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【自閉症奮闘日記】④ 自閉症の人とそうじゃない人の違い

「相手のことを思いやってね」

物心ついたときから道徳的に必要だと思って使われてきた言葉。人生もうすぐ折り返しという時に、どうやらこの言葉の解釈が全く違うということに気づかされました。

多分普通の人が思う、相手のことを思いやってねというのと僕たち自閉症の人間が思う思いやってねというのは、どうやらかなり違うようです。なぜなら、僕たちは相手のことを察知する力が弱いみたいなんです。

分かりやすく例え話で話すと…

目の見えない人は、目の前にどんな景色が存在しているのかを察知するのが不可能で、隣の人が「目の前には青空が広がっているよ」というを聞いて、そうか、青空が広がっているんだ。と認識するのでしょう。

熱を感じない人が熱いものに触れても、何も感じずに大火傷を負います。焼けた皮膚を見て、「ああ、さっき熱いものに触れたから火傷したんだ、あれは熱いものなんだ」と認識するのでしょう。

そして僕たちは何気ない日常の中で自分にとっての当たり前の表現をし、相手から「は?」という困惑を見て、あれ、なんかおかしかったんか?と思うのがせいぜいで、何もリアクションがなければ、きっと普通に相手を怒らせたり、苛立たせたりしてしまうのでしょう。

自分たちが良かれと思ってしたことが、多くの人にとっては、良かれと思わないことも多くて、困惑させてしまったりする。

自分の障害を調べれば調べるほど、その違いがあることが明白になってしまいました。

これまでの職場での自分にとって不可解なトラブル。これで説明がついてしまいます。多くの自閉症の人は、僕と同じ悩みを多かれ少なかれ抱えているのだろう。どうやって乗り越えているんやろう…

自閉症認知1週間の僕には、まだその答えには到達できていません。

まだまだ認知が乏しい障碍者の世界。