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【小説】就職運動酩酊(めいてい)記【188枚】

初出:早稲田文学2015年春号

 一

『大衆料金』と書かれた床屋の看板が足元を転がり抜ける。
 雑木林に雨粒が卍巴(まんじともえ)と舞って、横からも下からも吹いてくる。風に逆らうだけの傘などとっくに捨てた。
 たどり着いた家には『塩焼』と書かれた木札が、黒い油塗りの玄関扉に釘付けにしてある。札はかまぼこ板の転用に見える。
 扉の脇に取りつけられた呼び鈴を鳴らした。
 脇には竿が立つ。先に箱が添えてあるが、丸い穴が空いているところを見ると郵便箱ではなく、巣箱だろう。
 開いた扉の隙間から茶封筒が現れた。雨が浸みない様にビニールで包んである。
 林中の空き地に家を建てた漫画家先生から原稿を受け取って、ふきしく雨のなか、前後行き来も絶えた往来をバス停までたどり着き、一時間後、飯田橋にある雑居ビルの一室に納まった編集部に戻った。
 三時間前に飯田橋が台風二十一号の目のなかに入った時、
「あ、雨上がったね。原稿取って来て」と命じた編集長は、シャツの裾から水を滴らせて事務所の玄関に立つおれの姿を見るや、振り向きざまに腹を抱えた。
 原稿取りの働きをして五年が過ぎた。吹雪の隅田川を越えた日もあれば、気温が三十九度に達した真夏の昼下がりに、駿河台に聳(そび)える塔のごとき石段を手をつかんばかりに登った事もあった。その上でもらった原稿袋を帰りの電車で開けてみれば鉛筆書きのまま。中身を見た編集長は、何も言わずに電話のボタンを連打する。再び鉛筆書きの原稿を漫画家に届ければ、雷に誘われた雨が階段を滝にしてしまい、やむまで軒のしぶきに首を縮めながら滝壺を見下ろしていた。
 こうした原稿取りを日ごと繰り返そうとも、身に着く編集の業(わざ)は露(つゆ)ほどもない。休みの前の日にビール缶を提げて帰る習慣が身についただけである。編集長は『編集をしない編集』と呼ぶから、編集の見習いをしているわけではなく、一人前の原稿取りなのである。
 このまま編集部から出ずっぱりの暁に、当たり前の出版人への段取りがつくのだろうか。
 暮れも近づいて、植木屋が雑居ビルの入口に正月の飾りをつけに来ていた日、夕暮れの机に向かう編集長の姿を見た時、十年後の自分も依然、茶封筒を抱えて飯田橋の路地裏を歩いている様に思われて、久しく慣れた出版の道を横に外れてみる事にした。
 何になりたいと、望みも思案もあるわけではないから、モラトリアムである大学に入ろう、入って大学生と開放的な話をしようと考えた。押入れから参考書とともに埋もれていた受験雑誌を引っ張り出し、偏差値を下から調べてみれば四十二からある。夜間部の、学科は神道学科とあるから夕べに神の道を学ぶ学校である。
 取得資格の欄に『神職免状』とある。
『教員免許』が教壇に立つための物である様に、神殿に上がってはたき状の物を振るにも免状があるらしい。
 神主が免許制とは知らなかった。免許制という事は、条件を満たせば誰でもなれるという事であり、つまりは自分でも構わぬという事である。
 免許を得たくらいで人についた何かを払拭できるのかとも思えたが、神主の働きぶりを見る限りは、自分でもこなせそうである。こなせるどころか、社会的地位のある職でこれ以上雑作ない仕事があるのかとさえ思えてきた。少なくとも陽炎(かげろう)の立つ江古田の駅前で、原稿を待ちながら一時間立ち続ける事はない職のはずである。
 受験には面接がある。『面接では神職として、社会に貢献して行く熱意があるのかどうかを確認します』とまるでこちらの肚を見透かしたかの様な事が書いてある。
しかしこれは十年近く前の案内書であった。
 原稿取りついでに白山坂上の本屋に入って確かめてみれば、今年から面接はなくなっていた。
 魂胆を確かめる場がなくなっていれば残るは学力だが、これもどうした事か、偏差値の欄には『なし』とだけあった。
 ついでに入学試験も、とはならずに、これは三月の下旬に行われる由(よし)。入試科目は、国語と英語のほかに社会科がある。これは歴史か地理か政治経済かのいずれかを選ぶ方式になっている。歴史の年表など中学以来見ていないし、平安時代の前は奈良時代である事くらいは知っているが、その前になるともう知れず、皆で米を作っていた弥生人の身にいかなる革命が起きて、冠をかぶり始め、沓(くつ)を履きだして奈良時代になったのか、さっぱり覚えていない。地理などはソ連邦が消滅する前に習ったきりである。
 政治経済が残った。政治経済などは習った覚えはないが、習った覚えのないのはおれだけではあるまい。競争率をかんがみて政経で受ける事にした。何より偏差値のないところが受験料の三万を払おうという気にさせた。
 受験を明日に控えた晩、フランスパンに出来合いの卯の花をのせて食っていると、洗濯機から鉄球の転がる様な音が耳に入った。
 ズボンのポケットから鉄ぶちの袂(たもと)時計を出さずに洗濯してしまったなと思い出したものの、かつて安時計を洗っても無事動いていた事があったから、今度もそのままにしてパンを平らげる。洗濯の仕上がった合図に取り出してみれば、時計は錆が取れ、秒を刻むのもやめていた。
 ほかに時計は持っていないが、教場に時計は付き物だろう。時計を持たずに試験場へ向かった。
 郊外まで電車で出て、降りた駅から一分で街並みが疎らになり、代わりに畑が現れて、二分歩けば駅前が果てた。あとは畑のひろがる小路を、向かってくる耕運機を避けつつ十分ほど歩き、入学試験場の大学に入る。廊下に荷を卸している白衣の男が『合格カレー』『合格弁当』と書きひけらかしてある札を空の籠にさげていた。
 教室に入って席に着く。黒板の上の方をたどれば、時計が掛けられるべき壁に何もない。教室を見廻したが、灰色の壁は空いたまま、どこも時計がない。
 しかし入学試験である。なければないで、試験監督官が『あと何分』くらいは言ってみせるだろう、と臨んだ国語の試験、頭から順に解いて、残りは漢字の読み書き、五問ほど残したところに響いた、「やめ」の合図に鉛筆を置く。一週間後に届いた薄っぺらな封書には『残念ながらあなたのご希望に添えませんでした』と記され、三百満点の合格最低点百三十五点に、五点足らなかった試験結果も告げられていた。
 募集要項を下駄箱から引っ張り出して見れば、今年から神道特別枠として神社の子弟を優先入学させるため、一般の募集人数が半分になったとある。
五点違いの時計なし、募集人数が半減した試験の心残りが、翌年の受験へと駆り立てた。編集部と漫画家の家をめぐる領域から抜け出せぬ編集仕事を十一月で辞め、三月の入試日まで受験勉強をしてみる事にした。
 退職金は出なかったが、編集長は妙な水色のビニールバッグをくれた。
 頭と体を簡単な線で一筆に描いて、描いた線がそのまま袋の形になっている。何かの漫画の人物だろうか。眼鼻口も、ことごとく一本の線で片づけられている。掲(かか)げてみれば、海坊主を草書体に崩した様な物が垂れ下がる。
「これは何ですかね」
「海坊主だよ」
 前回、国語は解答欄に書くには書けた。政経は全問選択肢式であった。英語は問題文のほかは通信暗号にしか見えなかった。
 受験勉強を始めるべく、買ってそのまま七年が過ぎた英語の参考書を、押入れから引っ張り出したものの、座敷のちゃぶ台は鞄が置かれ、ズボンが掛けられ、缶ビールが積まれといった具合に物置棚として整えられつつあり、参考書を持ったまま置きどころがないから立って読む。缶ビールを開ける。
立ち飲みしつつ、立ち読みの受験勉強を続けるうちに、日は伸び、路地裏にも梅の香が漂いだした。
 受験の日、朝の七時に駅の地下鉄ホームに行けば、電車のなかのごとくに人が立ち、階段に立つ者まであった。
 郊外方面の電車は駅にとまっている。
 開きっ放しの出入り口に立ちながら募集要項を開く。『三十分以上の遅刻は受験できない』と書いてある。これは三十分以内ならば受けられるという決まりにも解せる。シャツの袖の上から手首に留めた腕時計を見れば、試験開始まで一時間ある。ほどなく動きだした。
 三十分ほど電車に揺られ、改札口が一箇所しかない駅に着いた。駅前は学校へ向かう小学生が目立つ。
 紋白蝶(もんしろちょう)が低く舞い、雀の跳ねる大根畑の隣では、黄色い帽子をかぶった小学生がランドセルを背負ったまま、畑に埋もれた苗を引っこ抜いては、声も上げずに放り投げている。
 開始時間に遅れずに教室に入った。教室には五人しかいない。後ろの席に着いて黒板の上を見れば、時計が掲げられていた。
 国語の問題を解き続け、残りは漢字を残すのみ。自ら机に置いた腕時計を見て、「あと五分か」と思えば、試験官の、「あと五分」と告げた声が教室に響いた。
 合格発表の前の晩、台所で立ちながらハムエッグを食っていたところに、「郵便」と扉の向こうから声がした。
 大学の本部とは同じ区内であれば、速達便はその日の夜に届く。郵便配達夫が渡した分厚い封筒には、中味を見ずとも知れた合格の通知が入っていた。
 手続き書類にまじって、二部学生向けの案内紙が入っている。一枚は昼間に大学図書館でのアルバイトの誘いであり、二枚目は、神道学科に入った学生に向けて『奉仕学生』の勧めである。神社に住み込み、昼間は神社奉仕、夜は学校という仕組みであった。奉仕料は月三万から八万前後と、奉仕先神社によって幅がある。
 光熱費も食費も浮く上、おれのごとき神社と係わりのない者が神主になるにはこれが定法かとは思ったものの、時の拍子で神社に寝泊まりして、真夜中に目が覚めてしまったら、何が見えるか知れたものではない。月数万の奉仕料も鑑みて、一般の学生として通う事にした。
 届いた案内に、三月二十六日に高校の卒業証明書と学費を大学まで持参せよとある。
 卒業証明書のために、六年ぶりに高校に行けば春休みで学生がいない。男子校の伝統で、門は開けっ放し、正確に言えば門ではなく、観光バスの全長ほどの鉄の柵である。先の尖った鉄の柱が前と後ろへ互い違いにかしらを振って並び、柵と呼ぶよりも、バリケードである。それが今日も放たれている。
 元から守衛の立たない門を通って事務室へ向かう。薄暗い廊下の硝子越しに、寄せ書き入りの十六条旭日旗が陳列されているのは、ここが元陸軍士官学校だったためである。
 窓口は硝子が閉まっている。ここの窓口は閉ざされているのが常態で、そのまま引いても開かない仕掛けになっているから、硝子の窓を一、二度上下に揺らしてから引く。
 開いた窓口から声を通す。
「あの、卒業証明書が欲しいんですが」
「窓口しまったよ」
 灰色のチョッキを着た男は首だけを向けると、予期に反した事を言って立ち上がった。
 窓口の脇に、春休みは窓口時間が短くなって正午までと張り出してある。
時計は十二時五分過ぎを示している。事務員を見てもこちらを向かない。
「昨日はもやし味噌だったから、今日は田舎ピラフだな」などと呟きながら鞄の口を締めた。
「ええと、無理ですか」
「だって、誰もいないじゃん」とたちまち返して、事務机の引き出しを開けては閉めて、用紙の棚に手を下ろそうとしない。窓口時間は書いて張り出してある。それをお互いに守って何の不都合があるのかとの伝統的な窓口係の姿を見せる。
 入学手続きは今日一日だけである。
 それほど難しい相談をしたつもりはなかったが、窓口係とは始めから立つ場所が違っている。見れば脇に公衆電話があった。
 大学に電話をかければ、「今度で構わぬ」との計らいであった。
 ついでにかつての担任に報告しておこうと思い立って、職員室へ行く。
「失礼します」と言うだけ言って勝手に入れば、一人二人いるばかりで、担任はいない。シャツの胸ポケットに入れたメモ帳から一枚外して、大学に受かった旨を書いて机に置いた。
 高校の門を出たところで、チョッキの男がラーメン屋の赤い暖簾をくぐる姿に、思いのうちでは、酒屋の店先で血中アルコール濃度を0.2パーセント以上にせねば済まなくなっていたが、今は商業銀行から五十万を引き出して、大学へ出向いた。
 受験は郊外の分校で行われたために、初めて大学の門をくぐる。
 こちらは緑青を吹いた鉄の門扉が片側だけ開いてある。守衛は立っていない。
 校舎より出て来た三十恰好の背広の男が、門近くになって立ちどまり、右を向いてお辞儀をしてから出て行った。
 門をくぐった脇に神社があった。賽銭箱は見えないが、木々にかこまれた神殿が低い鳥居の向こうに鎮まっている。
 植え込みに仕切られた小路が校舎まで続いている。石で築かれた池を過ぎて、校舎に入った。入ったところに硝子を張った本棚が置いてある。背には金文字で何か書いてあるが、おれの読める文字ではない。しかし卒業する頃には読めるはずである。本棚の戸に手を掛けたが開かない。上下に動かしてみたが、開かない。見れば鍵つきであった。
『入学手続きは一〇〇七教室へ』との筆書きに、左を指した矢印の添えてある模造紙が、角材で組まれた看板に張りつけてある。
 矢印に沿って廊下を行き当たり、右を向けば『入学手続き会場↓』と看板の立つ、戸を放った部屋があった。壁に沿って長い机が並び、係が坐っている。上着を取ってネクタイをぶら下げた係に授業料相当の札の束を渡した。
大学職員は札束を数え、身を後ろにめぐらせて金庫の脇に控えた男に渡す。金庫番と話しだす。眼の前の事務手続きとは係わりのない様に話している。取り上げた釣り銭が一分たっても二分過ぎても手を離れない。果ては校内に職員を呼ぶ放送が流れ、職員が来るまでは、ほかに応接すべき事柄はなき様子で、釣銭片手に肩を後ろに向けたまま談笑というけしきを見せる。
 書類を手にしたかと思って見れば、記されていたのは、『職員食堂今週の献立』である。
「おっ、冷奴五十円じゃん」
「高いですね」
「でも世の中にしちゃ安いじゃん」
「定食は、っと。ハヤシライス!? うどんじゃ食った気しないしな。木曜日はふつうのカレーなの。変わりカレーじゃなくて。具がたっぷりのカレーあるじゃん。明日は、っと、ちゃんぽんカレー!? 何だ、ちゃんぽんカレーって」
「スープがカレーなんですよ」
「今日の夜は、あんかけ餃子と、イタリアン素麺か。うちの食堂は、夜になると創作料理ばかりだな」
「醤油ラーメンがないのがつらいですね」
「醤油ラーメンあるじゃん」
「昼だけですよ」
「あっ、夕方は日替わりラーメンだけか」
「日替わりって、だいたい味噌ですからね」
「狐蕎麦ってあるの。知ってる、狐蕎麦って」
 そこに、「年金、年金、また年金」と呟きながら、上着をつけない親爺が入って来る。
「あ、やっと来たよ。お釣りです」と眼の前の職員が向き直って十分握りしめた二百六十円を差し出した有様におれがなし得たのは、生ぬるい釣銭を会釈とともに受け取った事くらいであった。
 合格発表の翌日は、奮発して蕎麦屋で酔いながら天重を食ったものだったが、同じ日に、高校大学と続け様の窓口気質を見せられ、今し方払った五十万、この先卒業までに納めるであろう三百万近い学資は、とどのつまり、慈善金にすぎないのではないか、大ジョッキ何杯分なのかとの胸算用の萌芽が芽生えかけ、酔いの覚めたけしきで大学生になろうとする意欲も淡いものになりかけたのだが、せっかく受かったのだし、との俗な料簡が先へ進ませる。
 三日たって高校に出向く。今度は窓口の終了時間に間に合った。まだ十分ある。
 窓口係は電話をしていた。
「今度はすまないけど八十でやってくんないか。八十で収めてよ」などと話している。
このあいだとは別の男である。電話が済むのを待ってから、窓口を開けて呼ぶ。
「卒業証明書を取りに来ました」
「廊下を行ったところに自動販売機があるから、そこで証明書の用紙を購入して下さい」
 十六条旭日旗(きょくじつき)を横目に廊下を進む。突き当たりに鎮まっている自動販売機に五百円玉を入れた。紙に印字をする様な音がして、紙が出てくる。廊下を戻って窓口に行けば、『本日の業務は終了しました』との札が下りていた。事務室は闃然(げきぜん:ひっそりとしてさびしいさま)として人の気配もない。校舎に入り込んだ鳩が廊下を短く鳴きながら歩いている。
 四月に入って、入学ガイダンスのために大学に行った。入学の式は出なかったから、神道学科の同級の者を初めて見る事となる。案内通りに入った二〇〇八教室には、児童館程度の教室に七十人ほどが揃っていた。昔と違って、今や神主は女子でもなれるはずだが男ばかりである。坊主と角刈りで八割方は占められている。話しかけるのに一、二段の飛躍がいりそうである。
 チャイムとともに職員が連なって入って来て、壇上に並んだ。学生生活や授業について言って聞かせている。
 職員と交代に、海老茶の背広を着た親爺が教壇に立って、甲高い声で担任と名乗った。神主と教授を掛け持ちしているとも言った。
「まず授業中は椅子の背にもたれたり、肘を突いたり、腕を組んで授業を受けない事。神道学科は二年から明階課程が始まる。神職にも位階があって、上から淨階(じょうかい)、明階(めいかい)、正階(せいかい)、権(ごん)正階、直階(ちょっかい)と上下段々ある。諸君らは大卒の神職として、明階神職を目指す事になる。二年次に上がると、祭式行事作法という授業が始まる。祭式教室で御祓い祈祷の稽古をする。練習用の神殿があって、そこで白衣に白袴で行うから各自、装束店で揃える様に。大学の購買部では売っていないから。三万円はしないかな。また、神社実習が始まり、二年の夏休み、三年の夏休み、三年の春休みと、全国の神社で修行が行われる。この過程を履修して、必要単位を取る事によって卒業と同時に明階神職の免状が与えられる。質問のある者」
 担任が教壇の上から首をめぐらせたのに、おれはしぜん俯いた。
 前の方で質問をした者がいた。
「白衣、袴は購買部で買えばいいんですか」
 おれは思わず顔を上げて、声の上がった方を見てしまった。
 まわりの者を見れば、『よく聞いた。それを知りたかった』と言いたげな面で答を待っている。
 おれは、冷蔵庫にビールをいくつ冷やしておいたかな、と土曜の夜七時に思っていた。
 週が明けて、のっけの授業に教室に向かい、扉のノブを捻って引く。
 開く扉に背をもたせて、「あー」と言う濁音を口の端から洩らしながら、丸刈りの小僧が頭から仰向けになだれ出てくる。あやされた小児(こども)の様な眼つきに、おれは何も言わずにまた閉めた。これがほかならぬ神道学科の教室であり、この授業は担任が行い、席が決められている。
 出席番号のせいで、今の小僧がおれの席の隣になるから、この授業は必修であったが、履修放棄して来年以降に受ける事にした。
 次の授業までには間がある。一階に下りて廊下を歩いていると、学生課の壁にアルバイト募集の掲示板が掛っている。
 普通のアルバイトにまじって、耳にした事のある神社が募集をしていた。
張り紙によれば、仕事は来月、掃除とあり、時給は七百二十円とある。東京都の最低賃金が示されているのは、仕事というよりも奉仕に近い事を暗に示している。
 一日だけだが申し込んだ。
 当日朝の九時に、聳える鳥居を見上げながらくぐって社務所に出向く。
 集合場所の玄関先にジーパンにトレーナーを着て、学生風の男が二人立っている。
 見ぬ顔だから聞いてみた。
「一部の学生ですか」
「いや、二部です」
「えっそう。授業にいましたっけ」
「あ、神道学科じゃなくて、二人とも経済です」
 大工じみた身なりをしたおやっさんが、社務所からではなく参道の方からやって来た。両手に竹箒や熊手、塵取りを持っている。
「ああ、ごくろうさん。明日から建立七十周年の祭だから、今日はその準備ね。それじゃあ」と言って、竹箒などを配った。おれは熊手を受け取った。
おやっさんについて、ベンツやセンチュリーなどが三十台ほど並んだ駐車場を抜け、拝殿へ行く。
「まず、この辺からやってくれ」とおやっさんは去る。
 三人ともに顔を見合わせたが、まあ、適当にやっておけばいいんだろうと、それぞれ熊手で砂利をかいてならしたり、竹箒で葉を寄せたりする。神社より歴史の深そうな御老人がお参りに来る。
 境内では鳩がそこに二羽、あそこに三羽と駆けたり休んだりしている。それが皆、羽が白い。尋常(じんじょう)の灰色の羽をした鳩は鳥居の内側に入って来ない。
 おやっさんが戻って来た。片手で布を抱えている。
「ちょいと、そこの。梯子(はしご)を抑えてくれ」
 地下足袋のおやっさんが、おれだけを呼ぶと、拝殿の庇(ひさし)に梯子を掛けた。
 おれは熊手を地面に置いて、梯子を抑えた。
 おやっさんは畳んだ紫紺の布を脇に抱えて登って行く。庇のあたりで布を拡げた。
 拝殿に幕を張って、下りて来る。
 地下足袋から土くれが降ってきた。目に入ってはかなわないから、顔を伏せる。
 頭に何かが載るのを感じた。
「なんだろう」
 顔を上げれば、おやっさんの足があった。
「ああ、すまん」と口を利いて、おやっさんは降りた。
 おれは目が醒めた様な、近頃覚えのない心加減になった。
「あれいくらだと思う」と賽銭箱の前で幕を指して、おれに聞く。
そ んなクイズに参加するゆとりはなく、眉間で感情を示していれば、おれの返答を待たずに、「五百万」と自分で解答して手を拡げた。
 これが神社奉仕の手始めであり、買値五百万らしい幕のために手にした三千円弱は、懐に入る間もなく、行くつもりのなかった床屋の親方に直接廻る仕儀となり、「いつもと同じでいいんですかい」には、「短く」と注文した。
「いいんですかい」
「ええ」
 鋏(はさみ)を持ちながら、「どうしようかな」と言う。
「これ漉いたんですかね」と櫛で髪を上げた。
「どうなんですかね」
「こういう風にされるとやりづらくっていけねえ。いきなり短い毛が出て来ちまってさあ。今時の職人は」と言いかけたのに、
「このあいだもここですが。おかみさんに整えてもらいました」
「あ、そうか」
親方が、おれの髪の先をつまんで捩じる。
「普段は整髪料つけないんですかい」
「ええ。櫛だけですね」
「どうも、旦那は癖が強くてね。ワックス塗る時も、癖を取る様にしねえと。ワックスも、手でこすってから塗らねえとね。すぐ塗るんじゃなくて、からからになるくらい、こすってから塗るといいでさあ。今日はムースか、ワックス、つけときますかい」
 おれは、「塩ないですか。塩」
「塩ですかい」
「そう。塩振っといて下さい」
 親方奥へ。
 戻って来て、「かけていいんですかい」
「とくに、後頭部」
 床屋を出たところで伸びをしていると、「あっ」と言う短い声が聞こえて、頭にかぶさる物があった。地面に落ちる前に手にすれば、紅く花柄を織り込んだ麦藁帽子である。
「すいませえん」と頭の上からする声に仰ぎ見れば、床屋の娘がベランダから顔を出していた。
「今行きます」
「あ、そのままで」
 おれは帽子をベランダに投げ込んで、娘は抱える様に受け取った。
 床屋の時計が二つ鳴った。空は晴れ尽くしていよいよ蒼い。


