも知っている。

それでも美しい、可愛い人の写真は見ていて決してマイナスにはならない。時おり心が弾むことがある。変態だと思ってくれて構わない。これが変態なら世の中は貴方が思う何倍も変態だらけだ。

さりとて、おじさんの投稿からはほぼ得るものがない。軽い気持ちで見るには実に重たい。だからこそ、おじさんの投稿には心から興味がないのだが、ブロックするわけにもいかない間柄というか、とても親しいくも全く親しくもない関係性。

何を持っておじさんなのかとか、お前もおじさんの部類じゃないか!とか。それを言及したらキリがなくなるし、人によっておじさんの定義は違うから、読む人それぞれの「おじさん感」が描くおじさんをイメージすれば、おおよそ俺が言いたいことは伝わるだろう。

そんで何を言いたいか。

俺は誰かに何を訴えたいのか。

おじさんのブログやインスタを見て何を思うのか。

お前の食事なんてどうでもいい。お前が何を食べたのか、どんなお店で食べたのかなんて知る必要がない。知りたくもない。

ましてや手作り弁当とか、小汚い盛り付けとか、とても美味しくなさそうなおかずとか。何を見せてくれてんだ。何を見せたがっているんだ。

どうしても毎日投稿したいとかなら、載せるものを吟味しろ。それができないなら毎日投稿すんな。お前が毎日投稿することに意味はない。あってたまるか。お前の毎日投稿を期待している誰かがいたら、それはお前の投稿ではなくてお前自身に興味がある人だ。投稿じゃなくて直接メッセージをやり取りした方が、お前とその人とその他大勢、みんなみんな幸せになれる。

ただそれだけが言いたかった。インスタのアプリを開くたびに思うんだもの。だけど直接なんて言えないし、ブログになんて書けないし、ここでぐらいしか書けないんだもの。

ただそれだけが書きたかった。それだけを書くより、外堀を埋めてから書いた方が良いような気がしたから、思いつくままに書いたけど、本当に言いたいのはそれだけ。それしかない。

お前が何を食べたのかなんて、誰も気にしちゃいないし、知りたくもないんだよ。

実はその真実に当人も気付いていながらも、妥協の産物として投稿しているのならまだ救いようがある。

でもそれに気付かず、自分もあのタレントのように投稿しようと思ってやっているとか、どこかの誰かは自分を待っているはずなんて究極の甘ったれた勘違いをしているとかなら、もう救いようがない。誰もお前を救えないし、お前自身がお前を救えない。救う気もないんだろうが。

それだけだよ。それだけが言いたかったんだよ。

お前のご飯なんて、お前の弁当なんて、だっれも見たがってないからな。