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ミン・ヒジンのセンスとファッションから学ぶ

 賛否ありの方も多いのであまりミン・ヒジン絶賛みたいなことは書きたくなかったが、私が最近学んだことをシェア。

 ここ最近、ミン・ヒジンのアートワークが異常に刺さる。ここ最近の自分のフェーズの中に平成懐古みたいなブームが来てる。2004年から2007年の自分が生きたあの時代を思い出す機会があったからだ。

 この作業とミン・ヒジンの2000年代、平成音楽、Y2Kが上手く重なって、青春のあの時代を自分の作品として落とし込むことが出来るミン・ヒジンを尊敬してしている。

 この人のすごいところはアラフォーになって作品が洗練されより商業的ではなく本人のセンスに近く、らしくなっているところだ。
 通常運転のクリエイターは心の機微に対してアラフォーになると劣化する、でもミン・ヒジンはここぞとばかりに自分の好きなものを作品に引用してくる。村上隆のコラボなんてまさに平成のあの時代を思い出させてくれたし、村上隆のリバイバルに一役買った気がする。

 分かってた人はいたと思うがミン・ヒジン=NewJeansなのだ。
 あの記者会見とファションで彼女自体がそのままNewJeansになってたんだと気づいた。
 正直今まではミン・ヒジンはNewJeansで自分の好きなモノをコラージュしていると思っていた、あくまでもアーティストではなく、デザイン畑の人だからだ本人と作品は切り離してる感じがしていたが、そうではなかったと気づいた。
 彼女がアラサーの時はSM時代にちゃんと、その頃の彼女の感性と企業方針や時代を上手く合わせて作品に落とし込んでいて、常に時代、時代に良作を世に発信している。

 本人と作品は実は切り離されてなかった。彼女がアーティスト的な動きをしていることから、この場合彼女のセンスが作品に直結する重要性を感じた。

 要するに普段から適当なファション、100均でサイズ感だけで適当に買った生活用品に囲まれている人間がハイセンスなモノなんて創れるわけがない。
 独身なのに子供3人ぐらい産んだ体型して、女性らしさを忘れたみたいな雰囲気の私みたいな人間が素敵なモノを創れるわけがないと思った。
 別に太っててもいいけどお洒落さは必須だと思う。大抵の人間は太ってるとお洒落は疎かになり悪循環。

 このミン・ヒジンなんて決めるとこ決める抜くとこ抜くみたいなやさぐれ感と綺麗目がすごいバランスで成り立っててこれぞミン・ヒジンのナチュラルさの全てがファッションに現れている。

 私はいかに自分のセンス、生活が自身の作品に直結するのだと痛感させれた。

 さて、身の回りのダサいものを捨て、洋服を見直し、体型も変えて見せる。
そしてセンスを磨き、思考を深め己を知る。

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