 神道学科の一年は、丸刈りと角刈りの後頭部を見ながら夕方の三時間、授業を聞きに行くだけ。大学というよりも、講習会にでも通っている様な心持で過ぎた。
 せっかくだからと古事記の授業で質問してみれば、「何ででしょうね。研究してみて下さい」と言われ、現代宗教学の教授は、授業が終わってから教壇に出向いて質問したおれに答えず、「あ、大越君、ちょうどよかった」と教壇を降りて、大越君と廊下に姿を消してしまう有様で、それからは教授の授業もでたらめなクイズにしか聞こえなくなった。
二年に上がってお盆を過ぎた頃、神社実習の手始めに代々木の神社に集まって修行が行われる。これを二万五千円払って申し込んだ。『ダークスーツ』着用と修行の栞(しおり)に定められていたから、これも買い揃えた。ダークスーツとはいかなる物かわからなかったから、服屋でダークスーツを注文したら紺の背広を持って来た。
 四泊五日の初日、境内にある神宮会館という研修所の様な家に集合した。
玄関前にタクシーで乗りつけ、玄関の自動扉から入れば、広間には五十人ほどが紺のスーツ姿で坐っていた。
おれは昭和一桁生まれの山岡さんの横に坐った。この人も学生である。
「今、タクシーで来なかった」
「タクシーで来ました」
「こういう時は、鳥居の前で降りて歩いて来るんだよ。会社だって、ひらは門の外から歩いて来るものだ」
「なるほど」
 ほかの連中はネクタイを締めている。おれはネクタイの結び方がわからず、頸に掛けていた。
 垂らしたネクタイの片一方に、今一方の先を巻きつけて裏から表へ通す。緩い輪っかが出来上がっただけで、結べたわけではない。
「ええと」
おれのネクタイを持てあますていに、
「何だ、しょうがないな」とソファーによせた身を起こして言うや、結んでくれたのは山岡さんである。
「上着は、ことごとくボタンを締めない。下の一つは開けておくものだ」
スーツの着こなし方まで教えてくれる。
「サラリーマンとか皆、こうなんですか」
「大抵こうだね。三つボタンでもこの頃は、まんなかの一つを留めるだけになってきたね。でも、何だか、七五三みたいだな。スーツ着た事ないの」
「はあ、あまり」
「でも、大学に入る前は仕事していたんだよね」
「ああ、あれは野良仕事みたいなものなんで」
 修行の栞をめくると注意書きがあった。
『廊下を大声を上げて走らない』
出席番号ごとに割り振られた部屋に入り、ダークスーツから白衣白袴に着替える。杓(しゃく)は持って来なくてよいとの指令だから、手ぶらで玄関先に集まった。
 白衣袴の五十人が神宮会館の車寄せに並び、玄関を背にした神主に対する。神主も学生も白い鉢巻を締めている。
 神主が鋭く、「番号」と言った。
 それに応じて学生が、端から、「一、二、三、四」と高声で答えて行く。
 それが三十幾つで滞った。
「もとい」と首を捩(よじ)って絶叫したのは神主である。
 たまげている暇はなく、再び端から、「一、二、三、四」と続き、端の者が、「五十」と言うに及んで行動開始となる。
 宗教者としての行動は、前を行く者の足取りから眼を離さずに行進するというもので、それはこの時から毎日、朝昼晩と繰り返され、同じく白衣をまとった教官の、人の耳に叩き込むかの様な、「左、右、左、右、左、左、左」という全員の足並みを揃わせようとする掛け声も、白日の蝉しぐれの下、遠く近くおぼろげに聞こえ、行く先を持たぬ行列が、整わぬ足並みで烏の舞う境内をぐるぐる行進し続けた。
 泊まり込みの実習であれば、部屋ごとに二段ベッドが入っている。神主たる者、いかなる時でも神前に馳せ参ぜねばならぬから、袴だけ外した白衣のままの寝巻姿で横になった。
 全員、朝の五時には寝棚から離れて、禊行が行われる。
『禊場』と札の出された室の前に、大学の生協で五百円の白い鉢巻を頭に巻いた男ばかりが五十人、越中褌(えっちゅうふんどし)一丁の恰好で揃った。  脱いだ白衣は畳んで、これも五百円の白い風呂敷で包み、床に置く。
 禊場に入る。長細い桶が据えつけられてあり、皆で桶の前に列す。
「えいっえいっ」との掛け声に、褌姿でしゃがみつつ小桶で水をすくっては、両肩に水をかける。水はぬるい。「やめ」の合図に小桶を置く。庭に下りる。庭と言っても、石も何もない。芝草が生えたい様に生えている。
 皆で円に立つ。
「えいほ、えいほ」との掛け声で、櫂(かい)をつかんで水面をかいているかの様に、船をこぐしぐさをしたかと思えば、「たまー。たまー」「みこーとー」と両手を腰に当てて天に向かって伸び上がり、しまいに、「えいっ」と気合を入れながら二本指で手刀を切る。などと、今の今までした事のない動きのあとは白衣袴(はくいはかま)に戻り、玄関前で日の丸を抱えて竿に結び合わせる。
 上がり切るまでに、「では、君が代を二回斉唱します」
 皆で二回歌上げれば、三十分前にした動きのおさらいの間もなく朝飯となる。
 普段のおれの食い方と言えば、一人で手の込んだ物を食っても仕方がないから、南瓜をまるごと炊いて食う。芋も一本まるごと蒸かす。飯を炊いた時は佃煮に茶を掛けて済ますという具合に、簡便な手間に偏った調理になりがちなのであるが、修行では実習費として二万三万受け取っているため、こちらのお膳には初日の夜、伊勢豆腐に茄子の揚出、風呂吹大根が出された。
 お膳は厨房に入ったそれなりの人が作り、宗教者が拵えるわけではないから、ここで一息つくかたちが、今朝は粥を前にして、白衣の神主が胡麻塩の瓶を片手に厨房を背にして立っている。
 右手に持った胡麻塩を差し上げたと思えば、「これは胡麻塩である。胡麻塩と言うのは、胡麻と塩が入っている」と口を開き、続いて後ろのカウンターから椀を取り、「これは粥である。粥と言うのは」と続けたのは、この場での修行の始まりを告げたものであった。
 修行の場であれば神主の出番に違いなく、一つの声も立たぬ食堂で粥をすくい込んでいると、
「踵(かかと)が上がってるぞ」との声が食堂を貫いた。
 何かわからず一座の者に眼を転じたが、皆が皆、椀を手にしながら読めぬ顔をして、ほかの者を見廻している。
「上品に食え。食事中に踵を上げるな」
 それからは、粥を食うあいだに聞こえる声と言えば、「踵をつけろ」「踵を上げるな」のみ。一と箸食べては踵を見るという具合に、箸を動かしながらも思いは寄木の床に置いた踵にあった。
 食う前は食う前で、江戸時代の学者が作った和歌を詠み上げる。
 たなつもの 百々(もも)の木草も 天照(あまて)らす 日の大神の めぐみ得てこそ 
 これを二度詠む。
 晩飯になると、食い残す者が出た。神主が、「残した者」と号令の様に言えば、三人ほどが手を挙げた。
「なぜ残した」
 神主が端から問いかける。
「お腹がいっぱいでした」
「次は」
「お腹がいっぱいになりました」
「次は」
「お腹がいっぱいになったので」と揃って同じ答に、
「仕方がないな」
 食い終われども茶などなく、一個のコップが出される。膳を片づけたあと、端の一人がコップを持って給水機に向かう。残りの者は何も持たずに続く。食堂の給水機に一列となって、コップを順送りにして飲んでいる。   
おれは給水機に並ぶ事はせず、部屋に戻って家から持ってきたペリエを飲み、カロリーメイトをかじった。
 実習の予定表に『映画鑑賞』とある。娯楽のための映画ではない。
 題名が『てりひかる東亜』である。のっけから十六条旭日旗が大写しになるという、どこかで見た景色の記録映画をカーテンの引かれた部屋で見る。
映画の幕が下りて、カーテンが開けられた。明かりもつく。見る限り、学生のどの顔にも愉快なものは浮かんでいない。
 神主が感想を聞きたいと言う。おれに。
 別にこれと言っておつな答も思いつかないから、「ふうん」とも、「ううん」ともつかぬ返事をすると、神主の顔色が赤味八分の土気二分に変化したから、「言葉にならないくらいです」とありのままを言えば、「よし」と言って、顔色が回復した。
 あくる日、神社の森についての講義があった
「この神社の森の木は全国から集められ、今で言えばボランティアによって植えられ、その一人一人の聖汗(せいかん)が」という話の締めに、昨日の神主がおれの名を呼んだ。
「はい」と顔を上げたら、「やっぱいい」と言った。
 境内にある神道美術展示館に出向く。歴代天皇の肖像画が掲げてある。
『自由に見学してよい』との指令に、おれは神武天皇の肖像画を見上げて佇(たたず)む。天井に空いたエアコンの吹き出し口から涼しい風が流れて、おれの撥ねた髪を揺らせていた。
 晩飯に胡麻豆腐や山掛け豆腐を平げたあと、神主が瓦葺(かわらぶき)の平屋に学生を連れて入った。電燈に滲(にじ)み出された戸口の鴨居(かもい)には、太い字でこう掲げてあった。
『正座室』
 この家は『立入ヲ禁ズ』の立札の向こう側にあり、参道からは木々によって遮られている。
 玄関から草履を脱いで上がる。襖が開け放たれている。室には文机が並び、紙と筆がある。書道教室の様にも見える。
 正座室だから、皆正しく坐った。
 前に立つ神主が告げる。
「居住いは心を正す。これより夜の大祓行法(おおはらえぎょうほう)を行う」
 大学一年次の時、日本書紀の授業があった。
『昔、祈祷(きとう)に祝詞文を持って行くのを忘れた者がいてな、どうしたと思う。代わりに大祓を読んで済ませたそうだ』と教授が手柄の様に言っていた。かくのごとく大祓詞(おおはらえことば)は神道学科出にとって、そらで言えるほど馴染みのある御祓いの言葉である。この大祓詞を正座をしつつ書き写す。
 写し終えて、
「これより大祓詞奏上を行う」
 それを合図に、写した紙をいっせいに掲げた。上座に坐った導き役の神主が、おもむろに読み始める。冒頭の一節を読み終えると、次のパラグラフから皆で声を揃えて奏上し始める。
 大祓詞は一遍(いっぺん)読むのにも三分近くかかる長い物である。一度で済めばおぼろげな思い出も、十遍、二十遍、果ては三十遍と繰り返すうちに、胸に畳み込まれ、記憶として刻み込まれる。始めから正座であれば、五、六遍行ったあたりで小刻みに震えだし、二十遍過ぎれば、蹲(うずくま)りつつある者もあり、手をつき肘をつき、腹這いの姿勢で声だけがなりたてる有様に、何かが感応したのか、正座室には夜空に穂を引く稲妻に導かれ、雹(ひょう)のごとき雨が降り注いでいた。
 門を閉ざした境内の宵闇(よいやみ)が濃くなる。雨は上がる。
 皆でとぼとぼと正座室を出たあと、再び神宮会館の前に白衣が並んだ。
燈籠(とうろう)が一定の距離を以て参道を灯(とも)している。灯篭の明かりに遠い地の上は闇である。その明かりの下、動き続けるのは毎度の白足袋である。敷き詰められた砂利の、ほのかに明るい上を踏み、縦列の歩む音は力強く、ここは元練兵場(れんぺいじょう)であったのだが、百年たとうが、また軍人から宗教者に変わろうが足並みを合わせて進んで行く。
 日の暮れた参道の両側には杜(もり)の闇がひろがり、折々吹く風のために枝葉が鳴る。木々を抜ける風のまにまに啼きしきる虫の音とともに、山手線の車輪の音が伝わってくる。町なかの空気でもなければ、田舎の空気でもない。これが人々の言う聖域の空気なのだろう。
 前後に白衣がいるばかりで、ほかに人のいない参道の端を行く。参道のまんなかは神用に指定されているため、参拝者がいなくとも端を行く。参道を左に曲がり、星のきらめきに聳(そび)える鳥居をくぐれば、行く手に拝殿が見えてくる。賽銭箱の並ぶ向こうにまでずっと入って、本殿を拝しての夕拝行事が始まる。
 ここも正座となるが、板の間ではなく、石畳である。覚えず、「えい」と気合を入れて坐る。鉢巻を締め直してから正座をする者もある。
 学生の当番が祓詞(はらえことば)を奏上し、別の者が交代に、棒の先に幣帛(へいはく)をつけてはたきの様にした大麻(おおぬさ)を持って御祓いを行い、続いてまた別の者が大祓詞奏上を執り行った。
 前に居た神主が立ち上がり、こちらを向いた。
「これから魂振り行事を行う」
 坐りっ放しの学生は、それを合図に、腹の前で両の掌を膨らませた形で左手を下に、右手を上に合わせ、上下に振り始める。この魂振り行事の目当てが、己の魂をよみがえらせる事にあろうとも、揺らせば揺らすほど膝にこたえ、揺れるのはむしろ体の方で、手は腹の下に保ったまま、中腰になりつつ、『やめ』の号令を待つ。
 ここまでに二十分間かかる。
 その後、黙想十分。黙想なるものは、神道の儀式なのだろうか、こうしているあいだにも大学に一杯食わされているのではないか、おれは確か大学生のはずだが、との問いが出てくるばかりで、十分黙想とは言うものの、言われたこちらとしては想いを黙するどころではなく、想いは明らかに石畳の正座に向くわけで、声もなく虫の音さえ届かぬ場にあって、呻吟(しんぎん)を頭のなかに抑えながら、慄(おのの)く膝をこらえつつ、『これがひとしお思い出に残りました』と修行明けの反省文に記したのである。
 最終日、朝飯を食って白衣袴からダークスーツに戻った。皆で拝殿に並び、無事に修行を済ませた旨を御祭神に報告する。
 報告を済ませると、神楽殿という鉄筋造りの建物へ向かった。
 巫女さんがいた。長い机に杯を積み上げ、急須を置いて控えている。これは学生ではなく、本職の巫女さんである。白衣に緋袴(ひばかま)の巫女さんに杯を渡されて、酒を注いでもらう。
「おつかれさまでした」と笑ったから、「ありがとうございました」と礼を述べて、杯を口に当てた。
 日本酒の味を初めて知った。なんだか、とてもうまかった。
 帰った日はスーツを脱ぐと、二時過ぎにはそのまま座敷の畳で寝てしまった。
 夏休みが過ぎて、九月の下旬から授業が始まった。日本書紀を鉛筆で紙に写して、それを針と糸で和綴じにして本を作った授業のほかは、行くだけで済んだ。テストも教科書を見ながらのものである上、テストのない科目さえあった。
 三年に上がって夏になれば、代々木の神社よりも一回り大きな神社へ修行に行く。
 今度は神宮会館ではなく、神宮道場という館に泊る。
 開け放しの玄関から入ると、色の黒い男が白衣袴のまま机を出して受付をしていた。太い腰を椅子に据えて、袂もろとも腕組みの姿で四角くなっている。眼だけ向けた。
 半身(はんみ)になって近づいて、修行の栞を貰い、部屋に向かおうとした先に、
「まてえい」と玄関いっぱいに響いた。耳にもこたえた。
 呼び止めた受付の神主が、「まだ終わっていない」と力んで続けた話は、 「ここに来た以上」という心構え。
 神宮会館の部屋はユースホステルのごとき造りで、絨毯の敷かれた部屋には二段ベッドの寝床が収まっていたが、ここ神宮道場は平屋の旅館風であり、大部屋の端に蒲団が積み上がっていた。腰高の窓が二面に嵌まって、白木の格天井からは緑青(りょくしょう)を吹いた電燈傘がぶら下がる。それが縄文土器の様にうねくった文様を浮かせている。
 神宮道場は境内の外にある。実習の栞に、『白衣は僧侶の袈裟(けさ)と意味があべこべだから、白衣のまま境内から出てはならない』とあり、修行や講義のために境内まで行く場合はスーツに着替えて出る。
 外はすぐ、一筋の長い観光町であれば参詣戻りの人々も多く、『一粒万金丹』と金地に黒い文字で看板を出す薬屋の前を、ダークスーツに白い風呂敷包を引っ提げて、口を結んだまま前の者と足並みを揃えて行進し続ける列を、「修学旅行かしら」とソフトクリームを嘗(な)めながら見そこなう者もあった。
 それが朝ぼらけに川での禊となればお構いなしか、森の果てに月が残る時分、道場の前に整列した白衣袴五十人の先頭の者が、「えっほ」と呟くがごとくに言って、道場から駆け足で出た。続く者も次々と、「えっほ」「えっほ」と駆けて行く。
 おれの足の裏は、土踏まずが高い。風が通り抜けるほど草履との接地面が少なく、どうかすると脱げそうになる。爪先で草履を抑える様にしてついて行く。
 瓦葺の家がうち並ぶ暁(あかつき)の横丁を駆け抜け、煮豆屋の角を往来から離れた川へと駆け下りる。袴を外して帯を解き、河原の砂利の上で褌一丁の姿になる。水藻の花が白く揺曳(ようえい)する水際から、鳥居が並ぶ川に入って体を浸した。
 水面には水鳥がたゆたい、斜めに流されては、足を搔いて戻る。大祓を唱える学生の列に向かって、横手から巨大な鯉がやって来た。肩のあたり、人によっては顎の先を泳いで学生の皮膚を突っついている。
 鯉のためには餌場の禊場から上がって白衣を着る。道場には戻らずに、今度は歩いて境内へ向かった。鳥居の内側に入る。先頭の神主が、「えっほ」と口から出した。出したと思ううちに走りだした。一瞬間、遅れた学生は、「えっほ」「えっほ」と口々に喚きながら杉木立の参道へ向かって駆けて行く。列も何もない。
 こうした儀式を朝早くに済ませれば講義などは眠気を誘うだけで、おれは眠気覚ましにノートに自動筆記を行っていた。
 講義の行われるのは、研修室風に机と椅子が並んだ部屋であったり、日焼けした畳の部屋であったりと、境内に点在する建物によって部屋の趣も変わるが、お守り売りの実習の日に、檜(ひのき)の臭いを嗅ぎながら緋(ひ)の絨毯の敷かれた廊下を行けば、廊下に面した部屋の襖が開いていた。見れば蘭菊(らんぎく)が飾られ、日輪月輪(にちりんがちりん)を描いた金屏風が立て廻してあり、壁自体も光っている様であった。学生は素通りして行く。
 祈祷についての講義では、年の寄った人が白衣に袴で入って来た。
 畳の部屋には文机が並び、正面に黒板が立つ。
 講師の神主は屈むと、前に坐る学生にプリントを渡した。
「ええ、こりゃ、あとで戻すもんで、書いたりせん様に」
 神主は坐って膝に手をつく。
「暑いのう。今年は台風も来んで。みんな足つらそうだから崩してごらんなさい」
 そう言うか言わぬかのうちに膝を崩した。学生も倣って膝を緩める。
「わしはここで祭儀部に属しとる。三十五年、祈祷をしとってな。総理大臣をお祓いした事もあったかな。あと、大蔵大臣、郵政大臣、自治大臣、建設大臣…」と大臣の種類を継いで天井を仰ぎ見る。
 おれも見上げた。一本の蛍光管に蝉が貼りついている。脇の網戸は閉まっている。網戸の向こうは、四つ目に組んだ垣根を柘植(つげ)の木が抜いて、玉砂利に影を敷いている。
「若い時に松下幸之助が来とったな。初穂料として一千万納めとった。やっぱりああいう人は偉いもんじゃ」
 蝉が短く啼いた。講義は続く。
「一般の方でもな、祈祷は受け付けとるが、ほかに祈願する方たちと、まとめてお願いしとるがの」
 年の寄った神主は天井を見る。
「ちょいと網戸を開けてくれんかの」
どうやらおれに命じたらしいから、手を伸ばして網戸を開けた。
 神主はプリントの束を手に立ち上がった。
「そら」と言いながら、蛍光管の蝉に向かってプリントで二、三あおげば、蝉は短く啼いて窓から出て行った。
「祝詞の本式は祈祷の前に一から書くがよかろ。あらかじめ整えとった物を使い続けるのは気になってならん。ここでは、いっぺん使った祝詞は捨てとる。儀式に用いた物なぞは人の世界には、置いておけぬ物じゃろう」
 神主の首がおれの方を向いた。おれは応じて頷(うなず)く。蝉の音が盛んになる。
「そりゃ、ここは巫女がたくさんおる。祈願なら御神楽を上げるのがいいじゃろ。巫女が出てきて踊るから、のう」と言った。居並ぶ者が頭を起した。
「三コースあってのう。一万五千円じゃ、二人。三万じゃと三人。五万じゃと四人の巫女が舞曲を尽くすでのう」
 会社の研修室のごとき部屋では、背広を着た痩せぎすの神主が講師である。
「ここでは巫女の事を舞姫と呼びます。舞姫は普通の人です。神懸(が)かったり、禍福(かふく)を占ったりするのは、本来の巫女の職分ですから。――舞姫は県内の高校から集め、皆二十歳くらいまでやります」
 二十歳までやるという事は二十歳で辞めるという事だから、うろんに思ったところ、授業開始から自動筆記をしていたおれを勘違いしたのか、質問はないかと眼の前に坐るおれに聞いてきた。
「はい。二十歳で辞めて、その後はどうするのでしょう」と思う事を言ったら、神主は細い顔を渋くした。
「一部は残って巫女長になったりします。でも大抵、神主と結婚して辞めます」
 神主はおれにしか聞こえぬくらいの小声で答えた。
 二年次の修行は四泊五日のあいだ、境内から出なかった。今回の六泊七日の修行は毎日見学に出る。
 真夏の真昼間に薄暗い小屋にスーツのまま入り込めば、天井から下がった吊ランプの下、胡坐をかいた四角い親爺が、道具立ての一つの様な姿で坐っていた。
 なかほどを窪(くぼ)ませた板に、突き立てた棒を回転させている。立てた棒に、横から弓なりの棒に張った紐をからませ、弾きながら回転させて聖なる火を起こす。
 これを学生の二、三人が順に教わってやってみる。
 戸の排された出入り口に立つ神主が話す。
「ここには、百社以上の神社があるから、毎日この境内のどこかで祭事が行われている。神事に用いる火は毎日、種から起こす。火という物は、物質を変える力がある。ある物を別の物に変える、つまり俗世の物を聖なる物として用いる時には必要不可欠なものである。そこでガスの火は使わず、こうして正式な方法によって、一から火を起すわけだ」
 神主は話を締めた。
「質問はあるか」に一人が手を挙げた。
「神事に使う火は木で起こすんでしょうか」
 感激しすぎてうわごとを言っている様であったが、神主は今言ったろう、そしてさっきしたろうという顔つきさえせずに、熱気に満ちた小屋で再度の講釈を行う。
 あくる日は観光バスに乗って田んぼまで出た。一帯が同じ景色である。
 まっすぐに射下ろす日の光に、影すら足元に没しそうな畦道(あぜみち)で聞かされた話も、茶封筒を提げた漫画家が田んぼの向こうからやって来る幻を見たばかりで、覚えているのは、「そろそろ行きましょうか」との神主同士のささやきのみ。ダークスーツの集団が陽炎に揺れている景色は、次の見学所の待ち時間にほかならず、畦伝いに着いたのは、塩づくりの見学であった。
 天日干しの塩田であれば、陽炎の立つなか、日蔭は小石の脇にあるばかり。
 神主の、「質問は」に手を挙げる者が。
「供える塩は、手作りなんですか」
 こう、うわごとが出るのも、この暑熱と聖地のなせる業と神主も思ったのか、ここでも一句違わぬ講釈が繰り返された。
 またあくる日、またしても田んぼの畦道に立ち、尋常ならざる太陽の下、これから見物に出る神道資料収蔵館の話を聞くうちに、にわかに陰った畔に一つ点がついた。二つ三つと増える。地面が見る間に色を濃くして行く。雷は打ち続けに鳴る。
 今回の実習にもペリエを持って行ったが、ここは暑さと期間の長さで一度封を切った水がもたなかったのか、見学を前にして急に催し、おれだけタクシーを呼んで先に戻った。
 神宮道場に正座室はない。白衣袴の集団が腹這いになって呻吟するという、薄絹にて全景を包まねば正視できない景色もなかった。
 修行は変わらずの、「一、二、三、四、んんご」「もとい」の絶叫に、縦列を作って白い布地を後ろに靡かせつつ、参道の両側に聳える杉の下を、「左、右、左、右、左、左、左」と足並みと隊列を揃えての行進を繰り返す。
 反り橋を渡って進んだ先には本殿がある。神主が話す。
「ここから祭神を祀る場までは四重の仕切りがある。通常ならば、最奥の場まで入(い)れるのだが、昨年、学生が本殿の壁にらく書きをしたためた。そういう事であるから、今年は手前の三重の仕切りまでだ」と口を結ぶ。
 新手の修行が始まった。山の彼方まで一点の雲も現れぬ日、暑熱に震える空に太陽が子午線高度に達した頃を見計らって、本殿の御前(みまえ)にて白衣袴が五十人で三十分ただしゃがむ、といった宗教的素人のおれには問いかける余地のない修行が行われた。
 仕切りのうちに入って、その場でしゃがみ、膝を抱く。眼の前は板が立て切ってある。
 白い光が隈(くま)なく神域を照らす。人が白い布をまとってくぐまっている。膝を抱えて動かない。何とも言わない。風はそよとも吹かない。白衣の学生が遠どおしく感ぜられて、あたりの景色が白い光に溶け去って行く。空気が動いた。白い砂利に張りついた様な黒い影が、暑さを織り込んだ微風に震えてきた。見上げれば、にべもなく照りつける太陽があるばかりでほかに何もない。ああ、あのかがやきがここの祭神で、奥にあって空白に光るのが憑代で、江戸の世の変わり目に、皆、参拝に狂奔(きょうほん)して、と心のうちが漂いだした頃、おぼろげに聞こえた、「やめ」の合図に、皆ゆらゆらと立つばかり。
 神宮道場には厨房がない。三食とも仕出しの弁当となる。
朝も昼も晩も弁当箱が出てきて、仕切りに分けられて煮染(にしめ)が入る。空の仕切りに当番の学生が飯を盛り入れて廻る。茶は出ない。
 一日目の晩のおかずは、いかの輪切りを茹でた物が三切れ散りばめられていた。あくる日の昼には、げそを使ったいか焼きそばが弁当箱の仕切りに構わず盛られていた。
 秋刀魚の上半分が塩焼きで出た翌日は、揚げ物になった下半分を食わされた。冷蔵庫の片づけを目当てに考えた様な献立であった。
 弁当箱のなかには毎度、持て余すほどの調味料の小袋が入っている。
 青菜のマヨネーズ和えに、マヨネーズの小袋が、人によっては二袋詰められ、金平牛蒡(きんぴらごぼう)には醤油、ソース、芥子(からし)に餃子のたれが添えられる。すべてかけたらば、刻んだ牛蒡が浮いた。冷やし中華には、たれのかかった上に小袋のたれがつき、マヨネーズがついていると思えば、麺の下にはソースの小袋も入れ込まれていた。
 ハム一枚と海苔の朝食には、卵が殻のまま添えられた。当番の学生がスプーンを配っているから温泉卵と見える。調味料も醤油のほか、温泉卵のたれもつく。割ればゆで卵である。隣の席は生卵であった。
 あくる日の朝食は弁当箱が軽い。蓋を開ければ、納豆パックと海苔が入っている。納豆のなかにも、たれと芥子があるが、弁当箱のなかにも醤油と芥子の袋が入っていた。
 六日目の晩、食堂の席に着けば、「一人遅れて来た」との事で、坐っていた者が眼の前の弁当箱を持って立ち、それぞれ隣の席に移る。蓋から汁が垂れた。蓋を外せば魚の干物が箱いっぱいに寝ている。添えた蕪(かぶらの)千枚漬(せんまいづけ)は干物臭い。溶けかかったキウイが三切れ、境を越えて干物の下に入り込んでいる。食えば干物の味がした。
 最終日の前日、そうして博物館に入れるべき干物をかじりついていたのは、箸が立たぬからであるが、注がれた汁椀に油揚げ一切れもなく、実のないすまし汁の底にかたまりとなっているのは、粉唐辛子にしか見えない。椀に手を添える。汁の揺らめきに、赤い粒子が薄く揚げ出された。口をつけて、唐辛子であれば一口で置く。粉唐辛子が音もなく降り積もり、底を覆う景色に隣の席を窺(うかが)えば、顔を赤くしている。
 おれは干物も汁も諦めて、マカロニにケチャップと粉チーズをかけた物をやっつける事にした。向かいの者はソースを椀に垂らし込んでいた。
 晩飯を食う前より食ったあとに腹が鳴るのは、消化を前にした、ためらいの表白(ひょうはく)の様なものであれば、ただ腹をさするしかなく、毎晩就寝時間を過ぎても、じゃれあって鼠花火のごとき動きを見せていた連中でさえ、立てた膝に両肘をつき、『塩と火』と題した小冊子に顔を寄せていた。
 赤いすまし汁は夢に入っても心に留まり続けたらしく、明け方も何事か、「トマトトマト」などと一人二人寝言を繰り返していたのは、夢中で塵のごとき唐辛子の浮沈を目の当たりにしていたものに違いなく、最終日の昼に、鰻屋から出前させたうな重を、「最終日だから話しながら食べてよい」という達しにも、誰一人口を利かずに、丼めしの様にかっ込む姿を見せていた。
 解放後は『赤ふく』と紺に染め抜かれた暖簾をくぐり、ゆうべの名残を振り切るべく、店の親爺の、「いらっしゃい」という挨拶に、おれは、「赤ふく氷」と一言。
 出て来た盆には、抹茶のかかったかき氷に、あんころ餅がのっている。これほどうまいかき氷があったかと思って、通りを眺めれば、御幣(ごへい)をつけた犬が往来を行く。
 三軒隣には『名物あげ天バーガー』と色紙を切り張りした看板が出ていた。
「あげ天バーガー下さい」と背の高い女の人に注文した。海老のアップリケのついたエプロンをつけている。
「修行おつかれさまだったね」
「あ、どうも」
「ラジオで言っていたのよ。大学から学生さんが修行に来てるって。それが今日帰るって」
「ラジオですか」
「地元のラジオで毎年、ニュースで流すのよ」
 エプロンの人は、あげ天バーガーを包む。
「恒例行事みたいですね」
 おれは代を手渡した。
「うん。恒例行事よね。あげ天二枚にしといたからね」
「ありがとう」
「好いのよ。おつかれさまだからね」
 奥から電話が鳴った。
「それじゃあね。また来なよ。学生さん」
 おれは店先で立ったまま、あげ天バーガーをかじり、ものの一分で食ってしまった。包を背広のポケットにねじ込んで、『さて、帰るか』と路地に入れば、『こんにゃくラーメン』との幟(のぼり)が『エビス』の看板とともに出ていた。
 月が上がってから新幹線で帰った。

