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青柿将大「吃音研究I -ハイドンに基づく-」(2022)

ここ数年、音楽における(例えば楽器や声、テクスト、既存の音楽作品などの)アイデンティティの剥奪・喪失と再定義が自身の創作上の興味を占めており、今作も例外ではありません。
今作ではまず、ハイドンのピアノ・ソナタHob.XVI:6・第一楽章からハイドンの音名象徴(H・A・Y・D・N=シ・ラ・レ・レ・ソ)のみを、セクションごとにそれが次第に“成長・完成”していくように抽出しました(即ち、セクション1ではシのみ、セクション2ではシとラのみ、など)【譜例1】。


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【譜例1】
(上)ハイドン:ピアノ・ソナタHob.XVI:6・第一楽章冒頭。
(下)そこから「シ」と「ラ」のみを抽出したもの。これは今作中セクション2の「骨組み(設計図)」の冒頭となった。


偶発的かつ不規則な同音反復を含み、吃音における「連発」のように断続的・偏執的に繰り返されるそれ——シ、シ、シシシ、シ、シ(H, H, HHH, H, H)……→シ、シ、ラシ、ラ、シ(H, H, AH, A, H)……→シシラ、レレ、レ、レシ(HHA, YD, D, DH)……→シシラ、レレ、レ、レ、ソ、ソシシシシシシシシシ(HHA, YD, D, D, N, NHHHHHHHHH)……など——を、今度は無数の断片に切り刻み【譜例2】、

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【譜例2】
譜例1で抽出された「骨組み」を断片化。


一方でハイドンのピアノ・ソナタ——出現順にHob.XVI:32(ロ短調)、同5(イ長調)、同4 (ニ長調)、同11 (ト長調)の各第一楽章。それぞれの調性の主音を並べるとシ・ラ・レ・ソになる——をやはり素片化したリストの中から前述のハイドン音列の各断片に「最もマッチする」ものを一つずつ当てはめていき、連結による聴覚上のモザイクのような再合成を試みました【譜例3】。

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【譜例3】
(上から順に)
1. 断片化された「骨組み」。
2.その各断片に「マッチする」ハイドンのピアノ・ソナタの断片を連結したもの。これはそのままセクション2の冒頭となった。
3.ハイドン:ピアノ・ソナタHob.XVI:32・第一楽章冒頭。
4.ハイドン:ピアノ・ソナタHob.XVI:5・第一楽章抜粋。
3.と4.は最終的に選択・連結されたハイドンの各断片の「出典」を示す。


今回はまずpython言語によるAudioGuideというプログラムを用いて合成結果を出力した後、それが人間によって演奏可能なように必要最小限の修正を適宜施しつつ楽譜に起こす、という手順が採られました。「波形接続型音声合成(concatenative synthesis)」と呼ばれるこの合成方法は、複数の死体や動物から採取した様々な身体の部位を接合し継ぎ接ぎだらけの新たな生命体を生成するフランケンシュタインの怪物の創造法や、多数の小さな画像を寄せ集めることで一枚の大きな対象となる画像を再構成するモザイクアートの制作法などを想起させるかもしれません。

成長していくハイドン音列を「(対象となる)骨組み」、ハイドンのピアノ・ソナタを「肉片」に例えれば、こうした「肉付け作業」により「骨組み」にあたるハイドン音列そのものは最早ほぼ知覚不可能となっていますが、4つに分けられたセクションごとにスポットライトが当たるソナタが切り替わっていくため、支配的な調性もロ短調→イ長調→ニ長調→ト長調と段階的に移行し、ハイドン音列を大きな時間単位で朧げに象っていきます。

ハイドン音列とハイドンのソナタそれぞれの素片化、両者の「マッチング度」の分析とそれに基づく合成のプロセスなど、仕事のほとんどをコンピュータが担っており、また、素材すら全てハイドンからの借り物であるという意味で、私個人の手作業により「一から作曲」した部分はこの作品に存在しない、とも言えるでしょう。最終的に脱/再コンテクスト化によりオリジナルのハイドン作品とは全く異なるアイデンティティを伴って生まれること我々の間で共有されているハイドン像に身体レベルでの揺さぶりをかけることを目論む一方で、現時点での自分が可能な限り恣意性を排除しようと試みた今作は、それでもなお介在する恣意性や、作曲という行為における創造性・作家性とは何かを今一度問い直す機会をも私に与えてくれました。

【譜例4】
(上)完成楽譜1ページ目
(下)同5ページ目


2021年12月から2022年1月にかけて作曲、演奏所要時間は約5分。続編としてピアノのための《吃音研究II -ドビュッシーに基づく-》の初演が2022年4月、オルレアン(フランス)にて予定されています。

作曲者:青柿将大のプロフィール


1991年埼玉県生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学、同大学院修士課程を経て、現在パリ国立高等音楽院作曲科に在籍。2012・13年度(財)明治安田クオリティオブライフ文化財団奨学生。2013年長谷川良夫賞受賞。2017年度下期野村財団奨学生。 2018年度文化庁新進芸術家海外研修員。2019年第36回現音作曲新人賞入選、聴衆賞受賞。2021年度公益財団法人かけはし芸術文化振興財団奨学生、国際ナディア&リリ・ブーランジェ・センター奨学生。
作品はピカルディ管弦楽団、カーン管弦楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル室町、Collettivo_21、Jeux d’Anchesなどの団体や個人により国内外で演奏されている。
作曲を故尾高惇忠、林達也、野平一郎、ステファノ・ジェルヴァゾーニの各氏に師事。また、これまでに講習会などにおいてアラン・ゴーサン、トリスタン・ミュライユ、フィリップ・マヌリ、ジャン=リュック・エルヴェ、マルコ・モミ、湯浅譲二、伊藤弘之、望月京ら各氏のレッスンを受講。


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