考えるヒント

例えばAとBが争って、
BがCにそのことを愚痴ったとして。
そもそもCはAのことを知らないこととして。
 
人間なんて自分の都合が良いようにしか相手に話さない。
だからBはあたかもAだけが悪いように伝える。
そうなるとCにとってAは巨悪となってしまう。
 
たとえ客観的に見た時に圧倒的にBの方が悪いとしても、
その客観情報をCが持たない限りAは巨悪のまんま。
 
 
いくら人間は脳が発達した動物だといっても、
所詮はそんなもの。
誰かから聞いた情報を元に判断するしかできない。
 
勉強だってそう。
誰かから教えてもらったことや、
どこかに書いてあることから学んで自分のものにする。
 
表現方法だってそう。
誰かに憧れたり影響を受けたりして、
そこから自分なりのものを編み出していく。
 
 
そんな風に考えると
本当に何もないところから作り出せる人が「天才」ってやつで。
でもそんな「天才」なんて本当にいるのかなって気にもなる。
 
全く関わりがない事象同士を混ぜ合わせたら、
見たことも聞いたこともないものが生まれて。
 
それを「創作」とか「発明」とか言うんだろうけど、
そんなことができるのは常識をいつも穿って見てる
「変人」ぐらいなものであって。
 
そんな風に考えると
「天才」と「変人」はやっぱり紙一重なんだと思えてくる。
 
 
話はぶっ飛びに飛んでしまったから元に戻すと、
ある人の性格を知らない誰かが
ある人の性格を知ってる誰かの情報を元に
ある人を判断するなんてのはとても馬鹿げたことで。
 
芸能人、スポーツ選手、文化人、実業家、政治家…。
 
ありとあらゆる人のことが
マスメディアやSNSで報じられるけど、
その情報なんて2割信じて8割疑うぐらいで丁度良い。
 
誰かがその情報に介入した時点で、
その誰かの解釈が情報に入るのは避けられない。
客観的に物事を報じるなんて絶対無理。
 
だから誰かについての誰かの評判なんて、
参考として聞く程度にして信じちゃならない。
 
 
自分が関わって初めてその人についての感想が持てる。
逆に言えば、自分が関わらなきゃ何もわからんのだ。
 
世間で悪人と言われる人が実は自分には善人かも知れない。
よくよく話してみれば相手の考えを理解できるかも知れない。 
 
世間で変態と言われる人が実は自分と同じ趣味趣向かも知れない。
となると、自分も変態の烙印を押されるかも知れないが、
自分と接したことがある人以外が言うことには価値はない。
 
 
そんで結局、何が言いたいのかと言えば、
特に仰々しく言いたいことはない。
 
この文章を読んだ人がその人なりにこの文章を判断して、
何が言いたいのかをその人なりに掴み取ってくれればいい。
 
それが正解であって、間違いなんてどこにもない。