「見える限りは境内地で、山にしても本当のところは神社の物だあ」と、頬の赤く肥えた神主が言った。
 あげ天バーガーから一週間たって、再び箱根の山を越えた。電車を乗り継ぎ、降りたところがすぐ、鳥居である。そこから本殿まで三十分歩く。神社の境内であれば、バスも何もない。
 神社のまわりは森と狭山(さやま)が連なっていた。
 神宮道場のあとは、全国各地の大神社に十人ずつで集まって修行の仕上げを行う。これを名づけて分散実習と言う。
 この実習は、神社ごとに修行が異なり、食事は神社が経営するホテルのバイキング料理であったり、奉仕料が出たり、『今日は天気が好いから海に行くか』と、その日の天気次第で巫女を連れて海岸に行ったりしたというのは、すでに済ませた者から聞いた話で、おれの来た所は都から遠く離れた山の国にあり、海はない。栞を見ても、水着持参とは栞のどこにも見あたらず、しかしジャージを持って来いとあった。『色は白に限る』ともあった。
巫女さんは拝殿で笹竹を振って湯滴(ゆてき)をまき散らしていたり、お守り売り場に坐って微笑んでいたりしていたものの、渡された予定表を見る限り、花火大会も海水浴もない様である。
 ここは先の神社と違って、本殿、拝殿、宿泊施設を兼ねた社務所のほかは、からりとして何もない。烏が澄んだ声で鳴いている。
 本殿の前の広場からして、野球の一つや二つは行えそうなくらいある。そこを参拝なのか散歩なのかわからぬ人が通る。
 しいいという蝉の音を聞きながら、頭上(まうえ)より照りつける太陽の下、五十万坪の境内で学生は毎日、白衣袴姿で落葉を拾ったり葉っぱを持って歩いたり、石を洗ったり石を戻したりする。また、揺らめく陽炎の立つなか、熊手を持っては、境内の果てしなく敷き詰められた砂利をならす。あるいは限りの知れぬ草むしりをする。草など山の向こうまで続いている。
 夕方になって、建物に入れたと思えば、『何事も整える事は修行になる、と日本霊異記にも書いてある』と行動の出所を知らされた上で、『次は窓枠の雑巾がけだ』と夕日のほめきを背に受けながら『×』と黒く印された窓を磨いた。
 宵になってから夕拝が執り行われたが、ここの夜はそれで閉じなかった。
「零時から登山があるから、備えておく様に」と頬のこけた神主が本殿前で伝えた。
 おれは何の話かと、部屋に戻ってから行動予定表を見れば、夕食に続いて『仮眠』の項目があり、次に『登山』とあった。
 十一時半に仮眠から起き出した。白いジャージに着替えて儀式殿の玄関に集まる。
 頬のこけた神主が引率である。ポケットだらけの電気工の様な服を着ている。
「何で山があるんだろうな」
 先頭の学生がこう漏らした。
「山の麓に神社を造ったからだろうよ」
 二番目の学生が答えた。
「ここの修行、外ばかりだな」と三番目の学生が言った。
 午前零時に東の鳥居を出て、山へ臨むべく発足した。霧だか糠雨だかわからぬものがたちこめるなかを五分ほど歩く。先は丘に続いている。身近から蛙の様な影が飛び出して、また夜に溶け込んだ。
 神主が手にした懐中電灯の明かりを頼りに、列をなして登り始める。雲間からいざよう月影に、前を行く白いジャージが浮き上がって見える。うねくねとした凸凹路を両側の草が蔽(おお)いだし、踏みしだかれた草の路を進んで、十分ほどの夜行のうちに開けた場に出た。
 神主が電燈を消した。時鳥(ほととぎす)が鳴いた。
 神主が、「正座」と言うや、真っ先に腰を下ろした。夜空を鎖(とざ)していた雲が散らけ始めて月影がさやかになってくる。
 おれは草と小石の地面を掌(てのひら)で確かめてから坐った。
 神主が鈴を振った。変則の魂振り行事らしいが、あんまり豪気な気もする。こんな時分に山の上で鈴を鳴らして、天狗でも集合の合図と思って来はしまいかとあたりに眼を向けた。野の草が湿気を含んだ風に揺れている。梟(ふくろう)が鳴いている。虫の音が四方より聞こえる。またひとつ時鳥が鳴いた。正座は五分で済んだ。
 来た路を引き返す。草のところどころに桔梗(ききょう)の花が白くまじっている。雲間に紙みたいな月が懸かっていた。風呂を浴びて消灯合図を待たずに寝た。
 三日目に講義が行われた。
「焼き肉が好きで、昨日も食いました」と頬の赤い神主が肉の話を始めた。
「弥生人の遺構から豚や犬の骨が出てきます。食っていたんです。この辺でも春になると、猪レースなんてありますが、ゴールは紐でなくて、網を張ってね。その猪が豚になったのは、人が柔らかい餌を与えたためで、柔らかい餌を食べるうちに歯と顎が退化してしまったんです。人の与える餌は栄養が偏っていますから。このあいだテレビで牛を見たところ、オーストラリアで輸出するために飼われている牛でしたが、どれも牛らしくない。かこいから首を出して、その眼が羊の様で。わが国でも牛でなくとも、中世に入ってから売る者もあり、店を出す者もあり、肉を食っていました」と肉食の習慣を講義する。
「神社においても、石清水八幡宮の規則によれば、例えば鹿を食ったら、百日の物忌(ものい)みがいると延喜式(えんぎしき)にありますから。肉を食ったら神前に百日間も出る事は適(かな)わなかったんですよ。これと同じ様な定めは、日数の違いこそあるものの、格式のある社にはそれぞれあります。神宮などは鹿を食った者は無論の事、『合日(あいび)二十一日、又合日(またのあいび)七日』と言いまして、鹿を食った者の物忌の明ける前に、その者と席を同じくして食べた者は二十一日間の物忌に、又その者と席を同じくした者は、七日間の物忌がいりました。物忌の規定があったからには、なあんだ、肉を食う習慣があったんだねえ」と口調を変えてまでも肉食の習慣を伝えねば済まない様である。何のためかは、わからない。
「ちなみに石清水八幡宮には『猿九十日』との定めもあって、猿まで食っていたんです」
 神主のほかにも講義を行う。元宮内庁の侍従官(じじゅうかん)なる人がやって来て、御陵(ごりょう)についての講義を行い、続いて見学に向かう。車で十分と言うからマイクロバスで行くのかと思えば乗用車が三台とまっていた。先頭にあるのはベンツである。
「じゃんけんをして、勝った者が一人だけベンツだ」と神主が言った。
 ベンツの前の椅子には二人の神主が乗り、後ろに元宮内庁の人が乗り、しまいにおれが乗った。
 元侍従の人に話しかけてみた。
「侍従って、誰でもなれるんですか」
「今は、公務員制度に組み込まれて誰でも受けられますが、昔は家柄や縁故(えんこ)でした」
 揺れないベンツは窓を閉めていても酔う気がしない。車に付き物の臭いもない。
 円い山の尾に車がとまり、『宮内庁分室』と表札の出された家に行く。まわりは一面の草原である。風が吹くと、草が波の様に山に向かって靡(なび)いて行く。
 神主や学生が一列になり、「拝礼」との神主の号令に従い、揃って二拝二拍一拝して戻る。御陵だから足を踏み入れる事はない。
 戻ってから宝物殿の納戸に入って片づけをする。木箱には巻き物や、戦前の閣僚の集合写真が納まっている。刀が出てきた。鞘(さや)に天なんとか組と書いてある。古い巻物の世界地図があったから見てみれば国境線が違う。端には『大日本帝国世界地図』と題されていた。
 あくる日、寺院に見学に出た。今度はタクシーを連ねて寺に向かう。この辺は水田が景色の基調をなしていて、青い田んぼの遠近に石碑が立つ。
 神主に引かれて大額を出した山門をくぐれば受付があった。拝観料をとるから頬の赤い神主がまとめて払う。
「領収書を下さい」と神主が言った。
「お名前は」と僧侶体の者が聞く。
「上で結構です」
 寺のなかいっぱいに大仏様が坐っている。年嵩(としかさ)の客が多く拝んでいる。今、泊まり込んでいる神社の方が百倍も二百倍もひろそうだが、一日の参拝客はこちらの方が百倍も二百倍もありそうである。大仏様を拝見して出る。
 蓮の池に渡した橋を渡って帰る。
 寺に連れて行った神主は、「休憩時間には台所に番茶があるから飲んで構わないよ。土瓶使って。あと利久最中もつまみなさい。今坂(いまさか)餅(もち)は食い切ってしまったかな」と初日に思いもよらぬ事を言ったのだが、本殿での朝拝のあと、「こりゃ台湾島から持ってきた木で建てたんだ。こりゃ好い木だよ。こりゃあ」と拝殿の柱に手をやって頷いていた。
 ほかの分散実習では祭の時期に合わせて実習を組む事によって、祭に参加させて経験を積ませる。ここは祭のない時期にあたり、講義と見学と修行を繰り返すばかりであった。
 修了日には祈祷の団体客が観光バスを連ねてやって来て、控所として宿泊施設があてられた。教官も本業中であれば、「しばらく行進」と命ぜられた学生十人が、五十万坪の境内をあてどもなく行進し続ける姿に、足並みが揃わずとも正すべき神主もおらず、これで来年卒論さえ書けば神主になれるものと、小児(こども)の様な心持で思っていた。
 ここの神社の食事は、朝は焼き魚や玉子焼きなど、旅館で出される様な物であった。昼は頬のこけた神主が考え出した『五穀ふりかけ』をかけた蕎麦かうどん、これは学生がそれぞれ自分の分を茹でる。夜は酢豚や生姜焼、ポークソテーに豚の天ぷらという、頬の肥えた神主の意向がきいていそうな献立であったが、修了日の昼は幕ノ内弁当のほかに豆金団(まめきんとん)や茶巾芋(ちゃきんいも)も出て、何よりテーブルにビール瓶が立っていた。加えて巫女さんまで坐っている。
 頬の赤く肥えた神主が、「おつかれさん」とねぎらい、向かいに坐る頬のこけた神主が一杯注いでくれた。
 おれは黒髪を結んだ巫女さんの隣に坐っていた。二杯目からは、その巫女さんと杯の取りやりをした。巫女さんは弧を描く眉の下、黒目がちの目に笑みを湛(たた)えている。
 たいへんに酔って新幹線で帰った。

