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SDGsの違和感を言語化する ~みんな実は気づいてる~ 

SDGsの「17の目標」の各々の意図はおよそ理解できるし、個々の取り組みには納得性の高いものも多くあるが、どうも違和感を感じる。全てに一貫性を持たせるのは難しいとは思うが、「根っこ」に違和感があるのは好ましくない。私のなかにはびこる「違和感」の要因を言語化してみたい。

①SDGsという名称

Sustainable(持続可能な) 
環境を保全しながらも経済活動を持続したいという前提。問題は「主語」だ。先進国、企業、そこに所属する人間、わたし。
Development(開発)
開発って何だろう。また、それしかパターンがないのか。消費が増えると、資源は減る。視点の違いで捉え方が大きく変わる。これも「誰が、何を、どうやって」を見定めていく必要がある。
Goals(目標)
ゴールでも目標でも、到達したら終わりというニュアンスを持たせてしまう語彙だ。持続を目指さないのか。"way"(道・方法)ではないのか。国連は2030年を時限と定めていて、もちろん数値目標もあるのだが。

②平等思想の限界

10「国の不平等をなくそう」について。そもそも、概念的に「平等」が難しいだけに、目標にこの言葉を入れることで違和感が生じやすい。

まず、国が違えば環境が違う。不平等は当然だ。文明とは古来「水」のある所に生まれる。環境的な平等を目指して、内陸部の不毛な土地に大量に水を移動させたとしても、本来の生態系の在り方をゆがめる行為になるし、水の量という視点に立てば「増えた」と「減った」は不平等だ。「減った」地域の環境破壊が進めば、元も子もない。

また、後進国が経済成長して世界人口が100億人を突破し、全ての国がアメリカと同等のGDPになるとするならば、資源の枯渇は避けられない。14「海の豊かさ」15「陸の豊かさ」との整合性は厳しい。

逆に、不毛な地に住む人たちを全員豊かな土地に移住させたとしよう。国は存在しなくなる。それは、10「国の不平等をなくす」いう目標自体を自己否定することになるし、移住を強制する段階で10「人の不平等」が発生する。

やはり「平等」というのは難しい。

③ビジネスチャンスの捉え方

経済活動を続けないと企業や自分の生活基盤が崩れる。私も経済活動の中で生かされているので、充分に理解できる。環境保全の責任を意識することも大切だ。しかし、SDGsの取り組みがただのビジネスチャンスであってはいけないし、優先順位を精査しなければならない。

例えば、先日、環境庁がカーボンニュートラル(脱炭素)についての先進的な取り組みに400億円の予算を要求した。他に金融業界もインパクト投資を拡大しており、「テクノロジー・ベンチャー」「地方創生」にとっては大きなビジネスチャンスがやってきている。


一方で、「ITベンダーのサブステナビリティリスクへの準備は10%に留まる」という記事があった。例えば、利益率を優先する企業で、SDGs関連の予算程度では「焼け石に水」という規模であるなら優先的に動かないこともあり得る。また、企業文化を変えていかないと日野自動車のような例が生まれていく。


④感覚的な座標

環境保全を謳いながらどんどん生産を拡大することは、下の図で言えば右上のオレンジに向かう動きのように感じられる。本来なら、右下に移行するという発想もあってしかるべきだ。そこが違和感の本質かもしれない。

意識としてはこのような感覚を感じる

と考えていたら、全く同じ結論に至っている記事を発見した。必要なのは「謙虚」な姿勢だと。



全ては人間が「便利」を求める心に由来していると考えている。何を残し、何をあきらめることができるのか。しっかりと考えていく必要がある。

(2022/8/26)




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