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いいモノは二回目で出来る


芸術やアートを学ぶ学校に通っていたので学校祭がない代わりにファッションショーがあった。培った能力や技術など一年の集大成を家族や来賓される方々にお披露目するといった内容で各コースそのショーに向けて企画を練り色々と制作に励んだ。

学校祭というと楽しそうなイメージがあるが本格的に大きい会場を借りてランウェイをセッティングし、音響や照明などといったその道のプロが関わる本格的なショーだ。私はなぜかそのショーで出る側はもちろん流す音楽を決めたり、どんな色の照明を使うか、上手下手といったランウェイを歩く順番や立ち位置、ショーの後ろのモニターで流れる映像の素材を集めるなどといった構成を決める役割もいつの間にか担当していて実際にショーなどを手掛ける制作会社や舞台照明の会社と打ち合わせというものをした。

軽い気持ちでいたが、実際に打ち合わせをすると制作会社の方々は私を含め一緒に打ち合わせた他の学生に対して一切妥協をせず子供のような扱いもせず仕事の目線でどのタイミングで音楽を流し照明のフラッシュの確認やショーのコンセプトについて深く掘り下げ舞台上のスモークを出すタイミングなど、とにかく真剣に向き合って話してくれた。学生ながらあの張り詰めた雰囲気を経験できたことは今でも凄く貴重だったなと感じる。

実はこのファッションショー、私は誰にも話していないとんでもない失態を犯してしまった過去がある。後に物事に対する考え方が変わったきっかけだ。

会場には大きいモニターがセッティングされているのだがこのモニターにはランウェイを歩くモデルが着ている衣装に合わせテーマに沿った色んな画像がスライドのように映し出されるように最初の企画で決まっていた。画像の出す順番やエフェクトのタイミングなど全てを作りUSBデータにして制作会社に渡す予定だったのだが学校に残り慣れない作業でなんとか作り上げたそのデータがなぜかエラーを引き起こし開けなくなってしまった。当時の情報の先生にお願いしたがそれでもダメで完全に作り直さなけらばいけなくなり職員室でとても駄々をこねどうにかしてほしいと粘った。

その時、職員室にいた先生が私のところまできて「一度目より、二度目の方がいいモノになったりするんだぞ。もう一度やってみたら一度目より案外良かったりするんだから頑張ってみなさい。」とさらりと言った。最初はめんどくさいという気持ちが込み上げたがそのデータを制作会社に渡すまでの期限が残り五日ちょっとでわがままを言っている場合ではないことぐらい自分でも分かっていた。それでも学校に残って試行錯誤しながら作り、なおかつ職員が帰る時間になっても終わらず学校を追い出され当時、家が近くで同じ構成企画を一緒にやっていた友人の家にまで転がり込み夜の九時頃まで粘って作ったデータだ。そんな簡単には執着を手放せず、諦めきれなかった。それでも作らないと困るのは私だけではない、あの時先生が言った一度目よりいいモノが出来るという言葉を信じ、やるしかないと土日を返上して学校へ行き限りある時間を使って作り直した。


結果的に誰にバレるでもなく怒られることもなくデータの受け渡し期日に間に合いことは済んだ。実際に出来上がったデータをショーの映像で見たときにあれ、悪くないな、と感じた。あれだけ駄々をこねて執着して手放せなかった一度目の作品より二度目に作ったその映像が次々にランウェイを歩くモデルの後ろで流れるのを見てとても感動した。案外いいモノが出来てしまったのだ。モニターに流れる映像で一枚だけ好きな画像があり、その画像の編集にだけ一度目も二度目もとても頭を悩ませ時間をかけた。それも結局二度目に作ったデータの方が良かったと今でも思う。

一度目より二度目の方が良かったと思えたワケには一度目の作品という比較対象があったから、これがなければもしかすると本番のショーで流れた映像を見てもっとこうすれば良かったと後悔が残ったかもしれない。そのまま何も思うことなく感動して終わった可能性だってあるけど、苦労したからこそ私にとってあのショーはとんでもなく大変な思い出の一つになった。不思議なことにあの時は、二度とこんな思いはしたくないと怒りすら覚えるが理不尽にも起きた災難や経験は時間が経つとやがて笑い話や、いい思い出となってしまう。データが開けなくなった時は血の気が引いたし何百枚と集めた素材が全部紛失した時は絶望したが今日初めてここで書いて自分でもよく頑張ったなぁ、と少し褒めたくなってしまう。


トラブルや理不尽な災難は出来るだけ起きない方が嬉しいし幸せだ。でも人はピンチなときほど威力を発揮したり、使命を課せられるほど能力が開花したりするのかもしれない。いやだけど、めんどくさいけどそういう経験はしておくべきなんだと学生ながらに思った。大人になった今でもなぜ私ばかりこんな災難が起きるんだ、と思うことがたまにあるけど人と会った時にそういえばこの前…と災難にあった話をすると大体の人が笑って話を聞いてくれる。大切な人たちがそれで笑ってくれるならやっぱり経験してよかったのかも、と思ってしまう。

そんな経験をして以来これでいいや、と思うことが減りこっちはどうか、あっちも試してみようと色々なことに対して探求する精神が湧き物事に対してあまり妥協しなくなった。こだわりが強すぎて自分がめんどくさくなることもあるけど悩み抜いて決めたり苦労して作ったり、色々試してこれだと思ったものは形があろうがなかろうが長く大切にできる。

noteを最初に書き始めたとき、うまく書けずすぐに投げ出してしまったこともある。それでもあの時のように重い腰を上げてもう一度視点を変えて書き始めたら自分でも納得する文が書けてしまうのだ。たまには手を抜いて自分を甘やかすのも悪くないけど自分から意欲的に取り組んだ物事に対して妥協せずもう一回と試行錯誤する精神は今もずっとずっと変わらない。

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