 四

 大学へ向かう往来を爪先上がりに行けば、石の鳥居が立っている。荷車もここを通る。人もくぐり抜ける。犬も歩く。猫はくぐらず、脇を抜ける。
 往来に面した書道教室の前に一匹の縞猫が正しく坐って玄関を向いている。餌を待っている景色である。
 帰りに見れば、玄関に尻を向けて寝ていた。
 猫の毛の伸びた頃、神道研修室に行く。学生課とは別の窓口である。建物さえ別である。掲示板には、七五三の手伝いの募集が張り出されていた。
 神社業界では、アルバイトを助勤(じょきん)と言い、仕事を奉仕と呼び習わす。アルバイトではないから、Tシャツジーパンではなく、白衣に白袴をつけて働くのである。
 七五三の募集にまざって、二年次に神社実習をした代々木の神社が助勤を募集していた。七五三の方は日給一万二万、なんとなれば三万という羽振りのよさであったが、こちらは時給九百円と出ていた。おれは代々木の神社での実習はいやではなかったので、こちらをやる事にした。
 晴れやかな空に聳える鳥居の、長大な石の柱の脇を抜け、十時の集合時間に十時に行く。今日は神宮会館ではなく社務所である。
「神社はいつでも十分前行動だから」と神社実習でおれに、『やっぱいい』と言った神主が、しかし今日は鋭くない声で言った。
 着替えに畳の小間に入る。白衣が二人いた。
「あっ、どうも」と簡単に挨拶をする。
「何年生」
「三年生です」
「ああ、うちらは四年だから、わからない事があったら聞いて。今日は祭で武術演舞の奉納があって、その人々の御祓いをするから」
 二人は白い単衣を着て、白襟の合い具合を鏡で見て整えている。白い袴をはいた上に白い貴族風の着物を着けて烏帽子をかぶった。
 おれも白衣に袴は着けたが、貴族風の着物は着た事がない。持ってみても布が垂れてひろがるばかりである。
「あ、着方はどうしたものでしょうか」
 おれは二人の間くらいに声をかけた。
 眼鏡をつけた人が応じた。
「あ、そう。狩衣(かりぎぬ)着た事ないの」
「はあ、あまり」
「社家じゃないんだ。うちらもだけどね」
 眼鏡の人はおれの着物を持って、「袖に手を通して」と言う。
 顔の四角い人が、おれの後ろに垂れた布を加減して持ち上げ、帯で挟んで、床に着かぬくらいに垂らせた。
「こんな感じだけど、わかる」
「あ、なんとなく」
 鏡には、着つけない衣装を着て男振りを上げたおれが映っていた。
「淨衣はちなみに正絹で出来てるから。つるつるでしょ」と眼鏡の人が自らの袂をつまんだ。
 おれも衣装をつまんでみた。
四角い人が烏帽子を渡す。
「烏帽子は前の処をへこませてかぶって。落ちない様に紐があるから顎の下で結んで。結び方は蝶結びでいいから」
 烏帽子を頭に載せて紐で結わえる。
「結んだね。じゃあ行こう」と言うや、部屋を出た。
 修行では白衣に草履であったが、ここでは正絹の狩衣に烏帽子をかぶり、木をくり抜いて漆を塗った靴を履く。脱げぬ様に紐で結わう。
 神主を先頭に、四角い人が大麻を持ち、眼鏡の人が祝詞を持って行く。おれは持ち物がない。手を腹の前で合わせて、木靴が脱げてしまわぬ様について行く。
 広場に出た。
 鎧兜(よろいかぶと)を着けた人々が揃っている。
 神主の姿を見るや、鎧武者に扮した人々は黙って列を整えた。縦横十人に並ぶ。
 皆が頭を下げて、眼鏡の人が祓詞を読み始めた。顔の四角い人が大麻を振った。神主が祝詞を読んだ。おれは手をつかねて端に立って見ている。奉納前の祈祷が済んだ。
「じゃあ、御祓いが済んだから、これから奉納の演舞だね。戻って待つか」
 神主に促(うなが)されて神宮会館に入る。一年前の夏に、胡麻塩の講義を聞いた食堂に三人で坐った。
 烏帽子を外し、狩衣を脱いで椅子で休んでいるところに、神主が袋を提げてやって来た。
「そこで物産展をやってて、ぼったら焼き買ってきたから、おあがりなさい」
 そのまま昼になる。昼飯は空揚げ弁当である。土瓶に入って茶も置いてある。弁当箱の蓋の隅に『大盛り』と書いてあった。
 四年と話しながら食う。
「奉職先は決まったんですか」と聞いてみた。
「決まったよ」
 四角い人は蒟蒻を口に入れながら、おれが梯子を抑えた神社の名を挙げた。
「僕は神社本庁。君は卒業したらやっぱり奉職するの」
 眼鏡の人はこう言って、椎茸を口にした。
 おれは厚揚げをつまみながら応じた。
「そうですね。できれば」
「まあ、現役なら家が神社でなくても、どこかしら入れるよ」
 眼鏡の人は、おれを二十歳過ぎと勘違いしている様な事を言う。
「うちらも別に社家じゃないし。がんばって」と四角い人が、土瓶を持っておれの湯呑に茶を注ぐ。
「あ、どうも」
 向こうで群がって食っていた神主が来た。
「奉納の済む頃だから、そろそろ行こうか。今度は奉納を済ませた鎧武者に酒をふるまってもらうから」
 烏帽子と狩衣を着けて、三人で出る。
 再び木靴を履いて、それぞれ三方に徳利と急須を載せて、胸の高さに支えて広場へ向かう。神主が後ろからバケツに入った杯の山を持って来る。空(そら)合の好い祭の日であれば出店も多く、人々がそぞろに歩いている。人々は三方を捧げ持つおれを避けて、道をあける。木靴が心地好い。
 運んできた三方を、広場に据えた台の上に置いた。鎧武者に一杯差し上げる。
 残り三人になったところに、絵で見る義経のごとき武者が来た。
「一杯戴きましょう」
 おれが植木に水をやるかの様に酒を注いだのに、
「酒はそういう風に注ぐ物じゃなくて、三度に分けて注いでごらんなさい。トン、ツー、トン」
 モールス信号の様な事を言いながら、鎧武者は酒をぐいと飲む。
「ううん、どんなもんなんでしょう」
 おれの水向け文句に、「え。そう。じゃあ、戸川」と口髭に酒の滴(しずく)を溜めて、後ろに控えた鎧武者の戸川氏を呼んだ。
「こうだよ。トン、ツー、トン」
 鎧武者は急須を傾けると、酒が出た先に急須を戻し、今度はまともに注いで、締めに形ばかり注ぐ。
「今一度やっとこうか」と言ったから、「はい」と言って促した。
「じゃあ、布田。ちょっと。酒注ぐから。杯を持て」
 今度は布田氏を呼んで注ぐ。
「これでおわかりでしょう」
「はい。わかりました」
 一週間ほどして、神道研修室の前を通れば、東京はもとより、近畿や北陸の方まで初詣の助勤の募集が張り出されていた。『要祭式(さいしき)』と朱の判が押してあるのは、お守り売りではなくて、御祓いをするための募集だからである。
 いずれも、大晦日から正月三ケ日の奉仕に対して五、六万円の奉仕料が出る。家から一時間くらいで行けそうな神社があったからやる事にした。奉仕料は四日間で五万九千円、交通費なし、食事付と記されていた。
 神道研修室の入口に『鞄は下ろして入る事』との張り紙がある。おれは紙袋を通学鞄にしているからそのまま入った。
 野間という三十恰好の窓口係が、「あの人、東京の人じゃないんだ。ああ、そうだね。また昼でも。築地にうまいカレー屋を見つけてさ」と電話の受話器を置いた。
「祭式は履修しているよね。当日はスーツを着て行ってね。近いから電話だけじゃなく、奉仕の前に一度挨拶に行くといいよ」と言うのに、「はいはい」と返事をして、紹介状をもらった。
 翌日の昼過ぎに神社に電話をかける。宮司のかみさんと言う人が出た。十二月二十日の夜七時に来てくれと言う。
 挨拶に出向いた大学三年の年の暮れ、小行燈(こあんどん)のかかる神社の社務所に出向き、夜の七時にごめん下さいと言って応ずる者もなく、一度は引いた鉄の玄関扉を引き戻し、境内をめぐると社務所の磨り硝子に明かりが映っている。
 再び入れば『用向きのある方はお上がり下さい』と玄関の柱に書いてあったから案内なしに上がり、廊下の突き当たりまで進む。何やらきわどい気配のする奥の部屋を窺うと、神社の飯場(はんば)の板床に、神主の恰好をした親爺が坐り込んでいる。「なるほど、流山はあとをひくわ。これっきりにしとかねえとな。とはいえ、まじめにもう一杯」と一升瓶から飯茶碗に注ぐ。
「あの」と声をかければ、茶碗を口にあてがったままこちら向き。陶然(とうぜん)とした口から出たのは、「どちらさんで」
「いえ、助勤なんですが。七時にこちらに来る様にと」
「おお、そうか。ここじゃなんだから、応接間に行くか」
 案内されるまま玄関に戻り、応接間に入る。暖炉が壁に嵌(は)まってあり、ソファーがテーブルを挟んで向かい合う。
 玄関を入ったところにあるから応接間だろう。しかし状態としては物置として出来上がっていて、ソファーやテーブルはもとより、床にまで新聞紙や縁の取れた菓子箱や携帯電話が転がっている。壁に塗り込んだ暖炉は空である。
 おれは右手の小指を左の掌で包む様にしてこすり合わせた。
 宮司は革張りのソファーの上に積まれた神社の由緒書を傍(かたわ)らへおしやって坐るや、紫の袴の下から股引をのぞかせて切り出した。
「まあ、毎年やってくれよ。雑祭なんかも呼ぶからさ」
 おれは立ったまま履歴書と紹介状を背広の隠しから出す。
「大学の紹介で参りました」
「ああ、ああ、わかってる。まあ、坐れ」
 宮司は差し出した履歴書の封も空けずに、半紙やら履歴書やらが取り散らしてある暖炉の上に置いた。
 ソファーには暦やら御札やらが積まれ、おれは際どいところで椅子の用をなしている空き地に薄く腰をかけた。
「東君とは知り合いで、よく飲みに行くんだ」
 どうやら神道研修室の誰彼の事を言った様だったが、少なくとも研修室に東君はいないから、研修室の室長の名を出せば、
「あいつはおれの弟子みたいなものだからな」
 のっけから神道研修室の室長を弟子扱いしつつ、去年は奉職三十周年の祝賀を盛大に開いたと誇り、大神社の宮司の話題ともなれば、「あいつは商売がうまいんだよ」と言い下す事も自在。自分もここを継がねばならなかったから、こういう中社で宮司をやっているが、世が世ならと気焔(きえん)を上げる。
 間が抜けぬ様に合槌(あいづち)を打つおれの前には、神宮大麻と呼ばれる御札が積んである。
「神社本庁から三千体も渡されるから配らないといけないんだよ」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。暮れに一軒一軒、氏子を廻るんだ。氏子のなかにはこの御札を飾ってから縁起がいいからって、十年も新しくしないのがいるんだよ」
「なるほど」
「御札は年ごとに新しくするから御札なんだよ。そうやって、毎年改めて縁起を祝うものだ。ああ、そうだ。これのいい写真がある」
 今度は及び腰になって、壁際のマガジンラックから写真入れを取り出した。
 現物が眼の前にあるのに何を見るのか知れないが、写真には大広間に五人ほどの女の人が、これはそれぞれ私服で並んで坐って、御札を袋に詰めている姿が写っていた。おれは写真を見る。宮司はおれを見る。眼の端で見れば、顔を傾け、口の居ずまいを崩しかけたままで止まっている。
 おれは写真について思う事もなく、ふいと浮かんだ米国五十州の歌を頭のなかで歌いだした。それがワイオミング州まで来た時に、聞こえた言葉が、「ちょっと装束着てみろ」
 白衣は持って来なかったから背広を取って、ソファーの背もたれに掛かった縹(はなだ)色の狩衣を着けた。狩衣の着方は一ヵ月半前に教わって、まだ覚えている。
 着けて、『こんなものですか』という具合に顔を上げた。
「じゃ、御祓いが来ました」と宮司が言った。そうしたきり収まっている。
 女の人が札を手にしている写真の話は済んだのだろうかと思ううちに、
「さあ本番」と声を上げた。それから、「ストーブを本殿に見立てて修祓(しゅばつ)やってみろ」と言って、手を打ち鳴らした。
 先ほどからこの場を舞台に寸劇が始まっていたのを気(け)どったから、煎餅の空き缶やら『東京都固定資産税のお知らせ』やらが置き散らしてある絨毯(じゅうたん)の上で、「かけまくも」から始まる祓詞を奏す。柱に打った釘に掛かる瓢箪(ひょうたん)を左手で跳ね飛ばしながら、御祓いの素振りを一通り行った。締めの拍手は乾いた音を響かせるべきところが、しけった音が出た。
「拍手(それ)だけ練習してきて」と宮司が指図して寸劇終了。
「あ、そうそう。正月に御祓いやってると、『学生のアルバイトだろ』とか言うのがいるんだよ。だから、『はい、大学院に行ってます』と景気よく言えばいいから」
 何がいいのか知らぬが、「おまえさん、あれだろ。学生のアルバイトだろ。はい」とまたしても、出し抜けに劇が始まった。
「ええと」
「何て答えるの。はい。学生のアルバイトだろ」と人差し指を向けて来たので、
「はい、大学院に行ってます」と法螺(ほら)を吹いた。
「俺もね、氏子には大学院で教えているって言ってあるんだ」
 宮司は義務を果たしたかの様な顔をした。
 続いて近所の異宗教の施設のせいで、筋向こうの家の日当たりがよくないと言いだし、その辺はありうる話とは言え、酔っていないおれにはわからぬ、くどさで話を続けながら茶碗に冷酒を注いでいる。
「うーい。あの寺だって、除夜の鐘だって会員制で、行ったって撞(つ)かしてくんないよ。あんなの商店街から十万ずつ取ってんだから、それだけで一千万だよ。それで百五十回くらい撞いたってわかりゃしないんだから。隣駅の神社なんて境内にマンション建てちまって。神社も名の知れた所なんて、兄貴はカウンタック、弟はフェラーリだからね。県内は国産車、県外に行く時は外車と使い分けている大社だってあるよ」と唇をふるわせ、果ては神社本庁の自分に対する扱いをこぼし出し、その一連の問わず語りも、「東君とは知り合いで、よく飲みに行くんだ」と二周目に入った。
 途中から相槌を打つ要もない事を悟り、「デア、デス、デム、デン」と、こちらがドイツ語の格変化を口から出していたのにも気(け)どらぬけしきのまま、三十分前に耳にした言葉を継いで行く。
 そのあいだに挿む、「まあ、毎年やってくれよ。雑祭なんかも呼ぶからさ」という話は五度も繰り返している。
 おれは繰り言を制する材料を探して、時計を見れば八時半を示していた。
「冷えて来たな。羽織でも重ねてくるか」と宮司は鼻を肩になすりつけた。
 それをしおに、おれは尻を浮かせた。
「あ、そろそろ帰らないと、明日大学もありまして」
「あ、そう。泊って行くか」には断然断って立ち上がった。
「元旦は忙しくて食べてる暇がないから、自分でパンとか買ってきて」
 宮司は廊下に出ながら、首だけを向けて言う。
「わかりました」と受けたものの、食事は朝昼付きのはずである。
「当日二千円渡すから。ああ、でも昼はみち子が買ってくるのか。じゃあ、朝と、夜食の分だ」
 玄関に下りて靴を履いていると、「聞いている通り、三万二千円だから」と聞いた奉仕料とかけ離れた金額が宮司の口から出た。
 敷居の向こうにやっていた眼を思わず宮司に転じてから、体を反転させたおれに、
「で、二日、三日は一万円強」とつけ加えた。
 奉仕料も違えば、集合時間も大晦日の夜八時、奉仕開始が十一時との話が、「当日七時半に来い」とさっきから違う相談をしていたのが、しまいに、「当日は七時から七時半のあいだに来てね」とまた早めた。
「えー、君は分社の方に行ってもらうから。分社の方が本社より上がりがいいんだよ」と敷居を跨(また)ぐ間際に言う。
 おれは敷居の向こうに歩を移してから向き直る。
「それは、どちらにありますか」
「ここから北に徒歩一時間」
「地図で調べておきます」
「当日はここに集合でいいから」
「わかりました。それでは」と言い放して出ようとするのを、
「あとね」と引き留めて、
「初穂料を受け渡すまでが君の仕事だから」
 この日十回目のセリフを言いつつ手を差し出してきたから、敷居を戻って握り返せば、
「何だ、力ないな。あ、それ持って行け」
 言われた先には、『奉納』と書かれた一升瓶が立っていた。
 来た時は、場所も知れないからタクシーで来たものの、そもそも住所も控えて来ず、運転手から、「この辺で下りた方がいいんじゃないんですか」と勧められ、下りた先にあった鍍金(ときん)屋で道を聞けば、「車で来たんですか」と言われ、そこから車の連なる道路の縁を二十分歩いて着いたのであったが、帰りは気散じに適当な処まで歩く事にした。
 駅の方角も知れないから神社方面から南へ向かって進む。神社の本殿は普通、南を向いているから鳥居を出てまっすぐ歩き、小川を越し、一、二分もしないうちに、塀でかこったマンション群に突き当たった。引き返した道が二股に曲り、よじれた四つ辻に出て、神社の方角も判然としなくなった。一時間ほどあてずっぽうで歩いて、商店街に出た。店は戸を引いて、アーク灯だけが高い所から往来を照らしている。
 五十恰好のコートの親爺が一人、商店街の端を歩いて来た。
「いや、そこは飽きた。ほかにしよう。伊勢丹会館の上に薩摩揚げの店があるだろ。――今度その人と一緒に飲みに行こう。葱鮪(ねぎま)のうまい店もあるし。――何だ、キャリアか」
 携帯電話で話しながら、おれが左手で提げる一升瓶に眼を落して去った。
 商店街には風易判断だの、平民食堂だの、煮売りだのと、一昔前の看板がほのぐらく出ている。雨戸を繰りのべたラーメン屋の戸口の脇には樅の木が出され、色紙を巻いたペットボトルが枝先に刺さってクリスマスを待っていた。
 商店街は大抵、通りに続いている物であるから、歩き続ければ五分ほどで大通りに出た。試みに待ってみたが、タクシーが来ない。バスが過ぎて行き、停留所に向かったのを駆け足で追いつく。行き先は家の近くの駅まで、二度の乗り換えがいる電車の駅であったが、この界隈から出ねば進まないから一升瓶を抱えてバスに乗って帰る。
 大晦日には夕方から雪が降りだした。空の高い所から次々と地上に下りて来る。
 今度は神社から歩いて五分の処に駅があるのを地図で見て知り、電車に乗って七時に着いた。
 神社の参道に沿って景気よくカンテラが灯され、屋台の店も十ばかり出ていた。境内にちらつく群衆の肩の間を抜けて社務所に向かう。
 宮司の姿はなく、社務所の応接間で白衣に着替える。髪を丸く結った宮司のかみさんに温かい蕎麦を振る舞ってもらって、分社まで車で行く。
 車を下りた処に立つ鳥居は、紅白の布でだんだらに巻かれてあり、脇に字のはっきりしない道しるべと常夜灯がある。奥に参道が続く。神主は居ついておらず、造りも神社というよりは田舎屋の有様ではあるが、奉納と染め抜かれた豆幟が、水垣や参道に幾流れも立ち、板敷きの間には雛社(ひなやしろ)の様な本殿が置かれ、御扉が半開きになっている。こちらは人形や鳥居を模(かたど)った切紙で埋もれている。伊勢海老や蜜柑、昆布やほんだわらが垂れて三方(さんぼう)に供えてあった。
 うねりながら遠のく鐘の音を聞きながら、今年の暮れるのを待つ。見る間に人々の列が鳥居の向こうまで伸びて行く。
 ラジオが零時を告げるや、境内に寄り集まった人々が、かすれ行く鐘の音も聞かぬていで短い参道をおしおし歩いて来ては、本殿と釣り合わぬ大きさの賽銭箱の前で雨霰(あめあられ)と賽銭を投下し、御参りが済めば沸き起こる波の様に授与所に押し寄せ、凍る夜寒もいとわずにお守りをわしづかみ、おみくじを引けば売上勘定も増して行く。
 授与所は夜店と作りが変わらない。並べてある物が違う。後ろに控えた、だるまストーブにはコークスが焚(た)かれている。
 巫女さんの恰好をした宮司のかみさんと、アルバイトと言う高校生とお守りを授与し続ける。立ち放しである。
 初詣に参る人が途切れて、雪も上がった。高校生は社務所で着替えて、一升瓶を提げながら参道に敷かれた雪を踏んで先に帰る。
 何時だろう、と袂(たもと)から時計を出して見れば、二時である。屋台も引き上げた。
「あら、二時過ぎてますわね。さあ、どうぞ社務所にお蒲団が敷いてありますから、今のうちにお休みなすって下さい」と宮司のかみさんに促される。
 袴を外し、カイロを十個剥(は)がし、白衣のまま社務所で横になった。時計が三時を打ったのを、眼をつむって聞く。社務所と言っても、ここは本殿と同じ建物である。隣の室は板敷きの本殿で、仕切った板戸の締め合わせがずれて一条の光が切り込んでいる。
 体を起こして、ハンカチを敷いてから買ってきたくるみ入りのパンをかじる。
 先ほどから若者らしい参拝客が、正月の清浄な空気に興奮したかの様に境内で騒ぎ散らしている。
 ともがら同士でちゃらかし合うのにあきたのか、今は宮司のかみさんに話しかけている。
「おみくじくださあい」と奇声を発して、
「巫女さん、干支は何。俺酉歳。チキンチキン」
 境内が再び静まった。寝入る。
 夢を見た。観音堂に寄りかかって、頭に飾り羽のある鳥がふんぞり返っている。琥珀を頭に載せて、蝋燭を背にしながら尖った嘴(くちばし)の先まで明るく見える。それは何ですかと聞いたら、「これは紅の石なり」と答える。観音堂の時計が鳴り始めた。
 なんだろう。
 考えているうちにまた夢に。
 神社から出ようとして階段を下りる。僧が立ち、ずれた鳥居を引いて元に戻している。「何してるんです」「いやちょっと」「どうしてそうなったんです」「いや、自分で布を集めて、袈裟作って、頭剃っただけで」神社を出る。細い往来を横切って階段を三十段登る。振り返って見下ろせば、浴衣の小児が行列している。手にした鉦(しょう)を連打し、「言いよったあ」と節をつけて唄っている。
 一番鶏(いちばんどり)の声で目が覚めた。
 掛け蒲団を捲(めく)って体を起すと、参道の砂利を踏む音が聞こえてくる。
 おれは起き出して、蒲団を三つ折りに畳んで枕を載せた。押入れがないからそのまま置いて、袴を着けて社務所を出た。
 細かな白い物が風に乗って流れている。夜もほのぼのと明け行き、空は一方に夜のなごりを残しながら晴れてきている。参道の脇には、掻き寄せられた雪で山が作られていた。
 お守り授与所の前に人々が寄り合っていた。賽銭箱の前では、所々に朱塗りの残る鴨居に吊った鈴を、捩(ねじ)った太い綱を引いて鳴らしている。
 授与所に入る。
「おはようございます」
「おはようございます。よく寝られたらよかったんですが。私もここでうつらうつらしていましたよ」
「ええ。寝たと思います」
「まだ、授与所は構いませんよ。それより今日は御祓いをしてもらいますから。本殿の方で休んでいて下さいな」
「あ、わかりました」
 おれは、お守りを売るためではなく、御祓いの役のために来たのだった。
 賽銭箱の脇から草履を脱いで、本殿に上がった。祭壇を挟んで立つ御神灯に明かりが灯っている。
 本殿は十坪ばかりの板敷きの間である。正面の奥に祭壇が築かれ、開いた御扉(みとびら)に御神鏡が立つ。祭壇から離れて、壁際に大麻(おおぬさ)を立てた卓が寄せられてある。まんなかには参拝客と祭壇を仕切る、白木の長い机が据えつけてある。机の上には紙垂(しで)をつけた榊の枝が並んでいる。
 新年の祈祷をしてみる。
 杓(しゃく)を体の前で真っすぐに立て、大麻を立てた卓に向かった。
 体を前に十五度ほど傾けた姿勢のまま、短い祝詞を述べる。体を起して大麻の棒が差さる筒を左手で抑え、右手で大麻を抜く。
 左手を添えて右手を持ち直し、一メートルほどの大麻を持って左に振り、右に振り、また左と自分を払うのであれば、肩の後ろまで振って届かせた。
大麻を戻して懐から杓を出す。お辞儀をして神前に進んだ。
 一度礼をして、左足を引きながら膝を着き、右の膝も着く。正座はせずに、そこから御前(みまえ)に膝で三歩にじり寄る。ここで正座をし、杓を手にしたまま深く礼をする。杓と背を平行に保ちながら体を起こして、軽くお辞儀の姿勢を取りつつ、大祓詞を奏上した。
 祝詞を正座のまま捧げたのは、就職についての祈念(きねん)を込めたつもりではあったが、気がつけば境内も賑わっていたから戻る。
「ちょっと私、御札を取ってきますので。一、二時間出てきます」
 宮司のかみさんは巫女さんの恰好で車を出した。
 正月も朝から初詣客にお守りを授与し続ける。
 朝の九時を過ぎた頃、新年祈祷に来た家族が現れた。
「今年の安寧を祈願してくれろ」と言う。
 おれ一人で捌(さば)いていたから、お守り授与所を一時閉めなくてはならない。半紙に筆で『しばらくお待ち下さい』としたためた。画鋲はないかと見廻したところに、宮司のかみさんが戻って来た。白衣に白袴のお爺さんを連れている。こちらは葛籠(つづら)を抱えている。
「ごくろうさまです。お待たせしまして」
「あ、はい。今、御祓いの人が待っていまして」
「ああ、じゃあ、行って下さい。お世話になりますがよろしくお願いします。ここは氏子の方にお手伝いをしてもらいますから。私も夕方までいます。お正月はお守りはしなくていいです。御祓いの方をお願いします。どんどん来ますから」
 授与所は宮司のかみさんと氏子のお爺さんに任せて、本殿へ向かった。
 お参りに来た家族を従えて、階段を七段上がって本殿に入る。
 畳んであった床几(しょうぎ)を並べる。家族連れのお爺さんが、入ったところにある机で一家の名前を記して、のし袋をおれに渡す。じいさんばあさん、両親に、晴れ着の、これは大学生くらいの人が並んで床几に腰をかけた。その間に榊の枝をまとめて三方に載せ、御前に供えた。
 祈祷の始まりの合図に、木組みに載った長胴太鼓を打つ。
「ただ今より新年祈祷の儀を執(と)り行います」
 宣言ののち、祓い言葉を奏上した。
「それでは御祓いをしますので頭をお下げ下さい」
 心持、頭を下げた参拝者の頭の上で大麻を大きく揺らす。棒の先から垂れた紙垂(しで)の先が参拝者の髪にかする。
ここまでが祈祷のための祓いであり、これから現世利益を願うべく祝詞を奏上する。
 三方にお守りと御札を載せ、神前に供える。
「これより新年祈祷の祝詞を奏上いたします。わたくしに合わせて、二拝二拍一拝をお願いします」
 参拝者が揃えやすい様、ゆるりと二度お辞儀をし、体を起しつつ右手を持ち替え、杓のなかほどを持ち、左手で襟をつまんで懐に入れ、後ろから見える様に腕を拡げ、二度柏手を打つ。杓を出す。一度お辞儀をする。祝詞奏上に入る。
 新年祈祷の祝詞は暗記してはいない。杓を懐にしまい、懐に畳んだ祝詞を取り出して拡げる。
「かけまくもかしこき」と、おもむろに読みだして、二分とかからずに、祝詞のしまいまで来て、語尾を引く様に言いながら体を起こす。祝詞を畳んで杓を出し、祝詞と杓を重ねて礼をした。
 祝詞の奏上に続いて、玉串(たまぐし)奉奠(ほうてん)を行う。神前に供えてあった玉串、葉のついた榊の枝を三方ごと持って来て、長い机に置いた。
「これより玉串奉奠を行います。お一人ずつこちらにお越し下さい」
 背広のお爺さんが立った。
 おれは榊の枝の根元を左手でつまみながら横にして、枝のなかほどを右手で下から支え、お爺さんに渡してお辞儀をした。
 お爺さんは受取って胸高に枝先を上げた。右手を手前に引きながら左手を向こうに上げ、玉串を立てる。根元に両手を添える。玉串を額に寄せて、祈念をこめるけしきを見せた。
 右手を玉串のなかほどまで上げると、再び根元を神前に向ける。左手を下げてから一歩進み出ると、玉串を机に置いた。一歩下がり、お辞儀をして、着物のおばあさんと交代した。
 しまいに大学生くらいの人が振袖を揺らしながら来た。
両の手が玉串の上をいざよいながら、結いたてらしい黒髪を一度後ろへ向け、向き直って、おれを窺う。
「右手は枝の上からわたしの両手の間に入れて、左手を下から枝先の方に添えて下さい」と言えば、手を下から添えた。 
 立ち上がりかけたおばあさんは席に戻る。
 あとは手の動きを導きつつ、最後まで達した。
 おれは再び御前に進み、参拝者とともに二拝二拍一拝をした。
 供えていたお守りと御札を三方ごと運び、机に置く。
 終了の合図の太鼓を打つ。
「新年祈祷の儀、滞(とどこお)りなく執り納めました」
 参拝者が立ち上がる。
 おれはお守りと御札と、裏面が寄付の勧化になった由緒書の入った物を紙袋に入れてお爺さんに渡す。
 振袖の人が話しかけてきた。
「途中、ありがとう」とふっくりした淡紅色の頬に愉快なけしきを浮かばせた。
「いえ。わたしもたまにこんがらがります」
 お爺さんが紙袋をその人に渡した。
 振袖の人は、袋の底にある目的を特化していないお守りを取り出す。
「そういえば、お守りの中身って見ちゃいけないって」
「ああ、そう言われていますね」
「どうしてかな」
「ううん、見てもしょうがないから」
 おれが頭をかたぶけたのに、えくぼを浮かべて笑った。おれは言葉をつなぐ。
「その袋はお守り袋で、そのなかに入ってるのがお守りだから。ええと、開けても空っぽという謎なのでは」
「謎なんだ」
「求めていたものはすでに持っているという、鳥を追いかけた童話とか」
「青い鳥かあ。そうかも。何か、すっきりした。うん。あ、お煎餅食べる」
振袖の人は、兎を織り出した巾着の口を開けて、煎餅を出した。
 そう言えば、夜半にパンを食った切りである。
「食います」とおれは黒豆煎餅を受け取った。
「それじゃあ。がんばってね」
「はい」と頷いた。
 御祓いを済ませた一家が本殿から下りて行けば、別の一家が上がって来た。
「御祈祷をお願いします」
 それが休みなく来る。次から次から来る。列をなし始めた。
 みち子さんとやらが昼を持って来るけしきはない。二千円は出てくる気配がさらにない。
 別段腹も減らないなと思えば、腹が鳴った。日の暮れてから縁日商人がくれたおでんを食って済ませた。
 九時近くなっての帰り際、野天(やてん)の電燈の下にて宮司のかみさんが言う。
「おつかれのところ御相談なんですが、御祓いはあまりあつくしなくていいですよ」
 これは時間短縮の相談だろうと思ったから、本殿を歩く際には、踏み出した足の踵に、続く足の爪先が来るくらいの歩幅にすべきところを、明日からは大股で歩く事にした。お守りはあらかじめ供えて置き、玉串奉奠も一人が行うまで待たずに続けてもらっても差し支えはないだろう。
 黒豆煎餅は帰ってからつまみにした。
 正月二日に、若い夫婦者が赤子を抱いて来た。
「初宮をお願いします」
 頭をよぎる自重心(じちょうしん)は気にとめずに儀式を始めたが、さて、祝詞奏上の段を迎えて拡げた祝詞は新年祈祷用である。『新年の初日を心新たに迎え』などというあたりは、趣が違う気がしたから、「若竹の如くすくすくと、ああ、学力向上を」などと平気な顔つきで詞(ことば)を継いだ。
 三日の午後になって、狭い境内に車が入って来た。本殿から見ていれば、「車の御祓いをしてくれろ」とじいさんばあさんが頼みに来た。車の御祓いなぞ学校で習っていない。
 人間のやり方しか知らないから、人間と変わらず儀式を行い、思いついたから車の四辺を廻って大麻を揺り動かした。じいさんばあさんに曇りの表情は見てとれなければ、「滞りなく、取り納めました」と決まり文句を述べて、のし袋を受け取った。
 夜の七時に宮司のかみさんが運転する車に乗って振り出しの神社に戻る。一升瓶とともに貰った茶封筒には、五万九千円が入っていた。
 家に着くと電話が鳴った。宮司からである。電話口の向こうから酒焼けした声を出して、
「お守りとか、いちいち袋に入れなくていいから」と言う。
「そうですか。ただ、こちらはもっぱら御祓いで、授与所の方は今日もおかみさんがやっていましたし。最後も、氏子の人が残ってやっていましたので」と答えれば、
「あんなの氏子じゃないんだよ」と言ってのけた。
 おれは電話口で思考を倹約していた。
「まあ、帳尻が合ったからいいや。明日、銀行が来るから。その御祓い頼むよ。本社で。午前中で済むから。五千円でいいよね」
 窓を見上げれば、模造紙を張りつけた様な白い月が、太陽の光を受けて世界を照らしていた。
 あくる日は八時に出向く。宮司が出払って宮司のかみさんしかいない。九時半から、五万円を持ってきた銀行員の御祓いを執り行った。
 御祓いはその一件のみで、おかみさんから五千円を渡される。
「すいませんね。うちのおとうさん、でたらめで。あれで今まで来てくれた人に比べてもよくやってくれるって喜んでます。学校もお忙しいでしょうが、これからもお願いします」
 お願いされたから続ける事になった奉仕は、三方に載せた米と塩と一升瓶という供え物の前で、二度三度と神明奉仕を積もうとも、打ち合わせに来るたびに、毎度夜の七時に一升瓶という景色を繰り返し、我が上を床上の跪拝(きはい)で祈念を凝(こ)らしてはいたのだが、就職口に関しては効果が表れない。日本酒を飲む癖はついた。

