新宿の目、またはシュルレアリスムの肖像

アメリカのSF作家P・K・ディックの小説に『宇宙の眼』というものがありまして、たいていの場合、こういう題名はテーマをほのめかしていたりするわけだけれども、SFというジャンルはこどもっぽいところが魅力でもあるので、この多元宇宙ものの傑作も「メタファー? シンボリズム? そんなん知るか!」といわんばかりの展開になるのでした。

どういうことかというと、題名そのまま、なんと巨大な眼が宇宙空間にどかんと出現する! ばかばかしいといえばばかかばかしい。しかし、こうしたばかばかしさこそが、SFの魅力をかたちづくってきたこともたしかです。

西新宿の地下通路をとおるたび、いつもこの『宇宙の眼』のことが頭をよぎります。というのも巨大な〈新宿の目〉があたりを睥睨(へいげい)しているからで、唐突さという点ではディックのSFにひけをとらない。にもかかわらず、あたりまえのように街になじんでいて、道行く人々はだれも気にしていない。そのこと自体、ふしぎだなあと思います。

2018年夏、残念ながら〈新宿の目〉は眠りについてしまいました。地上にあるスバルビルの解体が決まり、それにともない発光するのをやめてしまったのです。いまのところ、というのは2019年4月の時点ですが、かろうじて残ってはいるものの、そのうち撤去される可能性だってあるでしょう。

そもそもこのオブジェはいったいなんなのか。右脇の銘板に、作者は宮下芳子、設置は1969年とある。作者のウェブサイト「The Art of Yoshiko Miyashita」から自作にかんするコメントを引用します。

怪物的バイタリティを持つ新宿新都心が、現代日本の若さ、たくましさの象徴として世界に鳴りひびいている。 それは大きな大きな空問——その偉大な空間の整形を私は恐れも知らずに引き受けた。
底知れない力にみなぎっている怪物を、如何に表現したらいいのだろう……
そうだ!!
時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”、二十一世紀に伝える歴史の“目”……もしかすると 遠く宇宙を見つめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最適、と思った。
——さて、でき上ってきた十米近い大きな目玉の前に立ち、自信たっぷりにウィンクできるだろうか?

じつは宮下芳子という美術家のことはもちろん、どういう意図でもってあの巨大なオブジェを制作したのか、いまのいままでまったく知りませんでした。ですから、遠く宇宙を見つめる目とか、多次元の目とかいうことばが記されていることにはおどろいてしまった。ディック的なセンス・オブ・ワンダーを感じとっていたわたくしの直感は、それほど的外れではなかったわけです。

さらにおどろいたのは、宮下のコメントとともに瀧口修造の詩〈体内の瞳——宮下芳子作「新宿の目」によせて〉がのっていたこと。そのうち触れる機会があるかもしれませんが、簡単にいうと、瀧口は日本にシュルレアリスムの動向を紹介した批評家で、自身もさまざまな作品を残しています。

シュルレアリスムは、ふつう、超現実主義と訳されています。超現実というのは、現実を超えたところにあるなにやら神秘的なものではなく、いま目の前にある現実をとことん見つめたあげく、見つめているものがなんなのかよくわからない状態となり、モノそのものの姿や形がなまなましく、かつ、なまめかしくあらわれる事態を指します。そういう意味では、幻想的というより、むしろ即物的です。

〈新宿の目〉の即物性についていえば、そのおもしろさはふたつ。ひとつはシュルレアリスムを成り立たせるための凝視があっけらかんと造形化されていること、もうひとつは見つめるという行為そのものが街に不穏な気配を与えていること、です。

なので、こんなふうにいうこともできる。この巨大なオブジェはシュルレアリスム自体の肖像でもあるのだと。そして作者が指摘したように、新宿という街は底知れない力にみなぎっている怪物だからこそ、異界への通路みたいな空間が生まれたのだとも。

凝視されているわたくしたちは〈新宿の目〉をまじまじと見つめかえさなければならないはずで、なんならむかしのヤクザ映画のようにガンを飛ばしあったっていい。でも、今世紀の人類にはあいにくそんなことをする余裕なんてありませんから(スマートフォンのちいさな画面に没頭しながら歩いている人はたくさんいますけど)、暇人であるわたくし高寺が、こうして相対している次第です。

小説家の筒井康隆は若いころ『宇宙の眼』に衝撃をうけ、のちに「シュール・リアリズムがSFに活かせる、ぼくがそれを発見したのはこの作品によってであったろう」と記しました。〈新宿の目〉がやすらかな眠りについたいま、この評言をもじって「シュルレアリスムが街を息づかせる、わたくしがそれを発見したのは〈新宿の目〉によってであったろう」といいたい気分になっています。


◎新宿の目:新宿スバルビルの竣工は1966年(昭和41年)。〈新宿の目〉は3年後の1969年(昭和44年)、地下道の壁面に設置されました。作者の宮下芳子は「このような偉大なる場を与えてくださったスバルビルに感謝いたしております」と記しています。

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