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言葉に詰まる

自分を殺して相手に合わせて生きてきたツケが廻ってきた。正直こんなふうになるなんて思ってなかった。馬鹿だった。

ご無沙汰しております。お久しぶりです。
最近、暖かくなってきましたね。そんな頃、反省と自分への教訓、戒めをつらつらと書き綴ろうと思いまふ。

最近、ゼミの活動が始まり、人間関係が変わる節目にいる。想像出来るとおり、初対面の人との会話、目上の人とのコミュニケーションなどがある。そして、それらを取ろうとした時、正しくは取った時にあることを感じた。「あ、言葉が出てこない。」

相手の心境がどれなのか定まらないのだ。それによってどの言葉を選べば良いかわからなくなってしまった。今まで色々な人と出会い、色々な人がいると知った。こういう人もいる。そういう人もいる。そうしていく内に、その分の選択肢が増え、相手がどう考えているのかがわからなくなってしまった。
今までは「こう思っているだろうから、これ」というふうに無意識のうちに言葉を選んでいたのだろう。

自分を殺す。この経験をしたのは高校1年の時だった。今まで自分は、サッカー部に所属し、邦ロックを聴き漁り、毎年フェスに行き、公園でサッカーをするような人間だった。しかし自分が行った高校はバリバリの進学校であり、少し悪いように聞こえてしまうかもしれないが、陰キャオタクのような巣窟に身を置くことになった。その環境の差の弊害は早々に訪れ、周りのメンバーとコミュニケーションを取るのが億劫になっていった。でも、その時の自分は、「これではダメだ。仲良くならなきゃ。」と考えてしまった。だから、相手の趣味や、喋り方、価値観を自分の中にインプットした。そうする内に、自分は消えていた。

それから、自分は人間関係が変わる度に、そうするようになっていった。「自分が変われば手っ取り早い。」

素晴らしい能力だと我ながら思った。どのような環境にも適応できる、すごい能力だと。でも違った。そんなものはなかった。自分というものはストックされるのだ。消えるわけない。母数が増えると、どのような自分で接せればいいのかわからなくなる。これの真っ只中だ。

これを書いている途中に、“相手の心境を考える”というものに、考え方が逆なのではないかと感じた。“相手の心境を考える”ではなく、“自分の常識を押し付ける”なのではないかと。こう思ってるのかなぁ。ではなく、自分ならこう思う。なのではないかと。

どちらの経験もした自分としては、どちらもいいものとは思えなくなった。選択しなければいけないなぁと感じた。

あなたはどちらを選びましたか?
相手の心境を読み、言葉を発して正解かどうかが曖昧なものにするか。
それとも、自分の心境を押し付けて、言葉を発して自分の中での正解を出して、軸を強固にするか。

ご愛読ありがとうございました。

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