 五

 四年の暮れに奉職先を求めて神道研修室に赴(おもむ)いた。求人広告は掲示板には張り出されない。
 神道研修室に入って、学生証を野間に見せた。
「神社の求人は併願不可だから。ほかに行きたい所があって、仕方なく来たんじゃよくないからね。受からなかった場合、受けなかった事になるんだ」と教えてくれる。
 全国各地の神社の求人票が束になってカウンターの端に置いてある。
 束を開く。
 勤務時間は八時から五時、冬のあいだは九時から四時という神社もある。月の給料は十五万から二十万、賞与は半年分、そのほか祭礼手当あり、週休は大抵一日だが、二日の神社もあり、そういう所は大神社で手当も多い。神社の求人には年齢制限があり、同時に、行く行くは自分の家の神社を継ぐつもりの者を欲しがる傾向があった。
 束をめくって行く。
 めくって行って、しまいまで来たので、そのまま束を閉じた。
 おれの応募出来る神社が見当たらないから、学生証を返してもらって、出た。
 年も明けて、卒業と同じくして神職免状を受ける手続きをした。ただではなかった。十三万二千円を添えての話であった。受験情報誌どころか、大学の募集要項にもこの事は抜いてあった。一か月前、『申請する者は、所定の書類と、十三万二千円を添えて神道研修室に持参する事』との張り紙を見て、知った話である。
 卒業後のあてもたたぬまま四年間が過ぎた。卒業単位を取得した。卒論も通った。自動的に卒業だと言う。
 門出というより、通う理由がなくなっただけ、卒業の式も出なかったから三月の下旬になって卒業証書と神職免状を受け取りに神道研修室に出向く。
 ついでに、うちから近い所にある神社は人を募集するのか、聞いてみたら、野間は机に納まる研修室長に眼を向けた。
「ほう、何で入りたいの」
 研修室長は、縞の粗い背広に包んだ身を椅子にもたせたまま、質問には答えない。
「あ、やっぱりいいです」
 おれは勘が働いたから、こう言って出た。
 出たところのソファーに、背を向けた学生が三人坐って話している。教室で見た事のある角刈りに坊主頭である。三人はこんな事を言っている。
「会社でも作ろうぜ。おまえ、四月からどうすんの」
「しばらく休みたい。おまえは」
「船に乗りたい」
 出口に立つスチール製の本棚は日を浴びていた。卒業証書と神職免状を巻き入れた二本の筒の尻を、右と左の手で持ったまま腕を組んで見たものの、背を並べて収まった本の題名は相変わらず判然としなかった。変わったのは、硝子に映るおれが眼鏡を掛ける様になった事くらいである。
 校舎を出たところにある池の面(おもて)には、満開に咲く花の賑わいが映じている。
 おれは薄桃色の花が盛んに開く景色のなかに立ち、二本の筒をそれぞれ両脇に挟み込み、大学の門を出た。
 蒼いリボンを胸元で結んだ高校生が二人歩いて来て、面立ちの整った顔を見せながら、前に出たかたちで話している。
「暑いねえ。もう夏だね」
 そう笑って、背の高い人が髪ゴムを外した。解けた黒髪が薄紅色の頬に落ちかかり、花風に舞う。
 隣の髪の軽く波打った人は、フックを外して袖をたくし上げながら言った。
「本当に毎年めんどくさい。写真だけ取らせに来させるなんて。学校にいるのなんて、三十分くらい。こうして理由をつけて、学校に来させるんだ」
「それも今年で最後だ」
 薄桃色の花が瑠璃色の空に舞い上がる。
 帰りに酒屋で二合五勺の酒を買い、家に帰って大の字になる。

 学生生活が果てた。
「もう、十分だ」
 初一念、どうしても神社奉仕を遂げるべきほどのものもないから、何なりと口を見つけて、とっとと働こうとしたものの、四年の歳月と三百万近い授業料は虚空に向かって擲(なげう)った賽銭か。卒業から三十社に応募してみたものの、面接に進む事さえ珍しく、その面接では、「初対面で私の様な者が人生の事を言うのもなんですが、今までの経験を生かして、アルバイトではなくて社員を目指した方がいいんじゃないですか」と香炉屋の面接で言われ、七五三、正月ともなればかかってくる、「あ、次のお正月頼みますよ」との電話を拒みもせずに、卒業した翌年も一升瓶を背にして、お守りを効能ごとに並べていた。奉仕料は五万五千円だった。
 卒業から一年たった頃、八百屋で芋を買った帰りに、昔の編集長から電話があった。
「ああ、久しぶり。今何してんの」
「就職口を探していまして」
「それじゃあ、ちょっとまた原稿取りやらない。四月から。君のあとの子が子供産んで育てるってんで、今年いっぱい休みを取るんだよ」
 五年ぶりに飯田橋の編集部の扉を開けた。編集長が椅子のまま向く。顔つきは変わらないが、髪が白くなっていた。
「先生、少し細くなったんじゃないか」
「いろいろあったんで」
「君がずぶ濡れになって帰って来て、そこへ立っていたのが昨日の事に思えるよ。あの頃はよかったなあ」
 またしても茶封筒を抱えて小走りする職に戻った。
 昔に引きかえ、原稿取りに対して何とも思わずに、元の道へ帰る時節かと思っていると、宮司から電話があった。七五三にしては早すぎると思えば、宮司の知り合いの神社で祭りの手伝いを頼まれた。「昼は出るから」と加えた。
 日曜になって塩町の商業神祠(しんし)に行く。
 手伝いに来たのがほかに三人いて、二人は三十手前とおぼしく、一人だけ四十恰好の男がいた。
 聞けば三人とも、おれが大学一年の時に梯子を抑えた神社の神主だと言う。手伝いに来たとも言った。おれに狩衣の着方を教えてくれた四角い人はいなかった。
 十一時頃、四人で境内を出た。恰好は白衣袴に草履である。年嵩の者が大麻を持つ。一人が賽銭箱を頸から細帯で掛けて、幟を持つ。賽銭箱と言っても、ただの平たい箱だから弁当でも並べれば駅弁売りの姿である。おれは残りの一人と荷車に太鼓を載せて出た。神社にある長胴太鼓ではなく、阿波踊りに使う様な樽太鼓である。
 軒並みに提燈が吊ってある町内を、白衣袴がおのおの小道具を持ち出して隊列を組んで進む。
 おれが左手で車を押しながら、擂粉木(すりこぎ)の様な棒を右手に握って太鼓の上を叩けば家々の扉が開くといった具合で、人々が家から出てきては賽銭箱に初穂料を入れ、巴の提灯が下がる軒先で祓詞抜きの簡単な御祓いを受けている。
 荷車の音と太鼓の音を響かせながら、家と家の合間をぬう裏路地を、割烹(かっぽう)と紅で書いた看板まで抜け出して右に切れた。道が細く、裏町の商店街に入ったと思ったら、よせ鍋だの炉端焼だの、赤やピンクの看板がかかる店が多いのは、飲み屋街に入ったのである。
「ここで飯だな」
 大麻を持つ者が、そう言うなり店に入り込んだ。
 戸の開いた間口の狭い茶屋に入る。背に祭と染めた印(しるし)半纏(ばんてん)を着た男が、座敷で群がって煙草を吹かしたり箸で皿を突いたりしている。
 白衣が四人で戸口のとっつきに坐ると、何も誂(あつら)えずとも鯛の活け造りが出た。
「そろそろ分散実習の時期だなあ」と年嵩の者が言った。
「うちの実習に来るのは女だけですね」
「しいっ」と賽銭箱を抱えていたひょろ長い男が人差し指を立てて、制する声を出した。
 皆笑う。
 おれも付き合って笑おうとしたものの、鼻から二、三度洩れたばかりで、箸は止まらず、蓮の若葉を混ぜ込んだ蓮飯や、豆腐、里芋、牛蒡、蓮根といった煮物を片っ端から平らげていた。
 腹の張ったところで、ひょろ長い男が、「君は卒業したら奉職するの」とおれを学生と思っている様な事を聞いてきた。
「いえ、あんまり入れそうになくて」と努めて調子を合わせれば、
「そうかい」と目の玉に、横から見れば鯛の頭が映っている。
 三人が一服してからまた練り歩く。町を貫く一条の横丁に入る。
 荷車の重みがこたえてきた。車を押している者だけに上り坂とわかる様な坂になっている。
 坂の半ばくらいに自動販売機がある。先を行く者が幟を下ろして缶コーヒーを買いだした。おれの前にあって荷車を引く者は、さっきから小唄を口から漏らしていたが、いきなり手を離した。
 荷車に渡してある棒が脛(すね)に当たった。
「休憩だな」と言う。
 町なかの自動販機の前に白衣袴の者が陣取り、袂から出した煙草を揃(そろ)って吹かしながら缶コーヒーを飲むという、聖と俗のごたまぜにになった景色を晒(さら)している。おれは、しぜん俯(うつむ)きながら、荷車が坂道を下がらぬ様に抑えていた。
 再び荷車を軋(きし)らせて坂を登り切ると繁華な通りに出る。ここで小道具を持ち替える。おれは幟を掲げて、めし屋や椅子を空様に載せた屋台が並ぶ道を行く。
 ここからは太鼓も鳴らず、ただ歩く。すでに帰り道である。買い物や勤めの人が往来を行くが、顔を向ける物は少ない。
 大通りの歩道であれば、頭の上を電線が走る。触れぬ様に見上げながら歩くうちに、大麻を持つ者と荷車が連れ立って先へ行ってしまう。三人が往来にはみ出した鮨屋の看板の前で幟を待つ。追いつかぬ先にまた歩きだし、今度は暖簾でもくぐりそうな調子でラーメン屋に眼を向けている。大麻の身近から携帯電話の音がした。袂から出した電話を右手に大麻を左に、「あ、はい。大丈夫です。はい何とか。――そこを何とかねじ込んでみせますので――」
 神社で一万円貰った帰りにスーパーに寄って、入り口脇でのし袋から財布に一万円を移していれば、白い水兵服を着て、胸にスカーフを垂らした小さめの人たちが五、六人、おれの傍にやって来た。階の案内板を見上げている。
「四階と五階だ。四階と五階に行こう」と言って、エレベーターには眼もくれず、脇の階段を登って行った。
 おれは松前漬けが食いたくなった。そう思って売り場に行ったら、梅漬けの生姜とクロテッドクリームを手にした。煎餅売り場で塩煎餅を六個買う。     口にいちごの味を感じたから、いちごのアイスも二つ持ってレジへ向かう。
レジにお爺さんが二人並んでいた。
 お爺さんより三十くらい若そうなレジの係が、「袋いりますか」と聞いたのに、
「えへへ。どうしようかな。えへへ」
 次のお爺さんは、「袋いりますか」の問いに、
「どうしようかな。ええと、ええと、じゃあ一袋だけ」
「これは入れなくていいんですか」
 レジがバナナの房を指したのには、「ええと、いいや」
 おれには、「袋一緒でいい」と聞いてきた。
「はい、いいです。あと、スプーンありますか」
「あるよ。いくつ」
「ええと、ふたつ」
「入れとくからね。ありがとね」と四本くれる。
 スーパーからの帰り道、うちの前で十くらいの女の小児が何かを抱きかかえている。犬と見えたが、下ろせば猫だった。
 小児と入れ違いのかたちで猫の傍に行くと、雉虎(きじとら)の猫がおれを見上げて尻尾を傾けた。
 挨拶をされたので立ちどまったら、猫が寄って来た。おれの足元に体を寄せる。ズボンの裾が毛だらけになった。
 毛が長いから顔が横長に見える。尾っぽも毛が長い。
 撫(な)でてやろうと、手を出したら退いた。離れたままおれを見上げて、また近寄って来る。足元まで来たところで、とまって見上げた。
 しゃがんでみたら、猫にも手順があるかの様に、おれの左側から寄りつつめぐって、背なか合わせになったあと、尾で以ておれの背を撫でさする。体も尾も柔らかい。
 立ち上がると、猫は正面に廻って尻を向け、尾を揺らしておれの左脛を左右左と撫でつけた。
 御祓いが済めば、向かいにあるアパートの錆(さび)階段の下に頭を入れて、用事は済んだというけしきで臥(ふ)している。
 脛の痛みが退いていた。
 帰ってから支度をしたお膳の上には、どんぶり鉢にティーバッグを入れたお茶と、クリームを山と盛った塩煎餅が載る。いくら食っても食いあきない。あきないまま腹が一杯になった。
 あくる日出て見れば、アパートの階段に片寄せられた自転車の下に、昨日の雉虎の猫が伸びていた。おれの御祓いをしてくたびれたのだろうか。お礼を言いたいが、何と言えば好いのかわからない。上等の猫フードでも置いておこうか。

「あ、あ、ああ、明日、七五三だから。大丈夫ね」電話に出れば、宮司である。
 電話口の声は前よりも甲高くなっていた。
 あくる日、朝に出る。路地の先に何かがいると思ったら、雉虎の猫が往来のまんなかで寝そべっている。夏場は毛が細って筒の様な胴が見え隠れしていたのが、冬支度に毛も揃って体が大きくなった。
 向こうより自転車が路地の幅いっぱいに並び来たが、猫の動くけしきはない。
 猫は間近に迫ったところで驚いた様に立ち上がり、往来の端から刻み足でアパートの錆階段の下に戻って来た。
 猫がおれを見ている。おれも立ちどまって見たら、起き上がった。階段をくぐって寄って来た。爪先に鼻を寄せる。足元をめぐって体を寄せ、頬まで寄せて来る。しゃがんで頭を撫でようとしたら頭を引く。猫が仰ぎ見る。おれが手を出せば、首を引っ込めて指先のにおいを嗅ぐ。咽を撫でてやろうと、顎の下に手を伸ばしたら上から掌を窺った。廻り込んで、装束の入った紙袋に鼻先を近づけてくしゃみをした。路地に親子連れが入って来て、猫は階段下へ戻った。階段の隙間から窺って、去ったと見れば出て来る。おれが一歩一歩離れると猫も随ってきたから、またアパートの前まで戻ってやった。自転車が来て、猫が戻ったところでおれは路地を出た。
  神社に着く。鳥居をくぐった先の落窪に枯葉が吹き流れている。烏が枯葉のなかにいて、口でつついている。何かを探している風である。
 社務所に入る。紫袴の宮司が玄関の黒電話を取っていた。
「隅田川の水で作ったって。江戸時代みたいだね。ああ。そうだな。一杯きこしめしますか。あとは何か乾いた物をいい加減に見繕ってね。一人五字(ごんのじ)は呑むだろ」と電話口の相手に告げて向き直り、「ああ、こりゃごくろうさん」
 半紙やらお守りやらが置き古された玄関間で、宮司は机に置いた菓子折の蓋を取った。まっ黒な饅頭が並んでいる。
「氏子が胡麻饅頭を持って来てな。食ってみろ」と言うから一つもらう。
「ああ、今回から初穂料は一律だから。おおおお、こりゃうまい」
 宮司は自ら頷いた。初穂料に頷いたのだか、饅頭に頷いたのだかわからない。どのみち参拝者の志には任せぬ肚(はら)らしいから、価(あたい)を問う。
「それでいかほど」
「まあ、一万」
「なるほど」の一言で片づけて本殿へ向かった。
 納戸から床几(しょうぎ)を十ばかり出して、本殿の板敷きに並べる。
 ここは分社と違って祭壇が人の背丈くらいあり、幅も三間はある。参拝者の坐る間には丸い屏風が立てられ、一面に芙蓉峰(ふようほう)が描かれている。
 おれは戸の陰で狩衣を着けて烏帽子をかぶった。上がったところの脇に拵えた受付に坐る。
 眼を上げれば烏がいる。
 手水舎の奉納手拭が掛かった竹竿に一羽がとまっている。羽を持ち上げて毛を繕(つくろ)う姿は墨を流した様である。
 一つ鳴いて飛び立って、社務所の棟木(むなぎ)にとまった。
 手水舎の屋根にまた一羽がとまる。とまって首をめぐらせて羽ばたき、棟木に立つテレビのアンテナにとまった。体を揺らせてアンテナをしならせている。
 先にいた烏はアンテナを見上げて鳴く。上の烏は構う事なく嘴をアンテナにこすりつけ、毛を繕う。棟木の烏は一鳴きして屋根に下り、足を揃えて跳ねながら軒端まで行って舞い降りた。小さく旋回して、手水舎の屋根にとまった。とまってまた羽ばたく。
 今度はアンテナのてっぺんにとまった。横に渡されたアンテナの端にとまり、居ずまいを直して落ち着いた。羽を畳んで置物の様になっている。
 おれは本殿の片隅で床几に腰をかけたままでいる。柱の時計は九時を指した。晴れ着の子を連れた婦人が賽銭箱の脇から上がって来た。
「おめでとうございます」と決まり文句を言う。
「ありがとうございます」
「こちらに、お子様の名前をお書き下さい。振り仮名もお願いします」
 記帳してもらった名前を、紙の切れ端に走り書きして祝詞に挿んだ。
 太鼓から始まる儀をこなす。
 祝詞に小児の名前を入れて奏上する。太鼓を鳴らす。
「七五三の儀、滞りなく執り納めました」
 お守りと千歳飴の入った袋を紅い晴れ着の小さい人に屈んで渡した。
「ありがとう」
「おめでとう」
「あの、おいくらぐらい出す物でしょうか」と、母親が初穂の価を尋ねてきた。
 すんなり口から出せる類の物ではない。言わねば進まない。柱に掛かった時計の、時を刻む音が高くなる。
「ああと、おいくらでも結構です。お志(こころざし)という事で」
「それでは」とのし袋を出してきた。中身は見ずに、受付の箱にしまう。
 次に来た七つらしい小児は、折り目正しいスカートをはいて、犬の形の鞄を手にして前後に振っている。
 十二くらいのお姉さんが、「ふんふん振って、気に入ったんだね」と笑っている。
 式が済む。
 姉妹揃って、「ありがとうございました」と小さな顎を胸につけて挨拶されれば、「おめでとう」と言って、受け取ったのし袋をそのまま箱に重ねた。これを繰り返す。
 三時が過ぎて、再び床几に腰をかけた。見上げれば烏が二羽、社務所のアンテナにとまっている。
 下にいた一羽が嘴を右、左と振って羽をあおって飛び立った。
 てっぺんにいた一羽は右足を上げて、左足だけでとまりながら、首を内側に傾けると、猫の様に掻きだした。
 今度は電線に下りて太く鳴く。
 宮司が社務所から出て来たのが見えた。手には手提げ金庫を持っている。こちらには来ずに、鳥居から出離れて行く。
 日の暮れかかって、お爺さんが二人やって来た。二人とも手にバケツの様な鞄を提げて、竿を肩の上まで上げている。
「どうも。宮司さんいる」
「ええと、寄合に行ったと思います」
「ああそう。これ今日の収穫。置いときます。よろしく」
 赤いチョッキのお爺さんはバケツを賽銭箱の前に下ろす。魚が撥(は)ねた。
 おれは階段を下りて、魚の入ったバケツを社務所へ運ぶ。
 鳥居へ向かうお爺さんの足元を見ると、靴の踵の外側が擦り減っている。擦り減っているどころではなく、地面に対して半直角ほど傾いている。がに股のお爺さんのためには、外側の欠けた靴の方が歩きやすい様である。話す声が聞こえる。
「よく出掛けるね。思い立ったがなんとか、ちゅうかさ」
「そろそろ春に植えた蓮根を掘りに行かんといけないね」
「まだ行ってなかったのかい」
「自転車に乗る練習があってさ」
「乗る用でも出来たかい」
「なに、新しい事をしてみたかったんださ」
「俺あ、自転車捨ててきちまってよ、こないだ駅の信号脇に置いといたら持って行きやがって、取り来いっつうから取りに行ったら、千円置いてけって言いやがって、いらねえよって放ってきたさ」
 鳥居の脇で落葉が舞い立った。
 浮世で過ごす人間の、神との仲を取り持つのは本来、神主の役目ではなく、禰宜(ねぎ)の役目である。神社に出向いて、禰宜さんと声をかけてみれば大抵の神主体の者は振り向くだろう。神を勧請すべき役目である宮司のほかは、全員職掌(しょくしょう)としては禰宜である。
 おれが禰宜かと問われれば、自分でも禰宜とは思えない。どうした話のまわり合わせか、神職の免状を持っている。やはり神主とも言えまいと思って、本殿脇で七五三の奉仕がひけるのを待った。
 烏は連なってねぐらへ向かう。あとは鎮まり返る。

