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日記【 名称は〝カウンター〟】

今日も今日とて、「暑い」が流行語大賞殿堂入りの名をほしいままにしていた。
野鳥の会の皆さんが、数字をカチカチカウントするやつで人々の「暑い」を数えてみたらどのくらいになるんだろうか。
暑い、カチ、暑い、カチ、カチカチカチカチカチ

とか、草取りをしている間に頭の中に勝手に再生されるくだらない文章。
頭の中は、思いついた文章の朗読に満ちている。
うるさくて困る。大したものじゃないので、浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

なので、今日はなんにも、書くことがない。

いやいやいや。


草取りをしている間は、ずっと遺書のことを考えている。
物騒。
でも、頭の中に浮かんできて仕方ないのだ。
頭の中で、私が遺書を読み上げる。

ねぇねぇ、遺書って書く派?書かない派?
とかカジュアルに聞けるもんじゃないので、
書くべきか、書かざるべきかと悩んでいる。

世界は生者の物だ。生者を傷つけて去ってはならない。
生者の役に立つものを残す。だとしたら、そう、
銀行口座の暗証番号だ。
なんらかの請求に備え口座に少々残し、
それ以外の現金は引き出して私の死体の脇に置く。
死亡すると口座凍結とかなんとかで、葬式の後にバタバタしてるのを見たことがあるから、そんな面倒をかけたくない。
しかし死んだ人間からの贈与ってのはどうなるのだ?
税金とかかかるのか?
うっかり現金足元に置いちゃいました、でいけるか。
贈与する旨を文言に残さないこと。これ重要。

もしくは、もう、罵詈雑言。
でも、それは卑怯じゃないか?
生前なんにも言わなかったくせに、
遺書で罵詈雑言並べ立てて生者を傷つけて去る。
生者は反論の機会も与えられない。

例えば旧Twitterの家族のアカウントに、私が罵詈雑言のクソリプをする。
なんだコイツは反論してやろう、としたらもう私はブロックしている。
家族は反論も弁明もできない。
罵詈雑言は、そういう、クソリプ遺書だ。
人生の最後にクソリプかぁ。

ありがとうございました、なんてのはどうだ?
いや、謝る方が先か?

傷ついたり、苦しんだり、私のせいで嫌な思いをさせて
ごめんなさい。
きっと、無自覚に傷つけていることもあると思います。
私は、その全てについて謝ります。
私は知っています。
私は悪い人間だと。みんなを傷つけ、苦しませていると。
私がいない方が皆は幸せだと。
これまで傷つけたり苦しめたりしてきたこと、
その全てについて謝ります。

どうだ!ドヤ

でもこれもずるいよな。謝るなら生きて謝れよ。

この間ご紹介したLINKIN PARKの「Leave out all the rest」。
あの歌詞を遺書にしようかな。

人の遺書パクるとかどうなのよ。

カウンセリングで
なんかもう書かなくていいかな。
と言ったら、カウンセラーさんは優しく静かに
「でも、誰かには泣いてもらいたくない…?」

分からない。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
健康な人は、草取りしてる時何を考えているんだろう。

それにしても、あ"あぁーーーカチカチカチカチカチカチカチカチ

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
のがの











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