curry 草枕、または旅の寓意としてのカレー

毎朝のたのしみといえばNHKの連続テレビ小説ですが、2019年4月からはじまった『なつぞら』では、広瀬すず演じる主人公が、戦災ではなればなれになった兄をさがそうと、新宿をたずねるエピソードがありました。このとき登場したのがベーカリー兼カフェの川村屋。モデルになったのは新宿中村屋です。

その歴史は明治期にまでさかのぼり、中村屋をめぐる人々も多岐にわたりますが、もっとも有名な逸話はインド独立運動の立役者ラス・ビハリ・ボースとの邂逅。それがきっかけとなり、日本初の「純印度式カリー」が誕生します。1927年(昭和2年)のことでした。

ボースいわく「カラい、アマい、スッパイ、味みなあつて調和のとれたもの一番いい。舌ざはりカラくなくて、食べたあとカラ味の舌に湧いて來るものでなくてはダメねェ」。この純印度式カリーは中村屋の象徴で、新宿中村屋ビル地下のレストラン「マンナ」に足を運べば、いまでも伝統の辛みが味わえます。

中村屋の供する純印度式カリーが伝統派の雄だとすると、では、革新派の代表は? ただちに挙げるべきは、新宿御苑のそばに店を構える「curry 草枕」のチキンカレーでしょう。と勢いにまかせて、伝統と革新の対立をでっちあげてしまいましたが、草枕のウェブサイトをみると、スパイスカレーを標榜してはいるものの、べつにインドカレーをうたっているわけではない。失礼しました。

しかしながら、亡命インド人であるボースが舌の記憶をとおして、はるか遠い異国の地で香辛料の饗宴ともいうべきインドカリーを再現したように、草枕においても、さまざまな経験、さまざまな旅を重ね、いくつものカレーに導かれたのち、まずもって店主自身が納得できる味にたどりついた様子がうかがえます。

メニューにはこう記されています。

チキン 800円
curry 草枕の基本のカレーです。一皿あたり玉ねぎ丸々一つを使ったベースを火にかけ一晩寝かし、お店で配合したスパイスを加えて仕上げた香り高いチキンカレーです。

店の名前が〝草枕〟というのは興味深いところです。いうまでもなく、これは旅にかかる枕詞で、念のため、手持ちの国語辞典をひらくと「道の辺の草を枕にして寝る意で『旅』にかかる」とある。つまり人間が旅先で一晩寝るのとおなじように、玉ねぎをつかったベースも一晩寝かせることで、活力と滋味がうまれてくる——そんなふうにとらえることもできそうです。

あるとき窓際の席でチキンカレーを食べながら、ふと頭上に目をやると、たしか旧帝大の寮歌集だったと記憶しているのですが、なにやら古ぼけていて、かつ、めったにお目にかかれないような印刷物が違和感なく並んでおり、すこしふしぎに思ったことがあります。

来歴に目をとおしたら、店主は北海道大学出身、かの有名な恵迪寮で青春期を過ごし、北大カレー部の部長も務めていたという猛者。そこでいったん「ああ、なるほど」と納得したものの、いっぽう「カレー部ってなんだろう……」とあらたな疑問が湧いてきたりもする。

この一筋縄ではいかない感じは、煮込みに煮込んだ玉ねぎベースと各種スパイスが織りなす馥郁とした味わいとも結びついているはずです。ボースのことばを借りれば、草枕のカレーもまた「味みなあつて調和のとれたもの」であることはまちがいありません。そこでかたちづくられた〝調和〟には生を謳歌する姿勢もほの見えて、すなわちカレーを愛することは、世界をまるごと肯定するよろこびにつながっているのです。

そう自信満々に断言したいところですが、例によって、わたくしの深読みかもしれません。

◎curry 草枕:オープンは2007年(平成19年)。2013年(平成25年)に現在の場所に移転。チキンのほか、なすチキン、トマトチキン、なすトマトチキンなどメニューいろいろ。https://currykusa.com

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