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自由はこの手に余る

「自由に捕らわれる。」

高校生の時から好んで聴いている曲がある。

問いかけから初めてみよう。
自由に捕らわれたことはあるだろうか?
質問の意味が少し分からないと思う人達もいるだろうし、大抵一般の人はそうは感じないだろう。
自由というものに対する民意はプラスなものだから。文字通りなんでも出来るものだから。

特にこの質問を大学生に問いたい。
今まで縛られ、これはしちゃダメ。これはするといいよ。まぁ、強制はしないけどね(笑)。みんなやってるし、うまくいくことが多いからね。あぁ、でもこういうやり方はダメだよ。まぁ、やってる人はいるけど、社会的に…ねぇ?こう見られちゃうじゃない…?あなたは正しく生きなさい。わかった?

少し例文が長くなってしまって申し訳ない。
このようなあからさまな文はないが、要はこういうことだったってことばかりだ。

そして、大学入学。
「好きにやりなさい。あなたはもう大丈夫だから。」
素晴らしい言葉だ。いい響きだ。
さぁ、やろ…え、“何を”…?ま、まぁ、とりあえずお金を稼ごう。バイトだ。
そして数ヶ月…数年…やりたいことも無いまま、お金だけが溜まっていった。
そう、空っぽなのだ。自分はやりたいことが無い。
確かにあの頃はやりたいことがあった。でも、周りに「これが正しい。」「あれがいけない。」って言われて、それをやってたら、すっかり消えてしまった。いや、忘れてしまった。

人は、自分の経験からしか極めるものを選べない。
社会の教育の仕方は実に素晴らしく、狡猾だった。それにまんまと乗って、乗車券を買うために、“自分”を代償にした、自分がバカだった。世の中に溢れている曲がよく啓発してるじゃないか。「抱えて生きろ。」って。それは、罪とか罰とかもそうだけど、本質は、“自分を”ってことだったんじゃないか。自分は今更気づいた。少し遅かった。
たくさん捨てた。捨てすぎた。そう感じた大学2年の夏だった。

また、少し長くなった。もはやちょっとした小説だ。まぁ、少しフィクションは混ざっているが、自分が経験したものだ。
今は、やりたいことを見つけて、それに向かって歩いている。やりたいことを見つけるのはとても難しい。そう感じた。でも、それは自由に捕らわれて、何か新しいことを始めようとしてるからだった。
違う。自分の過去と向き合えばいいだけだった。小学生から6年間やったサッカー。2年間やっていたピアノ。夏休みにやった生物の自由研究。まだきっとある。今は、友達と休日にサッカーして、音楽の機材や防音室を買って、音楽を将来やりたいなぁと思いながら、臨床検査技師を目指している。
好きなことをやりなさい。=やりたいことをやりなさい。ではなかった。
やりたいようにやりなさい。だった。そう気づいたのは最近だ。

今では、ワンピースのとあるシーンの、マリンフォードで白ひげとルフィが対峙した時にルフィが言った、

「指図すんな!俺は俺のやりたいようにやる!」

って言葉が1番好きです。
指図すんな、とまでは言えるような人ではないけど、僕は、やりたいことをするんじゃなくて、やりたいように生きたいと思う。

長々と書きたいことを書いていたら、訳分からなくなってきたので、この辺で。ではまた。

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