 雪の舞う大晦日の晩に、年越し蕎麦のごちそうになる。
 社務所の玄関間に腰をかけ、固まって毛糸球(けいとだま)の様になった蕎麦を食っていると、「時雨蛤(しぐれはまぐり)、浅葱膾(あさつきなます)、鱈昆布(たらこんぶ)」と数を読む様な声を先立てて、宮司が玄関から入って来た。
「やあ、ごくろうさん」
 会釈をしつつ、蕎麦を飲み込む。
「ごちそうさまでした」
「ああ。今回から正月もここ本社でやってもらうけど、お焚き上げの事も言っとかないと」
「お焚き上げですか」
「正月にお焚き上げの札を納める所に、ぬいぐるみやら人形やら持って来るのがいるんだよ。見かけたら言っといてくれ。持って来るなって書いてあるんだけれども」
 宮司は空の暖炉を背にしてそう言うものの、しがらみを打ち払って、未来への一歩を踏み出そうとする人々の情動に、遮断機を下ろす様なまねをする趣味もなく、
「そうですねえ」とあいまいに受け流す。
「俗家に差し置き難い物を神社に納めるのはもっともなんだが」と袂もろとも腕組みをしておれを見る。
 おれは、「そうですねえ」と要領を得ぬ一句を繰り返すばかりで年は暮れる。
 年の改まったところで、柿色に塗られた欄干のこちら側で移ろわぬ儀式を繰り返し、お守りの授与や御祓いに終日かかずらおうとも、鳥居の向こうに初荷の車が見え始めれば御祓いの客も午前中に一組来たばかりで、しぜんおれの役割も減り、今回の正月の奉仕も今日で納めとなる。
「破魔矢くれろ」
 参拝のお爺さんが来た。
 井桁(いげた)に組んだ木の入れ物から矢が十本ばかり出ている。一本を抜き取って、価を告げて渡したが、「これはいらん、とってくれ」と破魔矢にぶら下がる絵馬が気に入らぬけしきである。
「はあ、これも縁起を祝うためについている物でして」
「いんにゃ、いつだっていらなんだ。いつでもそうなんじゃ」
 何だか知らぬが、いつだっていらぬらしいから破魔矢から絵馬を外し、ただの棒に羽がついただけ、素朴になった矢を渡した。価を五百円引いておいた。
 外し取った絵馬の表には馬の絵が印刷されている。裏には『宮司直通』と宮司の携帯電話の番号が記されていた。
 坐り直して、箱火鉢の灰をかぶった赤い炭をほじくりながら、板塀越しに正月の光にいざよう僧侶と手前の池を眺め合わせる。
 本殿の脇には溜まり水くらいな池があり、柵でかこってある。池の底は昆布で埋まっている。
 昨日の昼に宮司のかみさんから由来を聞いた。
「あれね。風習なんですよ。一月二日に昆布に針を刺して池に入れれば達者でいられるっていう。江戸時代からの行事らしくて。十二月三十日に柵を作るんですけど、一月二日にはどうしても投げ入れてしまって。あとで片しときます」
「『針なしでも効能は同じです』って看板立てとけばいいんじゃないですか」
「そうなのよ。神社ってほら、お寺と違って門がないでしょ。丑三つ時がいいって。お焚き上げに持ってくる人形だって、境内に入れちゃえばね。それで人の世界からその物は消えたも同然でしょ」
 改めてかみさんの話を思い返すうちに、こういう所に坐っていて平気なのだろうかと思えてきた。
 今も見ているうちに、池のあたりが小暗い気がする。池から眼を移して参道を越え、本殿前のお焚き上げ所を見ると、市松人形か載っている。あんな所に人形があったか。煙が風で横に吹き靡(なび)き、人形が転がり出して参道近くで燻(くすぶ)っている。
 降りて行って竹箒で元の山に掻き寄せた。御札やお守りにまぎれてテスト用紙の束が半ば焦げている。
 高校生と見える人たちが参道を歩きながら、「今日は、ほかほかして春の日みたいだ」と言って、両手を前に出した。鍋つかみの様な桃色の手袋をはめている。
 箒を社務所の壁に掛ける。
 参道を左に顧みた折しも、神道学科で同じだった久世(くぜ)が懐手(ふところで)で参道のまんなかをやって来た。
『いたいた』といったけしきで、やや張った頬に笑みをたたえている。
 久世とは修行も果てて、大学の四年になってからゼミが同じになって話す様になった。おれと同じく高校を出て六年たってから大学に入り、豆腐売りをしながら二部に通っていた。神職免状は受けたものの、奉職せずに卒業後は車屋の営業になってしまった。
「似合わないな」とおれの身なりを言う。
「着物は太った方が似合うものだ。車の方の仕事始めは明日か」
「来週からだ。有給使い切ろうと思ってな。三月で辞める事にした。いつの間にか、全力で出来なくなっていたからな。潮時だ」
「そうか。おれも原稿取りのバイトは去年までだった」
「ここに奉職しないのか」
「ああ。まあ上がったらいい」
 久世はおれに続いて賽銭箱の脇で靴を脱ぎ、階段を登る。本殿の回廊に出たおれの後ろに敷居を挟んで背を向け、雨戸を外してある柱に身をもたせた。
「このあいだ北参道に行ったよ」
 久世は尻を浮かせ、円座(えんざ)という藁(わら)で編んだ敷物を取り寄せて胡坐をかいた。
「神社本庁にでも行ったのか」
「通りかかったら、相変らず巨大な神殿みたいに聳えていた。修行の納めの中央実習はあそこで二泊三日だったな」
「おれは家からも近かったし、実習費も一万五千円で安かった。何より、机と椅子で正座じゃなかった。宿泊も日本青年館で神社本庁までの移動はバスだったし、『えっほ、えっほ』もなけりゃ、『左、右、左、右、左、左、左』もなかった」
「あの頃はこれで神主になれるのかと思ったんだが」と久世は頸(くび)をめぐらせて供え物を見た。
「ありゃ素質がいるな」
「一番簡単にとれる直階でもよかったかもしれん。夏期講習みたいな感じで、大学に行かずとも二週間くらいの合宿で済む」
「おれは大学に入ってみたかったのであって、宗教的発奮によって神道学科に入ったわけじゃない」
「そういやそうだ。おまえはわざわざ一般入試で受けたし」
「社会人入試があるなんて、入学後に知った話だ」
「直階などは通信教育もあるな。まあ、学科だけだとは思うが」
「その通信教育は神社新報に広告が出ていた」
「神社新報な。月曜になれば、神社会館の玄関にただで置いてあったものだ」
「おれは毎週貰いに行っていた。一面トップが『天皇陛下お田植え祭』だった」
 砂埃を上げる風に御札がくつがえった。おれは袂を抑えながら端に寄せる。
「あと、広告も鳥居の広告で、最新式プラスチック製鳥居。軽量。風に強い。とか」と久世も出てきて、草色のうちわで埃を飛ばす。
「神主の衣装の広告も出ていた」
「あれも袴と襦袢(じゅばん)と白衣と帯と草履で三万近くした。二着ずつあるから六万か。今のところ記念品だ」
 久世はまだ持っているという口振りで続ける。
「あれを着て単位を取って、卒業とともに明階神職の免状を十三万二千円と引き換えにもらったが、発行手数料にしちゃ桁が穏当でない」
「金額から言って、浄財と見るのが妥当だろう。世界の調和のために使ってくれるだろうよ」
「おまえは正月にこうしてんだし。神主になった方が元が取れそうだがなあ」
「ここは正月と七五三だけだから。何より、初穂で五千円だの一万円だの、訳がわからなくなった」
「訳がわからなくなったら潮時だ」
 おれはお守りの並んだ机の下からお守りを出して並べる。空いた箱からチラシが見える。『醤油百円先着百名限り』と朱く派手に書いてある。
 本殿に上がる階段では、七つくらいの女の小児が二人、腰をかけて綾取りをしている。初めは一人一人で網状にしたり、引っ張って箒の形にしたりしていたが、今は二人、互いに体を向かい合せて、輪になった紐を両手の指に掛けている。互いの右手と左手、左手と右手を合わせた時、相手に掛かった紐をとって風車の様な形になった。お互いの掌を拍子を取りながら互い違いに合わせて紐を伸び縮みさせている。
「おまえ、綾取りわかるか」と久世が聞いてきた。
「おれは綾取りはした事はないが、あの網目の形状、紐を渡すしぐさが何らかの結界をなして、小児の守りとするんじゃないのかな」
「結界のなかで結界を作っているのか」
「ああ、ここは結界のなかだっけ」
 一人が作った網目を向かいの小児が下からすくい取る。紐がたわんで、右手から抜けた。二人で笑っている。
「そういや、今は神道学科を出ても『明階合格』というだけで、明階をくれるわけじゃないらしい」
「そうか。『行政書士試験合格』みたいだ」
「二年間神社で勤めてから申請して、明階が授与される仕組みになったそうだ。授与料は申請と同時に払うらしい」
「ここは十三万二千円払って明階が授与されても同じだけれど」
「今は十二万だそうだ」
「最近の若者は徒金(むだがね)を使わないらしいから。奉職も決まっていないのに、十三万払うなんてきっぷのいいのが減ったんだろう」
「それで制度の方を変えたのか。このあいだ、大学の神道研修室に出向いてみた」
「今さら行くだけ、大したものだ」
「掲示板には『既卒者も奉職希望であれば、神社奉職調査書を出す様に。また条件(年齢)が合わずとも、希望する神社があれば積極的に申し出る様に』と書いてあった。卒業の時より仰山の求人があったぞ」
「まあ、あの頃は研修室始まって以来、少なかったと言うから」
「それで神社奉職調査書を出そうと、ひとまず入った」
「『積極的に申し出ろ』と書かれてちゃ、行くしかない」
「カウンターに野辺さんがいてな」と久世は神道学科に一人いた女子の事を言う。
「ああ、神道研修室に就職したんだっけ」
「まあ、そんなに喋ったわけじゃないからな。『卒業生の久世です。掲示されている奉職に応募できますか』と聞いた。そうしたら、今の今まで冗談まじりに学生と話していた面つきを収めて、『お待ち下さい』と小声で言い残して、おっさんを呼びに行った」
「おっさんて、野間か」と神道研修室の窓口係を思い出す。
「いや、知らないおっさんだ。おっさんは、『卒業の時に何で奉職しないで、今するのか』と聞いてきた。あの張り紙は何だと思ったが、『当時は奉職先神社が少なかったし、免状を申請したものか迷った際に、研修室の人から自分で手続きをすれば煩雑だから、将来のために今やっとくといいよ。あとからでも奉職できるし。と促されたから』と答えた」
「今になって思えば、明階の申請の時だけ客扱いになっていた。『多少の不備はこちらで直しておくよ』だもの」
「そうしたら、『いやね、神社側としても、一度民間に入っていた人が来ると用心するんですよ。民間に勤めていた人がわざわざ来るというのが』とくる。『やはり神社は新卒が来るものと思ってるから。こちらも学生を紹介するのが基本ですし。祭式忘れちゃってないか、そうした人を一から教え直すくらいなら学生を取った方がいいという話になりますね。うちとしても学長の推薦なわけですから』と神社奉職調査書を持ってくるけしきもない」
「まあ、カウンターという装置に入り込むと、対抗したくなるんだろう」
「まさにカウンターだ。別に大神社ではなく、神さびた神社で構わないつもりで話したんだがなあ」と久世は顎にはえた短い髭を引っ張る。
「『積極的に申し出ろ』との張り紙も誰に向けて出されているのか、具体的に書いておいてくれないと」
「窓口のおっさんは、『やっぱり神社側としても、一度民間に入っていた人が来ると用心するんですよ。なんで卒業の時に奉職しなかったのかと』と答え済みの質問をしてきた」
「同語反復が始まったら、窓口が閉まった合図だ」
「しまいに向こうも黙ったまま、頭にふと、学食のハムカレーが頭に浮かんだから、『自分で探します』と言って、出た」
「カウンターっていうのは長話をする所じゃないから。用件のみ。敬具。で済ませるべき場だ」
「うん、まったく母校とは思えなかった」
「神明奉仕の意欲満々な男を前にして書類扱いか。まあ、バベルの塔の崩壊以来、カウンターの向こうの者とは、話が通じなくなったんだろう」
「どおりで話にならないはずだわ。それで、研修室を出て学食に行こうと階段を下りたら、三段降りたところで尻餅をついた。雨で濡れていたからな。学食にたどり着いたはいいが、三十分も動けなかったほどだ」
「十三万二千円と免状の引き替えを以て、大学生じゃなくなったから。すでに学生証を持っていないし、学食さえまともに行けないか」
「向かいのテーブルで、野間がジャンプ片手に、カレー食ってる姿を見るばかりだった」
「野間はそこにいたのか」
「学生の時から、カレーのほかに食ってるのを見た事がない。昼飯を選ぶのが難しいのか」
「野間は毎日カレーが食いたいだけだろう」
「毎日、選んだ結果がカレーなのか。そういや、メニューの前に立って選んでる風で、やっぱり向かった先がカレーコーナーだったな」
「野間なら、つべこべ言わずに断るか、丁寧に書けとか言いながらも、書類を持って来るかのどちらかだろう」
「簡単だな。しかし、今のところは修了証もらっただけか」
「青春の思い出だ」
「あれで青春か。むしろ白秋に近い」
「あれはあれで、そこらじゅう青春だったんだよ」とおれは薄く笑った。
 久世は組んだ両手で盆の窪を押さえ、顔だけ仰向けになった。境内から人が絶えた。隣の寺の孟宗藪(もうそうやぶ)から風にざわめく音が流れてくる。
「この頃、時間が止まってくれないかと思う時がある」
 そう言って、久世は膝を伸ばして手を後ろに着いた。
「そりゃあ、会社に行きたくないんだろう」
「それが、休みの前の日にも思うんだ」
「ううん、時間が欲しいのか。やるべき事がわからないまま過ごしているとか」
「現実っていうのは、問題さえあいまいなんだよなあ」
「思い通りに行かない原因を探りだすと、しまいに証明しきれない自我やら何やら拵(こしら)えて、一仕事になる」
「das Ichか。自分で作り出したものを相手にしたら切りがなさそうだ」
「かりそめのものに気を遣わずに好きにしていれば済む話だ。素直な者があまり長く考えるべき話じゃない」
「自分の思いにさえこだわらない。快闊(かいかつ)とは、そういう姿だろうな」
「昨日の自分にこだわらない方が気楽で好い。おれは現在に満足しているわけじゃないが、後戻りして変えたい事も思い浮かばない」
「ターニングポイントで選びそこなったと思っても、何年か経てば、また違ってくる」
「普段から何かしら選んでいる様に思い込んでいるから、その調子で日常だって、選択肢があって、結果が出ると思うんだろうけれど」
「その時その時で、全力で情況に対処しているだけで」
「過去に戻りたいって言うのは、選択肢があるかの様に思い込んでいる姿だろう。情況を乗り越える事しか考えていないぜ。実際は」
「ためらうのは選択肢があるからじゃなくて、他人を見て迷っているだけか。探し求めたいのは、先に進める道しるべだな」
「どのみち本当の望みには向かうものだ」
 こつ、こつ、こつ、と参道の上を硬い物音が流れてくる。杖の敷石に当たる音がお守り売り場の前まで来ると、
「ふつう、神社って言ったら八百円に決まっておるわさ」と参拝のお爺さんは、千円均一のお守りを指した。
「はあ、そうですか」
「目玉焼きの黄身が半熟でなきゃいけないのと同じだわな。おみくじちょうだい」
 板床(いたゆか)に載った段ボール箱は、『おみくじは百円』『一回百円』『金はここに入れる事』と朱墨で文字がのたうつ。何に捧げた連禱(れんとう)か、隙間は『百円』『百円』と埋め尽されている。
「百円をそこに入れて引いて下さい」
「ああ、そうか」
 お爺さんは引いたおみくじをめくると、渋い面に満足そうな色を表して、
「何をやっても結局入門」と言い残して参道を去る。
 おれは奥から持って来たおみくじの束を、箱の上に開いた口から投げ入れて一混ぜした。
「やはり、酒が多いな」
 久世はのし紙のついた一升瓶の並んだ本殿を眺める。
「正月だし。奉納だ」
「おまえ、御祓いもやるんだよな」
「元旦は何人も来た。新年祈祷だから同じ内容になるけれど」
「一応一人ずつやるのかい」
「まとめてやれば楽だけれど、下で待つ者に上がってくれとは言わないな」
「ああ、そうだ。もし辞めるなら杓くれ」
「ああ、この杓はここの神社の物だから。今度、家に取りに来るといい」と言い交わした。
 久世が綾取りをしていた小児と何やら話しながら鳥居を出て、宮司が下駄をがらつかせて戻って来た。
 日暮れに誰もいない参道を、にたつきながらふらふらとやって来るのは屠蘇(とそ)酒に出来上がっているからで、「いやあ、氏子会もしょうがねえな。毎日だよ。縁起物だから飲まないわけにもいかないからね。いやいや三杯十三杯だよ」
 本殿に上がって、袂から茶封筒を出して見せた。
「ごくろうさん、これ奉仕料」
 おれは茶封筒を受け取り、賽銭箱に続く階段を下りて草履を履いた。
「税務署には行かない様にしてあるから」と宮司が本殿の回廊の上から言うのを背なかで聞いた。
 社務所に引き上げて茶封筒を裏返せば、『四万』とボールペンで書きのめされていた。
 床では宮司の携帯電話が震えている。
 なんとなく、これでここも卒業だなという気がした。
 藍色の空には金無垢(きんむく)の月が細く懸かる。寒い。

