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地方創生・道中日記④~祭りのリニューアル~

茨城県筑西市探訪の第二弾。「しもだて商工まつり」が開催されるという情報を得ていたので再び訪問したが、従来の「祭り」の価値観を大きく揺さぶられることとなった。

朝8時過ぎに自宅を出て10時半には現地入り。「道の駅グランテラス筑西」に着いたが現地は大混雑。駐車場も臨時駐車場も満車、周辺の小道にまで駐車ラッシュ。10分以上ウロウロして何とか駐車スペースを確保した。

「しもだて商工まつり」はコロナの影響もあって4年ぶりの開催となったからか、人々の並々ならぬ熱意を感じた。前回の訪問でステージ前の広場が大きすぎることに懸念を持ったが、全くの杞憂といえる人出であった。

天候は曇天。季節がら気温は高くなくしのぎやすいが、台風が接近していることから夕方以降は雨模様。今回は天が味方したが、開催時期については検討の余地があるのかもしれない。

まず訪れたのは「ちくせい若者まちづくり会議」のブース。筑西から大学に通う学生を中心に35名が4つのプロジェクトを回す団体だ。この祭りでは地域の物産や観光資源の興味喚起に走り回っていた。勢いって大事。

あやしいラスタのおっさん



多くの出店の中で気になったのが「モロバーガー」。モロとはサメのことだ。筑西は内陸部のため新鮮な魚を届けるのが難しかった時代、サメの成分が防腐剤の役割を果たして腐りにくかったため流通していたとのこと。

店番の元気なお母さんとツーショット

KAERIZAKI豊年満咲というお店の出店で、普段はモロフライを食べられるそうだ。サメは高たんぱく低カロリーで肉感は結構しっかりしていた。

ステージイベントとしては、パワフルな演奏を聞かせてくれた「下館工業高校のジャズバンド」や、浴衣姿で礼儀正しさの光った「下館第二高校の吹奏楽」、神社で奉納されそうな「しらとり太鼓」の和太鼓など紹介したいものだらけだった。

下館第二高校の吹奏楽

人が減ると人工的な音が減る。たまに通る車のエンジン音だけではつまらない。その点、特に金管楽器や和太鼓には生命の強さを感じる。昔、NHKの朝の連続テレビ小説『てっぱん』でも似たようなことを言ってたっけ。

そして、時代と祭りについて考えさせられたのがハイスペースラボというスタジオのダンスだ。ヒップホップを中心に子供から青年まで習熟度で分けられた様々な規模のグループが次から次へ入れ替わって演技をする。これがかなりの盛り上がりを見せた。その時、私の頭に浮かんだのは…

見にくくてすみません


”なんだろうこの違和感”


「祭りとヒップホップ」
という組合せを意外に感じたというだけの話ではない。ただ、農村風景と親和性が高いのはボブ・マーリー由来のルーツロックレゲエではないか(タオルぶん回すタイプではなく)、という仮説に基づきラスタに身を包んでいた私としては「そうくるか」だった。

風景との親和性は特に必要ないのかもしれない。確かに山車もアスファルトの上を走る時代だ。また、小中学校でダンスが授業に取り入れられる時代だ。ダンスと結びつくことで子供たちは祭りに参加しやすくなる。

ただ、ヒップホップはある程度自由度の高いダンスでもある。合わせるところは合わせるが、個人のアレンジが重要なアクセントとなる。農作業の協働から祭りが生まれた背景とのズレが違和感を感じさせるのだろう。

加えて、私は阿波踊りが趣味だ。10数年も徳島に足を運んで踊りこんだ。ゆえに、特に女踊りでピッタリと動きが揃うことに「美意識」を刺激されるし、老若男女問わず同じ囃子で同じ踊りを踊ることが「常識」だった。その「伝統の継承」こそ祭りだと思っていた。

しかし目の前には、演じる子供と応援する年配者の間に歴然とした「リズム感の差」が存在する。それが「世代間の断絶」を生み出さないかを少し心配したのだが、それよりももっと重要な事態に気が付いたのだ。

祭りの「主役」が子供たちになっていること、それを年配者が応援する構図があるということ。ステージという環境が生み出す限定的な情景かもしれない。地域の子供神輿でも子供は主役だったかもしれない。しかし、ここには「伝統」がない。むしろ、伝統のはじまりか。

そのことにむしろ「新時代」の到来、あたらしい祭りの姿をヒシヒシと感じて、むしろ清々しさすら覚えてしまったのだ。「創造」ってこういうことかもしれないと実感した瞬間だった。

まあ、楽しければいいじゃん。

って、もう一人のオレがいう。


(2022/9/23)

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