自分を殺して相手に合わせて生きてきたツケが廻ってきた。正直こんなふうになるなんて思ってなかった。馬鹿だった。 ご無沙汰しております。お久しぶりです。 最近、暖かくなってきましたね。そんな頃、反省と自分への教訓、戒めをつらつらと書き綴ろうと思いまふ。 最近、ゼミの活動が始まり、人間関係が変わる節目にいる。想像出来るとおり、初対面の人との会話、目上の人とのコミュニケーションなどがある。そして、それらを取ろうとした時、正しくは取った時にあることを感じた。「あ、言葉が出てこない。
先日、「VTuberやボカロを好きだと言ったら、『あぁ、そういう人なのね…』という明らかな偏見を向けられた」というツイートを見た。 人は、経験のないことに偏見を持つと、自分は強く感じる。自分もVTuberもボカロも歌い手も大好きだ。VTuberは最近、なのほりっくという事務所が気になりよく見ており、ルキロキが大好きだった。ボカロも2016年あたりからずっとできる限り追い、歌い手は特に大好きで、ウォルピスカーターさんの大ファンだ。それに新人さんもよくチェックしている。最近好き
好意に好意で返すような関係は苦手だ。 例えば、落ち込んでいるから元気づけるようなことをしてあげた。でも、それを続けているといずれは疲弊し、ネガティブが襲いかかる。しかし、相手はそれに気づかず自分から貰った言葉で生きている。 これだと一見、恩を返せていない人が一方的に悪いように見える。確かに悪いように第三者からは見える。そして、してあげた方はそれが正解だと思ってやっている。根本的に間違っていると感じる。気づいたらそうしてしまっていた、というもので優しくするのが正解ではないのか?
「自由に捕らわれる。」 高校生の時から好んで聴いている曲がある。 問いかけから初めてみよう。 自由に捕らわれたことはあるだろうか? 質問の意味が少し分からないと思う人達もいるだろうし、大抵一般の人はそうは感じないだろう。 自由というものに対する民意はプラスなものだから。文字通りなんでも出来るものだから。 特にこの質問を大学生に問いたい。 今まで縛られ、これはしちゃダメ。これはするといいよ。まぁ、強制はしないけどね(笑)。みんなやってるし、うまくいくことが多いからね。あぁ
「僕は今日も」 最近、ハマってよく聴いている曲がある。 昔の周りの環境に振り回され、それら全てに素直にじゃないけど、結局は鏡姿で、「そうじゃなかったら…」なんてことを思い、未だ現状に素直になれない。 きっと作者であるVaundyは“才能があって”、“親不孝で”、“イケメンじゃないけどかっこいい”のだろう。そしてそう言われて育った。その言葉に素直になれないけど、結局、客観視するとそうだった。そして、“僕は今日も”そうじゃなかったら、と考えて生きている。 “きっと”皆にもそうい
「命に嫌われている。」 初めて聴いた時、心に穴が空くような感覚があった。それは個人差はあるとは思うが、心地良さがあった。歌詞に浮き出た感情がこの4分34秒で目まぐるしく変わる。人々が“まともに”生きる理由を教えてくれた作品。「死にたいなんて言うなよ。なんて言う歌は馬鹿げている。」という言葉に始まり、「生きろ。」で終わる。結局そこに行き着くこと、仕方がないということ、生きて生きて生きて、生きろ。と。 僕の中でのこれ以上の作品はもう出会えないかもしれない。それほどの作品だと感