 八
 
 麦笛(むぎぶえ)に似た音をたててガス台のガスが切れ、鍋の米が炊き上がる。
 台所に立って火加減を見るべき手順を抜いて、とろ火で三十分、放っておけば芯も残らないし、タイマーの必要もない。飯を食いたくなる一時間前を見計らって、米を研いで浸けておく事もしないから、炊き上がったというよりは煮上がったと言った方が妥当である。
 硬めに出来上がったご飯は鍋にくっつく。一粒を杓文字(しゃもじ)の先につけては、土鍋の縁に移すといった事を繰り返すうちに、お米が糊の様になって取れなくなる。取り切れない飯は汁物を作って残らず食う。
 味の濃い物が食いたくなったから、カレーのルウを一箱分出し、水を入れた鍋に沈める。分けた方がよかろうと思って、割り箸を鍋に突っ込んで四つに割った。火にかけているあいだに流しの下の戸棚から缶詰を出す。鰯と秋刀魚がある。カレーの臭いが立ってきた。缶詰を笊(ざる)にあけ、水で洗って笊から滑らせて鍋に落し込んだ。おれの作る料理は、他人に示す物ではないから凝った名などない。カレーのルウを入れればカレーである。封を切った正宗(まさむね)の瓶を鍋に傾けた。
 出来上がって土鍋のご飯にカレーをかけた。台所で立って食う。割り箸でかっこんだ。口のなかだけ暖かい。このところ納豆にラー油を和えて食っていたから、冷蔵庫に納豆パックの芥子が余っている。おれは芥子を十二袋入れた。割箸でかき混ぜて食ってみた。別段からくはない。味が引き立ったわけでもない。同時にまずくもない。妙な油と塩味のソースの混合物に思える。カレーがご飯に比べて多過ぎた。カレーは半分以上食い残しがあるのに、ご飯が茶碗一杯も余っていない。爪先がしぜん猫脚の様になって吐く息も白くなってきたから、食いさしの鍋と土鍋に蓋をして部屋に戻った。ストーブの前にしゃがむ。
 部屋に臭いが流れ込んでいた。カレーの臭いではない。ごった煮の臭いが籠(こも)っている。腹がいっぱいになった。顔が火照ってきた。電気ストーブなる物は、体を暖める物ではない。体の前を火照らせるための器械である。
 静かな路地に足音が立つ。窓に影を曇らせたと思ったら、助っ人が窓からおれの名を呼んだ。
 窓を開ければ、連子(れんじ)の向こうで久世が胸から上を出して右手を挙げた。
「杓をもらいに来た」
「ああ。表に廻ってくれ」
 家には門もなく、沓(くつ)ぬぎへ下りて玄関の戸を引くとすぐ往来になる。いつの世に立てたか知れぬ平屋が住まいであるならば、蒲公英(たんぽぽ)の綿も風に乗って戸や襖(ふすま)の隙間から通り抜ける景色に積もる埃もなく、家に納まる家具と呼べる物は、茶箪笥(ちゃだんす)とちゃぶ台、ほかには靴下や下着を納めるために使う小桶くらい。茶碗小皿の類は流しの脇に置いたままである。
 東向きの表から続く八畳の座敷は、日のあたる縁側から奥の小庭に通じている。
 桃の木一株に、まん丸い茂みが二株あるくらいで、ほかは枯れ草が蔽(おお)っている。苔むした丸い飛び石が置いてあるが、めったに踏まないから、奥の方は草に埋もれている。
 一方は路地に面した家の板塀、他方に隔(へだ)ての檜の埒(らち)をめぐらせて、隣の家の窓には葦簀(よしず)が立ててある。
 盆に載せた鍋と土鍋を台所から持って来て、床に置く。昼間で鍵を掛けていないから久世が勝手に上がってきた。
 座布団の上で胡坐(あぐら)を組むなり、袱紗包(ふくさづつみ)からいびつな茶碗を出し、底をわしづかみにした。
「やる」
 久世の手から茶碗を取り上げて掲げてみる。字だか模様だか判然とせぬものが底に書いてある。
「何に使う茶碗だ」
「使うための茶碗じゃない。見るための茶碗だ」
「見るための茶碗なぞ、いらんぞ」
「いらなきゃ、誰かにくれてやれ」
「わかった。まあ、カレーを食え」
 久世は割り箸を割る。おれは鍋にご飯を入れた物を、久世は土鍋のご飯に鍋の物をかけて食う。
「何だこれは。カレーか」
「当たり前だ。リンゴと蜂蜜も入ってる」
「カレーの匂いがしないぞ。このかたまりはなんだ」
「鰯か秋刀魚だな」
「これはカレーのルウだろ」と久世は溶けなかったルウを割箸で潰す。
「加減がどうもな」
「味はカレーだな。野菜は何が入ってるんだ」
「何も入れてない。芥子くらいだ」
「カレーにわざわざ芥子なんか入れるものか」
「それが入れたんだ」
「別に何ともからくないぞ」
「そうなんだよ」
「酒の味がするぞ」
「ああ、酒を入れた。料理には付き物だろう」
「アルコールが飛んでいない様だぜ」
「せっかくの酒だからな」
 おれは左手で茶碗の糸底を棒を握る様に持ったままであったが、一度箸を置いて押入れにしまった。台所へ入ってラー油を持って来る。
「割らない様にしろよ」
「その段はタオルと毛布と達磨(だるま)しか入っていない」
「そういや、就職課とか行った事ないのか」と久世はカレーに浸(つ)かった飯を箸ですくって口に入れ込む。
「行ったぞ。四年の時、神道学科が指定された時間に。神道学科で行ったのは、おれだけだったみたいだけれど」
「何を話したんだ」
「結局は自分で探せと言われた。決まらなければまた来いと言うから、卒業して一年経ってまた行ったら職業安定所を紹介された」
「そんなにラー油をつけて食うのか」
「もちろんだ。それで役所に行ったら、職業適性検査を受けさせられたな」
「何が向いていた」
「まだ覚えている。上から、『裁判官、医者、大学教授、公正取引委員会審査官、プロ野球選手』の五つだった」
 久世は体を覆(くつがえ)さんばかりに声を上げて笑った。
「まあ、世のなかにある職業は、なろうと思ってなれないものはないと思う」
「続いてカウンセリングを受けたら、カウンセラーの親爺が独立を勧めてきた。『独立という事は考えにない』と聞いてきたから、今はないと答えた。『夢としてね、独立自営という事を考えておくといいよ』と言って、『夢 独立 自営』と紙に書く。『何やりながらでもね、最終的には独立という事に行くわけだから。あなたがやるのはこっちじゃなくて、これだからね。最終的には』と初めに書いた編集や神主を指して、次に独立をペンでぐるぐるとかこみだして」
「どこにも所属していないのに、独立も何もないだろうが」
「帰り際に、『自由業は見た目が大事だからね』というアドバイスまで貰った」
「ま、おまえは自由業に見えるんだろ。おれも今度、受けてみようかな」
「役所なんて、わざわざ近づくものじゃない。おれもそれきり行っていないし」
「おまえは役所とか、学校じみた所と合わないんだよ。仕事を辞めたら、どのみち行かないと。やっぱり、神主も辞めたら行くものかな」
「年金はもちろん、雇用保険も入っているみたいだから。神主だろうと、寺だろうと辞めたら行くんだろう。職安で募集している神社もあるらしいし」
「本当か」
「おれも聞いた話だが、田舎の神社がたまに募集しているらしい」
「それなら研修室抜きで話が通りそうだ」
「寺もあるらしいから」
「そういや、寺ってのは、ありゃ、僧侶の家か」
「僧が修行する場のはずだが」
「夜に閉めるのは僧を出さないためか。どう考えを押し拡げたら、修行の場に初詣に行く話になるのかな」
「どういう話か、いきさつは知らんが皆行くな。社(やしろ)の杜(もり)も寺の山も隣り合わせにあるものだ」
 二人でカレーを啜る。久世がぽつりと聞いてきた。
「結局、神道では何を信じるんだろうな」
「詮(せん)ずる所、『命を大切に』と言っていたんだろう」
「帰(き)する所はそこか」
「何事もそこから出る」
「神道は『言挙(ことあ)げせず』だからな」
「民俗学とかでも思ったが、大概は見たり追い求めたりしない方が無難だろう」
「遺伝的に平気な者だけが扱える物かもな」
「免疫のない素人が手を出せる代物じゃない様に思われたけれどな。人の念を工業製品の様に扱えると思えば手を出してしまう」
「神道も宗教というより、伝統に近いからなあ」
「既成宗教は何だって伝統だろう。職業としての祭主がいれば宗教だし、町内会が毎年、町民から祭主を選べば民俗だ。神社にしても祈りの場というよりは、お辞儀の場に受け取れるし」
「細かい作法があって」
「それだから免状があるのかと思ったくらいだ。二千年前は、ああして他人を、マレビトを迎えていたんだろう」
「二千年前か。記紀に、神武天皇が熊野の山で最初うまく進めなかった話があるだろう。昔、高校まで自転車で通っていたんだけど、朝も帰りも太陽が真正面にあるんだ。行きは東へ向かって、帰りは西。実際、日に向かって進むのはまぶしくっていけない」
「お日さまは、背なかで受けた方が暖かいし」
「そうか。神道人ならば、『日の御子の子孫が日に向かって進むのはいけないから、廻り込んだ』って話になるな」
「おれは『神道人』なる言い方を大学に入って初めて知った。神道史学Ⅰだったか。授業は、歴史なんて大義名分の掲げ合いだって、神主じゃない教授が言っていたのは覚えている。それですべて歴史を学んだ気になってそれから覚えていない。山岡さんにもらった英字新聞を読んでいた」
「六限のあとに教えてもらっていたな。おまえ、英和辞典だけ持って来た時あったよな。手づかみで」
「神道学科卒業と言ってみせたって、おれは書類上の事でしかない」
「神道学科卒業というより、むしろ神道を出てしまった感はある」
 久世の顔に思い残しがある様なけしきが掠(かす)めて過ぎた。
「そう見えるだけだ。現状は経過であって、結果じゃない。おれはいざよいながら四年を費やしたところで、頭に烏帽子を戴いた一人の見学者にすぎなかったけど。まあ、社会的な物も持っていないんだし、後悔する様な境涯(きょうがい)でもないし。それに、四年で学んだ事もある」
「何だい」
「家計に影響が出る物は買わない方が好いと言う事だ」
「簡単で好いな」
「簡単な事をしていれば済む。世界宗教史で聞いた『知識の果実を食べてはならぬ』って句があるだろう。おれにぴったりだ」
「『おのが賢(さか)しらを用いず』か。すんなりやれる事が最も簡単な事なんだよな。『何しよう』という意欲は間延びするし」
「その間に果実をすすめられるわけだな。うん、禁断の果実を食ってまで叶えたい願いってのは何だろうな」
「人それぞれ願いがあるだろうよ」
「欲念から生じた願いじゃ、釣り合わないだろう」
「ふん」と久世は鼻で返事をして、腕を組み直した。
「まあ、自分の行いにしろ、物事の価値にしろ、知るべき時が来たらしぜんとわかるものだ。物事を探る趣味も、情況を点検する趣味も、おれにはない」
「趣味の話か」
「大抵は趣味の話だ。自分の性質に反した言動は不協和音となってあらわれる」
「まあ、趣味に従った方が確かかもな。日常、論理的に結論を出したつもりでも、その論理の出処が浮き草の様な物だったら」
「論理と言ったって、大抵、情念から発しているから。心の差し示す向きが間違えていれば間違った物しか見えまい。向きが間違っていれば、事実だろうが、論理的だろうが、僻事(ひがごと)だ」
「下手すりゃ負い目になる」
「おれはこの頃、他人と話す時に眼鏡を外しているんだ」
「なぜ」
「他人の表情を読む事をやめたんだ。決め込むほどのものもない。表情よりは、声の響きの方が確かだ」
「眼鏡を外す事でしか、見えないものもあるかもな」
 鍋と土鍋は空になる。烏が鳴く。風が戸や襖の隙間を通って庭に抜ける。
「魂はどうなると考えられているか、おまえ覚えているか」
 久世はふと思い出したかの様な調子で聞いてきた。眼は空の土鍋に落ちたままである。
「どうだったかな。何かの講義で言っていた気もするけど、まあ、山か、海の向こうに行って、それから先はどうなるのかな」
「本当に、どうなるんだろうな。ああ、これをくれ」
 久世は空の床の間に立たせておいた杓に手を伸ばす。
「杓はやる。あと、これもやる」
 おれが押入れから取り出したのは、編集長からもらった海坊主の袋である。
「それは」
「海坊主だ。やる」
「いらん」
「おれもだ」
「いらない物は片づけたらいい。そうだ。仕事辞めたら旅行に行こうと思っていてな」
「旅か。楽しそうだ」
「全国の禊場を廻ろうと思ってな。ユースホステルを泊り歩くつもりだ」
「おまえは大根(おおね)では神道人だよ。おれも口を見つけないと」
「そのうち、納まりが好い仕事が見出せるはずだ。おまえは時間なら、たっぷり持っているみたいだ。英語がわかるなら海外でも行ったらどうだい」
「海外か。住むなら、馬とか孔雀クラスの動物が、その辺を平気で歩いている所だな」
「卒論もほかの連中が祭りとか、芸能について研究していたのに、おまえ一人で『日本における教会建築についての一考察』だからな」
「あの頃、建築の本を読んでいて、神社建築について書こうかと思っていたんだけれど、本殿は入れない所が多いだろ。教会は入れてくれるし。人のいない教会は楽で好かった」
「おまえは誕生日が誕生日だからな。おまえが生まれた時、ヨーロッパあたりじゃ、皆教会に集まって賛美歌を歌っていたんだものな」
「古文書は最後まで読めなかったから研究の仕様がなかった。そもそもおれたちの担当教官は世界宗教史が専門だ」
「結局どういう研究だったんだ。おまえのは」
「日本人が設計した教会はすぐにわかる。そこにはわびさびがなくては済まないという考察だった」
「そんな話だったのか。あ、教会で思い出した。神道概論の教授で、昔、奉職先を探していた卒業生の女を自分の神社で雇った話を覚えているか。一年経って、『私結婚しますから辞めます』って言うから、『それならうちで神前結婚式を挙げたらいい』と言ったのに、『結構です。私クリスチャンですから』とさっぱり言った話」
「それは覚えている。神社本庁に、『いいんですか』って聞いたら、『とくに問題はない』と言われたって」
「懐がひろいと言うか、奥が深いと言うか。まあ、行くわ」
 久世は両の腕を振り上げたかと思うと、反動をつけて立ち上がった。
 豆腐屋のラッパとともに久世は行く。
 日のあたる縁側に出てみれば、庭に三毛猫がいた。太った小犬ほどもある。金の小鈴を首から下げている。
 猫が来るのは餌があるからで、残った雪の間から伸び出た小さな黄色い花をへりくだって食っている。
 路地に出ると、頭の丸い男の小児が、「自己紹介しても仲良くなれるかが問題だ」と腕を組みながら呟いて、縁石伝いにふらふら歩いていた。角向こうから鼻の丸い小児が出て来て、「お前、どこ行ってたんだよ。俺は心配したぞ。言ってくれよ」とサラリーマンの様な口調で言った。
 空には透かし彫りの様な夕方の月が丸く浮かんでいる。
 久世は禊場をめぐると言った。おれは明日からやる事かない。世界の教会をめぐってみたくなった。これを俗に名づけて巡礼と言う。
 街灯がともり、夕日とあいまって小児の影を二つにした。

 九

 蔦蔓(つたかずら)に覆われた家の脇、小砂利を敷き詰めた抜け道を行く。   腰高の檜垣が切れた角に立つ、うす苔のついた木の幹を見上げれば、昼過ぎの日差しを受ける梢に蕾(つぼみ)がついて、丸窓の障子に影を作っていた。
 縁先へ眼をやる。鞍馬(くらま)の沓ぬぎの脇に出された手水鉢の下で猫が丸くなっている。
 おれは足の向くまま歩く。裏路地にある本屋に出た。トタンの海鼠板(なまこいた)を渡した軒先でアルバイト雑誌を読む。
 商品モニターを募集している会社が募集広告を出していた。シャンプーや酒を試して二時間で七千円といった類のものではなく、治験とある。
『検査一泊二日が二回で協力費七万』と書かれていた。
 こういう取引が存在するとは知らなかったから、家に戻って書かれた電話番号にかけてみた。
「胃薬を試してもらって七万円になります」と女の声が言う。
「はい」と答えたおれに、
「鼻から管を入れて胃液を採取しますが、よろしいでしょうか」
「よろしくはないんですが、ええと」
「鼻から管を通さないと採取できないんですよねえ。あと、肛門には体温計で」
 あくる日、おれは速達郵便を受け取った。封を切れば、『お引き受け下さいましたお仕事について』と書いてある。
 他に『治験とは』と題した小冊子と紙が三枚入っていた。一枚ずつ見て行く。
○書類にご記入の上、ご返送下さいますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
○私たちは安全でより良い薬を創るお手伝いができます。
○創薬ボランティアとは、治験に積極的に参加、協力する人の事です。
○胃薬を売り出すにはまず動物で試し、次に人間で試します。第一段階は健康な成人男性、第二段階は患者、最後に売りながら試して認可が下ります。今回は動物実験段階の終了した薬の試験となります。
『この電話番号でかけますから出て下さい』と電話番号が記されていた。
 三日たって、治験コーディネーターと称する者から電話がかかってきた。
「その後体調はお変わりありませんか。明日は大丈夫ですか」と明るく聞いてくるから、「大丈夫です」と決まり文句で受ける。
 あくる日、郊外の駅に着いたが、バス停が知れない。わからぬなりに探したが見当たらない。降車専用と出ている停留所にバスがとまっていたから乗り込んだ。運転手に十八番のバス乗り場はどこかと聞いたら、眼を丸くして、「十八番はもっと向こうですよ」と指差した。
 遅れそうだったから駆け足で行けば、一台のバスがおれを追い越して十八番にとまった。乗れば先の運転手が坐っている。運転台から遠い席に腰をかけた。
 窓に顔を向ければ、たれこめた雲が空を低くしていた。
 バスが十分くらい動いて、窓の外は半分畑になる。
 集合時間の一時をバスの時計が指し示して『胃腸病院前』というバス停で降りた。眼の前に病院がある。あとは葱ばかり生えている畑である。
 半開きになった扉を押して入れば受付は暗く、待合室に客の一人も坐っていなかった。
 受付の前に、髪の紅い看護婦が二人立っていた。
「こんにちは。こちらへどうぞ」
「ええと、治験なんですが」
「承知しています。まず、医療奉仕会の会員にならないとできないんですよ」と言う。
 看護婦は、長椅子と机の入った小部屋に通す。
『医療奉仕会入会届』と題した紙切れを出してきたから印を押し、名を書く。引き換えに札を渡された。三十六号と番号が打ってある。
「これからはこの番号で御呼びしますので」と看護婦は紙に向かって告げた。
 隣の部屋で待てとの指図で、扉を開けた。
 六畳ほどの部屋には、砥石(といし)の様な顔色をした大きな男ばかりが肩を擦(す)りつけて坐っていた。
 ひとまず扉を閉める。
「どうかなされましたか」
「いや一寸(ちょっと)」
「なかでお待ちになって下さって結構ですよ」
 小部屋に入って、割り込んで坐る事もないから扉の脇で立つ。
「まだ二人足らない」と扉の向こうで看護婦の声がしたと思えば扉が開いた。
「お待たせしました。五階にご案内します」
 エレベーターのなかは押入れの様に狭く見えた。おれ以外の治験者が乗り切ったところで、扉が閉まる。
 おれは、白く肥えた二の腕を見せる看護婦二人の後ろで待つ。
「最近口がかさかさする」
「靴」
「靴、口、口」などと話して、舌の先で唇を舐(ねぶ)っている。
 エレベーターに乗って五階に着いた。布の衝立(ついたて)がある。壁際には紙コップ式の自動販売機がある。コーラやオレンジジュースなど、町なかの物と売り物に変わりはない。衝立のなかに入って畳み椅子に坐る。衝立の前から身をめぐらせて見れば、治験者が並べられるとおぼしき白い臥所(ふしど)が敷いてある。勘定したら十五あった。時計はない。硝子窓の向こうに畑が見下ろせた。
 二つある窓の間には、白壁を背にした本棚に漫画や雑誌が詰められている。
 看護婦が予定を話す。
「今日は、これから先生の説明があるからそれに同意します。続いて身長、体重、血液および胃液採取。診察が一時半までかかり、次回から投薬が加わります。三日後に今日の健康診断の結果が出ますから必ず電話をかけて下さい。――協力費は医療奉仕協会から出ます」
 この場で渡された説明書に眼をやる。
『この治験は厚生省の認可を受けたものです。売り出す製薬会社は決まっていて、皆さんご存じの会社です。入院時にはパジャマ、下着、コップ、歯ブラシ、タオルを持って来る様に。パソコン、携帯電話も自由。時間厳守。遅れると診察を受けられない場合があります』とある。
 管を胃に通す際に塗る軟膏の副作用には『吐き気や脱力感、稀に情緒不安定』とあるが、この辺は看護婦の話には出てこない。
 行動予定では、
『胃に管を入れ、二時間入れっ放しにして十五分おきに胃液を採る。そうして残った物をすべて採って終了。誰に気遣う事なく、あなた自身の自由意志で決めて下さい』
 自由意志なる抽象的な言葉から眼を逸らし、衝立に眼を向ければ、看護婦に、「ああ」などと棒の様な返事を与える声を先立てて医者の男が入って来た。絵描きみたいな白衣を着ている。
 入って来るなり甲高い声で、「こんにちは」
「さあ、大した事はありません。すでに売られている物を試すだけ。なあ、君、そうだよねえ」と看護婦に向く。
「ほかの治験なんて一日十回も血を抜いたりするんですけれどね。これは、二回だけ。まだまだこんな事、いたって楽です。ましです。どうして、どうして、大丈夫なんですよ。何もありません」
 医者は大丈夫が大勝負に聞こえた様に、縁日のひよこ売りの口調で弁じたてる。
 始めに送られてきた冊子では、医者と治験者が相対して『説明文書』を手に『十分な説明』と『自発的同意』を得ている姿が、写真ではなく抽象的なイラストで描かれていた。
「説明文書は、時間が足りないから持ち帰って読んで下さい」と医者と交代して看護婦が言う。
「では二十五号の方からどうぞ」と数字を呼んだ。
 看護婦は治験者の身長体重を測定し、次々と尿検査に向かわせる。劇場のもぎりほどの手早さである。
 おれが身長を計る前にベッドに体を浮かせている者もいた。
 身長を計る。体重計に向かう。
「ゼロになったら乗って下さい」
 服を着たままであるから聞いてみた。
「体重計の目盛に服の分を加減していますか」
 看護婦は話しかけられた事自体が意外という顔つきを見せたあと、「とくにないですね」と眉をひろげて答えた。
 体重計の台に爪先を置く。目盛りの針が回転するや、「では尿を持ってきて下さい」と次を促した。
 体重を聞けば四十八キロと言う。
 おれが最近体重を計ったのは大学の四年の春だから、それ以来十キロやせた。
 しかし、おれの身長ならば体重が五十三キロを超えなくては治験に参加できぬと冊子にある。
「体重が基準を下回っていないか」と聞けば、
「いかがしますか」と答えた。聞き返されるとは思っていなかった。
 このあとは胃液採取に採血である。おれは白い天井を仰いで考えてみた。看護婦が唇を舐る音がする。
 考えてもわからないから、顔を戻して、「わからない」と答えた。
 看護婦が電話をかける。
「受付に行って下さい」
 受付には看護婦はいなかった。カウンターには会計課の札をつけた男が立つのみである。おれは眼鏡を外してケースにしまった。
「どうします」と言う。治験を申し込んでから初めて聞く口振りに、病院に着いてから渡された『減額表』と題した一枚の紙が頭に浮かぶ。
遅刻をした場合、三十分五百円、一時間ごと千円。無断の場合、一時間でも千五百円。また、無断で休んだ場合は一万円、持って来いと言われた薬を持って来なかった場合、三千円、それぞれ引く。
 無断外出、飲食、そのほか指示に従わなかった場合は、一万円から。
 自己都合でやめた場合、要相談と人に応じて払ったり払わなかったり、金額も変わりそうな事が表にしてあった。
 会計係は繰り返しおれの『自由意志』を聞いてくる。そんなあいまいな言葉では考えの取っ掛かりにはならぬ上、おれが聞きたいのは、基準を外れても構わぬ仕掛けなのかという事だから始めから話にならない。
 話にならぬ話を手っ取り早く片づけるための答は、「やめておきます」
 おれから否むという形になって話は先に進んだ。
「それでは、交通費も出ません」
 会計係がこの場の結論を出して、発達しない相談は片づいた。
「では」と、背(そびら)を返して病院を出た。退院したかの様な気分がした。
 帰りの電車でとろとろ、うとうとしていると、餅菓子の様な匂いに目が覚めた。眼の前と隣に、高校生が坐って話している。
「スカートが縫えない」
「蒼だから下はベージュだ」などと話している。
 向かいの人がサブバックからエプロンを出したと思えば、立ち上がっておれに向き、腰に横様にあてた。
「前につけたら」
「横にわざとしてるんだ」
 頭の後ろではこういう話が聞こえてきた。
「あの人アメリカ人なの。どうりで個性的だと思ったわ」
「アメリカ人って、親もアメリカ人なの」
「親がアメリカ人だからアメリカ人なんでしょ」
「父親は日本人なのかな」
「知らない」
 斜向かいの人が、「ウエストがとても細い子がいる。何でだろう」と言って、通路に立つ高校生の腰を見だした。伝う視線は、おれの腰でとまる。 
 おれと隣り合わせの人は、メロンパンを小さい口につけている。肩と肩と相触れる。
 向かいの人に、「わたし、メロンパンは一日一個は食べる」と話しかけられて、「ほん」と恰好の好い鼻の奥で返事をした。
 家に着いてみれば、珠(たま)の様な月が空色を背景に浮かんでいた。
 不思議とお腹のあたりが暖かい。印度の王子が悟りを開いた後、『もう十分』と思ったのがわからなくもない。

