見出し画像

ものの見方で、とらえかたも変わる

わたしたちは、ひとつのものをみて、それぞれのとらえ方をします。
たとえばこの下の絵をみて、なにに見えますでしょうか?

わたしは、最初に見た際、「若い女性」にしかみえませんでした。
この女性の喉(のど)のあたりにある細い黒い線は、リボンを表しています。

では、別の見方をするとどうでしょうか。

この絵は「年老いた女性」にも見えます。

「若い女性」の細いあごのラインは、「年老いた女性」の大きな鼻になります。
「年老いた女性」は、左を向いてわずかに下を向いています。
また、「若い女性」の首にあるリボンは、「年老いた女性」のわずかに開いた口になります。

上の絵を、見たことがある方もいらっしゃると思いますが、

「7つの習慣」 スティーブン・R・コヴィー 著 キングベアー出版
の「見方が変われば世界が変わる」の項に出てくる絵です。

では、下の絵はなにに見えますか?

ぱっとみる限り、二人の人物が至近距離で向きあっている姿に見えますよね。

では、白抜きの部分に注目して、じ~とながめていると、どうでしょうか。

がっちりとしたグラスに見えませんか。

このことから、型にはまった認識パターンから見方を変えていくことにより、別のものが見えてきます。

この「認知の枠組み」を変えるプロセスを『リフレーミング』とよびます。

ものの見方の本質

わたしたちは、物事をとらえる際、自分の見たいように見て、聞きたいように話しを聞いています。

いわば自分のルールや価値感、思いこみによるフィルターにかけて、物事の解釈をしているのです。
それが、「自分の見たもの」になり、「自分の聞いたこと」になります。

この「自分の見たもの」「聞いたこと」を、わたしたちは、あたかもそれが「真実」であるかのような錯覚をしているのです。

では、自分のルールや価値観、思いこみを極力排除し、角度を変えて物事をとらえていったらどうでしょう。

もしかしたら今まで「痛み」に感じていたものが、少しでも「快感」に変わるかもしれません。

しかし、わたしたちは、自分の見たいもの、聞きたいこと以外はなかなか意識を向けることができません。

それは、出来事に対する意味づけにしてもそうです。

たとえば、ある人が、仕事の作業で、馬車馬のように猛烈に長時間働いていたとしても、ほんのわずかな時間休憩しているところだけを、たまたま上司が見ていて、「あの人はあまりは働いていないね」と評価してしまう場合など、ありえます。

特に、他人に対する意味づけにおいては、一時の現象面で、人を判断してしまう傾向があります。
いわば点で物事をとらえてしまうことです。

点で見るのか?線で見ることができるか?

点とは、線を構成している一部分にすぎません。
点で物事をとらえようとすると、他人の背景(考え方や事情など)まで考慮に入れてとらえることは、できないでしょう。

この他人の背景を理解したうえで、物事をとらえていく。
いわば線で物事をとらえることができれば、他人をよりよく理解でき、コミュニケーションももっと円滑にいきそうですね。

このようにわたしたちは、型にはまった認識パターンをもっております。

このパターンから一歩踏み出せれば、視点が変わり、目の前にある「見えていない」チャンスが見えるようになるかもしれません。

そのチャンスに手をのばせることができれば、自分の世界を広げることができるでしょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?