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『The Days After 3.11』いまの成熟した日本には余白が少ない:和田智行さん#1

自分が表現したいこと、突き詰めたいことを実現できる場所として、
日本全国、世界からユニークな人材が集まる場づくりのプロ。
東日本大震災で原発事故の影響で一時は住民ゼロになった地域で一体何が起きているのか。

大きな変化の中で挑戦し続けているパイオニア・和田智行さんです。

小高ワーカーズベース・和田智行さん

福島県南相馬市小高区にて、宿泊できるコワーキングスペースやガラスアクセサリーの工房を運営。また創業支援も手掛ける。
『地域の100の課題から100のビジネスを創出する』をミッションに掲げ、
震災後、人が居住できない時から様々な事業創出に着手する。
南相馬市小高区は、東日本大震災の原発事故で避難指示区域となり、2016年に避難指示解除される。


ベンチャー2社のCTOをしていたバリバリのビジネスマン。
東京の仲間と一緒に2つのベンチャーを立ち上げて、当時の日本としては非常に珍しくリモートワークで地元・小高でシステムエンジニアとして仕事に従事していた。
震災後の原発事故の影響で6年間は自宅が避難指示区域となってしまった。

「原発事故で避難を余儀なくされ、あちこち避難生活を繰り返している中で、いずれ避難解除はされるだろうけども、解除されたとしても、課題が多すぎて人は戻らないよ、とそういった意見が多かったんです。
けれど、ふと、課題って裏を返せば全部ビジネスのタネになりうるんじゃないかなと。」

確かに課題はビジネスの種になることは十分理解できるが、津波や原発事故の放射線の問題で中々人が戻ってこなさそうな状況で、なぜそのような考えに至ったのだろうか。

「日本は、国自体が成熟しきってしまっていて、 余白がなくて苦しいなという風に考えていたことがあった中で、原発事故が発生しました。
避難生活を余儀なくされたものの、解除後には自宅に戻ろうと決断した時、ここは余白だらけのフロンティアなんじゃないかっていう風に気づきまして。」

ニコニコと語る中にも、言葉の一つひとつに力強さを感じる。
そして芯の強さを感じる。
“余白だらけのフロンティア”
なんて前向きな言葉なんだろう。
しかし、「言うは易し、行うは難し」である。

「課題を解決するビジネスをここでたくさん創っていくことによって、
自分が暮らしたい良い町を地元で実現することができるんじゃないかなと。
そんな風に考えて、当時まだ人が住めない状態だったのですが、震災から3年後に創業しました。」

人がまだ住めない状態の時に、とりあえず起業してしまうという和田さん。どこからそんなエネルギーが湧いてくるのか。

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