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『The Days After 3.11』 生きる力の弱さを知る:和田智行さん#2

原発事故の影響により人が住めなくなった地域で起業するという、
常識では到底考えられないような決断と行動をした和田さん。
使命感から決断したのだろうか。当時どんな想いで活動していのだろうか。

「もちろん使命感もありましたが、"地元の人間、かつ起業経験があって、帰還することを決めている" そんな人間はいなかったので、自分がやらなきゃいけないという想いはありました。

それと同時に、本当に自分が暮らしたい町を自分の手で作っていける可能性とか、それを実現できる実感にワクワクしたのが正直なところですね。」

自分が暮らしたい町を自分の手で作っていく。
なんと素晴らしいことだろうか。
そして有言実行で、本当にそんな町を小高に作ってしまっている。
日本全国老若男女、特に若い人が小高を目指して集まっている。
多くの地域がどんどん衰退している動きとは真逆である。

「震災前の起業は、どちらかというとお金を稼ぐためだけに起業したんです。早く大きく稼いで、 いわゆる経済的な成功をするのが目標だったんですよ。それが避難生活の間にすごい価値観変わったんですよね。それはお金も含めて。
避難中ってお金を持っていても、食べ物は手に入らないし、 ガソリンも手に入らなくて、逃げられないし、避難所もいっぱいで、寝る場所もないとかで、住みたい場所に住めないとか、そもそも家に帰れないとか。
そんなお金が全く役に立たないという経験をしました。」

起業家としてそこそこの富を得ていた和田さんが、
震災の原体験を通して価値観を180度変え、経済的な豊かさが本質的な豊かさではない、という事実を突きつけられハッとさせられたという。

「お金が役に立たなくなった途端、 生きる力がないということをめちゃくちゃ痛感させられたんです。結婚して、子供もいて、起業して、ある程度お金を稼いで、世間的に見たらまあまあ成功してる人に見られるかもしれないんですけど、 お金がないと何もできないんだという情けなさというか、 それを避難生活中に強烈に感じました。
でもそんな中でも生きてこれたのは、お金のやり取りがなくても、助け合ったり、受け入れてくれたり。そういう人たちの存在があって生きてこれたので、その中で価値観が変わっていきました。」

「もちろん収入は大事なんですけど…。
ただ大きくしていくよりも、自分の居場所となるコミュニティがあるとか、自分が役に立てる場所があるとか、そういう場所、あるいは関係性をたくさん作っていく方が、より大事なんじゃないかなと思います。
小高を見て、課題っていうビジネスの種がたくさんあって、余白だらけのフロンティアだという風に考えた時、お金を稼ぐだけが目的の事業ではなくて、自分が本当に実現したい社会や解決したい課題、 これに取り組むための事業をやろうという風に思えて。本当に全然違う目的で、モチベーションが湧いてきたんです。
収入が少なくても何の不安もないっていうか、そこはあまり大事じゃないという考え方ができたので、今のチャレンジができましたね。」

本当に辛いときや苦しいときにこそ、芯の部分である本質的なことが姿を現してくると言ったところだろうか。
資本主義経済の中でお金は大切な要素ということは認めつつ、それ以上にもっと大事なことを震災で体験したことが、現在のビジネスに結びついているのだろう。

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小高ワーカーズベース・和田智行さん

福島県南相馬市小高区にて、宿泊できるコワーキングスペースやガラスアクセサリーの工房を運営。また創業支援も手掛ける。
『地域の100の課題から100のビジネスを創出する』をミッションに掲げ、
震災後、人が居住できない時から様々な事業創出に着手する。
南相馬市小高区は、東日本大震災の原発事故で避難指示区域となり、2016年に避難指示解除される。

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