「ただ今からどじょうすくいで始まります」との怪しい日本語の放送が聞こえてくる。
 夏になった途端に、おでん屋からかき氷屋に変じた店の角を抜け出ると、空き地から音曲が流れ出ていた。
 この辺の連中は、氏神の祭礼とはかかわりなく、盆になれば踊る。
 大人ばかりが輪につながって、万国旗を吊った縄を蜘蛛手(くもで)に張った下、酒が廻ったとおぼしき踊り手が思い思いの普段着で、休日の気配を流しながら埒(らち)もなく揺れている。何がどじょうすくいなのかわからない。
 一片の雲が路地に影を描く。
 主婦連中のおれに向けた視線に押し出されるかたちで、横丁をあとに引き返した。主婦の話がきれぎれに聞こえる。
「おばさんどこ行くの」
「お風呂」
「何買ったの」
「鰹」
 小路の脇から商店街に入る。祭囃子(まつりばやし)が遠ざかる。
「スウィーティー、スウィーティー、ホウレン草」
 八百屋が椎茸を載せた笊を持ちながら、しゃがんで店先に並べつつ、背を向けて呟いている。空になった笊を片手に、肩だけ動かして行き過ぎかけたおれに向いた。
「あいよ、南瓜いいのがあるよ。おねえさん。いや、おにいさん」と八百屋をうろたえさせたのは、髪がうなじを越えて背まで垂れかかる後姿のために違いないが、入社試験に応募すれども返事なく、神社から電話なく、半年ばかり前、しじまのなかに降り続く雪の下、秩父山系まで面接に出向いたところで会社の愛玩犬に吠えられ、一散に西武線に乗って帰って来たあたりから就職運動などは無用の空騒ぎの様に思えて、自ら探し求めず、月に数回漫画の校閲や簡単な翻訳を頼まれてやるばかりで、床屋の敷居も一年近く跨いでいない。手を入れていない髪の毛は伸びたい様に伸びた。頭の後ろはひろがり、前髪は波打ちながら前に垂れるところを、深くかぶった帽子に入れ込んでいる。
 庭に生った桃ばかり食っていたせいか、今、こうして碁石屋の飾り窓に映るおれの頭は栗色に見える。部屋の畳の上に抜けた毛を見れば、毛先ばかりが黒い。根元に向かって色が抜けて行く。ペンを持てばペンが太くなった様である。靴もズボンも緩くなり、ベルトをしてもずり下がるから、腰のあたりを二重三重に折り返している。靴下が丸見えである。しぜん飲酒の癖が失せた。
大衆食堂の前に出れば、徳利を提げて陣笠をかぶった狸の置物に猫が驚いている。向かいの魚屋では主婦が二人、談笑する景色に、小さな自転車に乗って待つ五つばかりの女の小児は頬を膨らませている。
 商店街の敷石を外れ、家に続く狭い往来に入る。玄関先で女の小児が四人、背の高い順に並んで、ひよこの行列のごとくに歩いていた。後ろの子は手を後ろに組みながらついて行く。肘を伸ばして小さい手を背のあたりで組みながら、右へ左へ振って、お姉さんの様に歩きたい風である。
 部屋に入る。
 電気髭剃りを手に、縁側に出る。長い髭を剃るべき刃を立てて、髪の毛に当てた。
 縁ばなに土が溜まって、草が生えている。土が浅いから茎が横様に倒れているものの、横になった茎の脇からまた茎が生えて、空へ向かって伸びんとしている。
 桃の木では雀が毛繕いをしている。庭では三毛猫が草を食っている。猫が縁側の下まで来たから、二度三度毛を掻き撫でて首を揉んでやった。猫の頭に毛が降りかかる。首を揉まれながら剣状の草に咬みついた。一噛みしては隣の草へと動く。
 草の尖(さき)だけ食べてまた次の草に移る。
 うちの庭は牛のごとき草食の猫のおかげで、草の尖がない。夏場でも雑草の刈り込みをしなくて済む。
 おれは台所に入って素麺を茹でる。
 茹でた素麺を持って、ちゃぶ台の前に坐った。窓の向こうから間延びした烏の鳴き声がする。それから、間近に人の声が聞こえて少し驚いた。珠の様な声である。
「保健できれば4はとれるよ」
「わたし3だった」
「それはおかしい」
 おれは蕎麦猪口に山葵を入れて、茹でた素麺を啜る。
 たなびく雲に心をゆだねようかと、窓の向こうの空を見れば雲ひとつない。向かいの屋根や窓の下の道を見る限りは、ここら一帯は日陰になっている。
 素麺を入れた笊は空になった。箸を置く。
 あくる日は朝から眠かった。昼前にぬるい茶を飲んだらよけいに眠くなった。
 ちゃぶ台の上に肘をついて、両の腕を組んで半分寝ていたところに、路地から、「眠くて全然勉強できない」と言う声が入って来た。
「自分で考えたくない事って、他人にも考えてほしくないよね」
「わたし、答えたくない事には返事をしない様にしてる」
「楽しい事のなかにもちゃんと栄養があるのにね」などと聞こえた。
 おれは立ち上がって、気功のまねごとを始めた。息を吐きながら左手を前へ出した。戻しながら伸び上がって、右手を挙げる。雲が晴れて庭から草の色が差し込んだ。
 畳の上に仰向けに寝転ぶ。通り抜ける風に、風鈴につけた押し花が揺れている。夕影に鶯が鳴く。あとは――豆腐屋のラッパが遠ざかる。あとは――烏の鳴く声がラッパに重なる。

十一

「こちらへ」と髪の長い女が呼ぶ。
 立ち机を挟んで立つ女は頸から赤い紐で職員証をぶら下げている。昭和六十一年二月三日生まれとある。
「ええと、年金の免除申請の用紙ありますか」
 心得顔で女が持って来た紙には、『学生用』とある。
 おれは、「あれ」とそこに眼が行く。
「学生ですよね」
「あ、ふつうので」
 もらった書類を、肩から下げた海坊主の袋に入れる。この袋も編集長にもらって、そのままになっていた。捨てる前に一度くらい使おうかと思って、持ち出したのである。
 区役所ついでに隣の職業紹介所を覗いてみた。
 職業紹介所の入口に『おすすめ求人』と題されて、求人広告が出されている。おみくじ気分で見れば、兵部省の求人票に眼がついた。
 国家の防衛に係わる任務を職業紹介所で募っている。この種の求人は官報にでも公告すべき物ではないか。
 立ったまま読めば、未経験可とある。精神的福祉、現世的福祉と来たから、今度は現世的権力に応募してみる事にした。
 求人票には、九月の十九日が試験、十月一日から勤務開始とあった。
 職業紹介所の係に電話をかけてもらえば、「応募用紙を送ります。選考当日に持参して下さい。選考時間についてはまた電話します」との事であった。
 駅へと向かう坂道を下っていると、左肩のあたりにツインテールの後頭部が現れた。
 体はジャンパースカート型の制服を着て、後ろ歩きをしている。
 続いて、「早く早く」と後ろを急かす。
 振り返って見れば、携帯電話を構えて写真を撮ろうとしている人がいた。同じくジャンパースカート型の制服を着ている。
 おれは、肩に掛けた海坊主の袋が珍しいんだろう、と気(け)どったから立ちどまった。
「これ」と海坊主を指して聞く。
「かわいいですね」とツインテールの人が元気に言う。
「そうですか」
「写真撮っても好いですか」
「別に好いですよ」
 隣にツインテールの人が来た。
 ポニーテールの人が、「写します」とシャッターを切る。
「私も写りたい」とポニーテールの人が寄って来た。
「ああ、写しますよ」
 おれはそう言いながら、ツインテールの人に海坊主の袋をあたえる。
 ポニーテールの人から携帯電話を受け取って、十歩ほど坂を下りる。往来の人々が見る。
 写したあとで、袋を捨てるつもりであった事を思い出した。
「あの、気に入ったのならあげますよ」
「好いんですか」と海坊主の袋を抱きしめた。
「どうせ今日、捨てるつもりだったし。ただ、荷物が。まあ、いいか」
 おれが後半は半分口のなかで言うと、
「わたし袋持っています」
ツインテールの人が鞄を開けて、学校の名が入った紺色の紙袋を出した。
 ツインテールの人が口を開けたまま、おれはそこに袋から出したものを入れ込んだ。
「これ、どこで買ったんですか」
「どこなんだろう。もらい物で。売り物でもなさそうだし」
「ふうん」
 荷物は入れ替えた。紙袋を受け取って手に提げる。黒いシャツの胸ポケットから財布を出して紙袋に入れる。赤いズボンのポケットから鼻紙を出す。
 ツインテールの人はあくびをした。眼が合えば、瞳を潤ませて笑っている。
「それじゃあ、行きます」
「ありがとうございました。大切にします」
 おれは片頬で笑った。
 海坊主は捨てられたくなかったのだろう。元気そうな人が貰ってくれて、好かったな、海坊主。
 坂を下り尽くすと、駅に出る。改札口が並ぶ近道を抜け、駅前の交差点に蜘蛛手の様にかぶさる歩道橋を渡って、蒼い日暮れの坂を登る。
 登り切ったあたりで、商店街に入った。スーパーが改装前の売り出しをしている。
 台所にトマト缶があったのを思い出した。
 入れば、目の丸い髪の黒い小児が、萌黄色のワンピースを着て跳ねている。麦藁帽子の紐をかじりだした。親が買った物を袋に詰めるのを見て、「わたしもやるやる」とまた跳ねる。
 おれは普段とは違う順で陳列棚をめぐって、瓦煎餅や柿の種を籠に入れる。家庭的な婦人は籠の底に着色饅頭を八個、銭の鋳造の様に並べていた。おれも栗饅頭を籠に入れ、キャンベルの缶詰を手に取るうちに、トマト缶をかけるべきスパゲティの事が頭から抜けてしまった。
 台所にトマト缶が四缶ある。スパゲティがない。素麺はあるから素麺を食う。トマト缶があるからトマトを食う。缶の四分の一ほどをそのままかけて食った。次に残りの半分を煮てみた。食えなくもない。最後は工夫をして、味噌とみりんを入れて煮込み、練り胡麻をかけて混ぜ込んだ。これはスパゲティに合うと思えた。
 トマト缶に代表される日々を繰り返すうちに十九日になっていた。応募用紙は郵便で来たが、連絡がない。
 職業紹介所から電話をしてみれば、「あなたしか応募者がいなかったので」と言うから採用かと思えば、「試験を延期して十一月の一週目あたりに行います」
 兵部省の求人票を見れば、試験日十一月一日の、採用が十二月一日と変わっていた。
 延期された試験の一週間前になって電話をしてみる。
「試験は朝八時半からです。当日何でも聞いて下さい」
 採用試験の日は朝の五時に起き出してしまった。粟餅(あわもち)を平らげても、まだ六時である。着替えて七時過ぎに家を出た。歩いて向かう。
 玄関を出れば、かすんだ雲の立ち迷う空を烏が飛び交っている。
 犬を綱でつないで引く者が歩いていた。すれ違った時、犬がしゃがみ込んだ。引く者が力を込めても動かない。飼い主に引きずられる様にして、顔だけ後ろを向けたままおれを見ている。
 近くの学校に出る。学生が声を揃えて校庭を走っている。角を曲がると、三角巾をかぶった細い小学生が短いスカートをはいて、竹箒で落葉を掃きながらこんな歌を歌っている。
まあるいまあるいお月さま
雲の向こうににじんでる
今日は寒い冬の日で
皆は見上げて見ないから
雲の向こう 帳の向こうで休んでる

 坂を上がって行くと、おれを心にとめたらしく挨拶をしてきた。
 おれは挨拶をされるとも思っていなかったから、一歩通り過ぎてから、振り返って挨拶をした。
 また歩く。
「おはようございます」と次の小学生が、掃く手を休め、顔を上げて挨拶をしてきた。胸につけたゼッケンには、『ERINA』とある。
 今度は前にいたから、おれも挨拶を返した。
 角を曲がると、二人の小学生が並んで竹箒を引きずって歩いていた。
 二人ともに振り向いて挨拶をしたので、おれも同じ様に挨拶をした。
 おしまいに、門に立っていた守衛のお爺さんが、「行ってらっしゃい」と言うから、「行ってきます」と忘れかけていた言葉を口から出した。
 青山を抜け出て、往来を御所について曲り、麹町番町を通り抜け、市谷見附に入る。同じ様(さま)をした背広の人々が織る様に行き違う間を、端から端まで貫いて外堀を渡る。見る限り長い塀が片側に続く往来を、一人二人と相前後して行く人々のあとを歩いて兵部省の門に着いた。
『兵部省』と門柱に鋳物(いもの)の表札が張り出されている。
 スーツ姿の婦人が門の前で眼鏡を掛けて、脇から入って行った。
 門では衛士が十人ばかり、散りながら役に就いている。それがいずれも目深に帽子をかぶり、職員が登庁しても挨拶などはしない。杭の様に立っている。
「おはようございます」と挨拶しながら門に入ろうとしたら、ばね仕掛けの様に腕を上げたから驚いた。胸打ちを食らうかと思った。門からの通行は許さず、横手の通用口から通れとの身振りであった。
 受付の小屋に入る。門を入ったところにある小屋が丸ごと受付である。会社の様に、建物の一階などに据えつけていない。出入り業者風の親爺が立ち机で書き物をしたり、待たされたりしているのを脇目にカウンターへ向かう。信用金庫の様な恰好をした婦人が坐っている。面会票なる紙に名を書いて渡した。
「写真つきの身分証を提示して下さい」
「あ、持っていないんですけれど」
「では、お迎えが来ますのでお待ち下さい」
 受付小屋では、待つ者同士、黒いビニールの長椅子に腰をかけてお互いに話をしている。立っているのはおればかり。手ぶらでいる者もおれだけである。
 壁に掛かった時計が八時半を差した。
入口が開き、スーツを着た背の高い女が入ってくる。頸から名札を下げて手ぶらで来た。
 踵の高い女靴を履いて、おれを過ぎて受付に行く。
 こちらは向こうが迎えに来た者と知れるから、自分から近づいた。
「おはようございます」と挨拶して名乗った。
 髪の毛を後ろで纏(まと)めてピアスをした女は、こちら向きになって両の踵を引きつけた。「ついて来る様に」と告げる。
「では、出る時まで御同行という事で」と、これは受付が言った言葉で、面会票いっぱいに大きな判をぺたりと押した。
 女は『同行』と一面に印された紙を取り上げると、受付を出てつかつかと歩いて行く。
 急な坂になり、高さが十メートルほどの幅のひろい階段が聳えている。端に屋根を掛けたエスカレーターがあり、女と並んで乗った。女の胸先に揺れる名札には、昭和五十九年十月二十六日生まれとある。さそり座である。登りつめたところで、庁舎の前庭に出た。
 黒塗りの車が四台とまっている。
 衛士が立つのは門だけで、建物の玄関に姿はない。女が入る。おれは何も言わずについて行く。
 エレベーターには、背広の若い男に続いて女とおれが乗った。
 閉まりかかって、もう一人、若い男が入って来た。これはトッポとファンタが入ったビニール袋を提げている。
 二人とも鬢(びん)のあたりまで刈り上げた髪を針の様に逆立てている。
 あとの男が先の男へ、イヤホンを外しながら、「ちゅーす」と言った。
 先の男もヘッドホンを外しつつ、「ちゃーす」と返した。
 女はおれの隣で二人の男を見下ろしている。
 九階で降りて、部屋に案内された。
 事務机が配されている。
「ここで坐って待つ様に」
 受付小屋以来、口を利かなかった女の言う通りに大机に坐った。
 坊主頭の職員が来たと思ったら、「あ」とおれを認めて近寄って来た。
 おれは立って会釈をした。
「ついて来て下さい」
 廊下を行く。病院の廊下の様に長く続き、部屋と同じく廊下も灰色に塗られている。
『××戦闘機××エンジン採用会議』と看板の立つ扉から廊下続きに離れた部屋のドアノブを男が捩(ねじ)った。繰り返し捩っても開かぬらしく、ノブから手を離した。
 造りの違わぬ隣の扉を開けて入る。誰もいない。遅刻をしたから別室というわけである。
 入れば二十畳ほどもあり、長い机に革張りの椅子が三脚並ぶ。面接室の有様である。壁には黒いカーテンが引かれている。
 おれは、面接官の坐りそうな席に着く。
「筆記用具を出して下さい」
 男は試験問題と解答用紙を机に置く。
「机の上には筆記用具以外、置かないで下さい」
 部屋には時計が掛ってあるが、「この携帯電話の時計で五十六分から始めます」と言った。
「指示があるまでそのまま待機して下さい」
 男は壁際に椅子を出して横様に腰をかけた。一人のために試験官をするけしきである。
「始めて下さい」
 試験問題は、すべて選択式であった。
憲法の三原則、国民の義務から始まり、歴史、地理、漢字に熟語、英語の要約、数学と、高校に及第すれば解けそうな問題は、三十分で解いた。
「早く済めば申し出て下さい」と途中で言われたが、おれは、このあいだアルバイト先の人たちと昼に食ったイタリア料理を思い出し、「他人の作った料理は、見た目もうまそうに作るね」などと考えていた。おれの料理は匂いと味が一致しない。匂いでは、何を作ったのか言い当てられない。他人の料理は、味よりも匂いの方がうまそうに感じる。This smells sweet!――。
「あと五分です」
「済みました」
「それでは続いて作文をします。お手洗いはいいですか」
「いいです」
「では遅れていますから、すぐ五分後に始めます」
 五分後は、おれにとってはすぐではないから立ち上がった。
「やっぱり行ってきます」
 憚(はばか)りに行けば、どうも、大の方を催してきた。
 十分後に戻れば、試験官の男は答案用紙を片手に持ったまま一人、入口に向いて立っていた。お互い何も言わない。
 作文も同じ調子で始まった。
『生涯を託すべき職について』または『最近、関心を持つ事』という題で作文せよとある。
『最近、関心を持つ事』について書く。近頃、縁側に生えた草が白い花をつける様になったのを毎日見ているから、それについて書く。三十分ほどで書き上げ、今度は禁断の果実について考えていた。ありゃ、ただうまいだけの果実にすぎなかったのではないか。どのみち時間が来たから蒲団から抜け出たという話では…。
「五分前です」
「はい、済みました」で部屋を出た。
 作りの違わぬ別の部屋に入れば、面接に来たと思われる者が男女一人ずつ坐っていた。
 おれが坐った先に、厚生係を名乗る白衣を着た女の人が来て、「では健康診断をしますから、厚生棟にご案内します」と明るい声で言った。
 エレベーターに乗って一階まで降りる。長く狭い廊下を進む。職員の描いた素人絵が壁に飾られていた。
 廊下を進むにつれて、行き交う者がスーツではなく、国家から支給された服装になる。陸海空といるが、海の方面は水兵服を着ているから見ればわかる。
 陸と空は緑っぽいのが陸で、白っぽいのが空だろうと思えば、頸からぶら下げた紐に『空の部隊』と英語で染め抜いてあるから、白いのが空の方面であった。
 廊下を抜け出て厚生棟に入ったところに喫茶店がある。コーヒー二百八十円、ビーフシチュー五百円と黒板に書いて、前掛けの親爺が、「いらっしゃい」と呼んでいた。喫茶店を通り越し、エレべーターへと向かう脇には、ホワイトボードの立て看板が『今後の予定』と題している。
 上段に『教育ローン相談会』と書いて、次の段には『住宅ローン相談会』とある。場所は『第十三会議室』と断って日付が添えられ、兵部省に所属する各員に各種の相談を勧めていた。
 床屋もある。同じく黒板が出されて『調髪二千七百円、ミクロパーマイメージそのまま、七三分け目きっちり、G.I.カット、ヘルメットにぴったり』と書いてある。G.Iとはアメリカにおける兵士の俗称であったはずだがと思ううちに、エレベーターに制服を着た者と乗り、渡り廊下を行く。下を見ればATMなどある。大病院と言った風である。
 一条の廊下をずっと行く。『検査室』と札の掛かった部屋の前でとまった。
「坐って待っていて下さい」と厚生係が命じた。
その辺でぶらぶらと待たせる事はない。一分だろうと、三十秒だろうと、待たせる時は必ず坐らせる。廊下だろうが、部屋のとっつきだろうが、どこにでも椅子がある。
 坐ったまま問診表を受け取った。裏を返して見れば合格不合格と記した欄がある。
 今度は一分間坐っていた。呼ばれたから検査室に入って血圧を測る。
「血圧が低い」と言う。「しかし問題はない」とも加えた。
 聴力検査に向かう。
 奥に薄暗い部屋があり、なかに電話ボックスを一回り小さくした様な箱が並ぶ。
 箱に入れば無響音室の臭いがした。閉めると静かになる。ヘッドホンを当てる。機械からコードがぶら下がり、先にボタンの嵌まった玉がついている。
 遠どおしい草笛の様な、空耳か耳鳴りか知れぬ、か細き音が耳に入ればボタンを押す。
 聞こえているあいだは押せとの指令だから押し続ける。
 音が大きくなれば正解のしるしである。ほっとして押し続け、音がやめばすぐさま離す。それを薄暗い箱で繰り返す。
 箱の扉が開く。
「出て下さい」
 次にレントゲンを撮る。これも電話ボックス風の箱に入って写す。
「胸を板につけなさい」と言われたが、わずかに離す。
「息を吸って」
 扉が閉まる。閉まったと思えば開き、「はい済みました」
 学校もこれと同じ方式にしたらよかろうと思わせるほど早い撮影であった。
 続いての視力検査では、一分(いちぶ)ばかりに眼を細めたところで、五メートル先にある検査表に示された最も大きな輪も判別できない。
 裸眼の欄には0.1と記された。
 続いて眼鏡を掛けたが、この眼鏡も大学の頃の代物であれば、おぼろげにしかわからぬ。検査官の男は、おれの「わかりません、わかりません」に業を煮やしたけしきもなく、棚から笛の入りそうな布袋を下ろすと、口を開けて板を出した。
「見えるレンズで見て下さい」と板を勧める。
 板は一列に穴が並び、それぞれレンズが嵌め込まれていた。
 板を縦にし、眼鏡をかけたまま適当なレンズ越しに覗く。
 よく見える。視野は狭まるが、一点だけは明らかになる。
 そのスコープ器械のために視力は0.8となり、問診表には『0.8Ⅹ』と記された。
 続く廊下の行き当たりには『診察室』と札が下がる。
 左手には壁がない。椅子が並んでいる。面接に来た者のほかに三十人ばかり、その椅子に腰をかけて番が来るまで控えている。
 白衣の厚生係はここまでで帰って行った。
 おれは半時待って診察室に入った。眉毛の白いお爺さんが白衣を着ている。体の前ばかり、トントンと、聴診器を当てただけで、「まあ、いいでしょう」とたちどころに合格を出した。
「大きな病気はした事ある」「昔、肺炎になりました」「大丈夫ね」「ええ、今は」「睡眠時間はどれくらい」「十時間くらい」「意識障害とかないね」「ええ、たぶん」
 控え室に戻ると、女性の迷彩服がいた。制服や背広の者は三十人ほど待っていたが、迷彩服は一人だけである。
 待合室では、大画面のテレビが国会を中継していたが顔を向けている者はいなかった。
 健康診断に続いて、新しい案内人の刈上げの男について待合室に戻る。
 坐った先に呼ばれて立ち上り、隣の部屋で面接となる。来た時に筆記試験をした部屋である。
 扉の前まで来て、入るのかと思えば、
「待っていて下さい」と命じた。 
 命じた先から扉を開けてなかを覗く。また閉める。閉めた上で、
「どうぞ」と言う。
 まんなかに椅子が据えつけられ、長テーブルに面接官が三人坐る。左から坊主、パーマ、七三分けの親爺が並ぶ。
 名を告げ、どうぞと促されて坐った。
 まんなかのパーマが、「これから面接をしますが、緊張しない様に」とはっきり聞こえるが、どこか口ごもった感じで言葉をかけてきた。
「この職はどこで見ましたか」
「職業紹介所で」
「職業紹介所との事ですが、見た時はどの様な考えでしたか」
「はい、官報に公告した方がいいと思いました」
「え」
「いや、とくにありません」
「所属は会計課になりますが」と初めて聞く事を言う。
「仕事は庶務係となります。文書の管理、整理、課長のスケジュール管理、あとは言葉遣いはあれかもしれませんが、雑用となります。庶務係についてはどの様なイメージがありますか」
「何と言いますか、腕に黒い脚絆の様な物を巻いているイメージがあります」
「友だちや会社などのグループのなかでは、どの様な役割になりますか。リーダー的に他人を引っ張るのか、まとめ役となるのか、いかかでしょう」
「はあ、二者択一なら、まとめ役ですかね」
「それではどうぞ」と横の七三分けに任せた。
 七三分けの面接官は会釈した。
「水田です。よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします」
「勤務時間は八時半から五時になります。期間は来年の三月いっぱいまでとなります。俸給については、十六万になります。よろしいでしょうか」
「はい結構です」
「神道学科とありますが、その方には進まなかったのですか」
「ええ、進めませんでした」
 再びパーマの面接官が、「比較的、一か月、六ヶ月と短い期間でお仕事を辞められていますが、これは」
「はあ、臨時雇いでしたから」
 続いて坊主の面接官が口を開く。昭和四十一年生まれと自ら言う。
「兵部省についてはどの様なイメージがありますか」
「足を揃えて行進するイメージがあります」
「なかに入ってからは、どう思いましたか」
「ええと、立派な建物で」
「では、これで面接を終了します」とパーマがペンを置く。
 室の外に出れば次の者が坐っていた。
「ちょっとそこで待っていて下さい」と刈上げに止められて待たされるうちに、次の面接者が部屋に入る。入ったのを認めてから元の部屋に案内される。
 最初の女が立っていた。
「二十日くらいに電話で連絡があるから待つ様に」
 確か求人票には十日後に決定とあったはずだが、女は口を開けばただちに閉じ、おれに背を向ける。迂闊(うかつ)に口をきいたら投げ飛ばされそうな雰囲気を感じたから黙っていた。
 女について庁舎を出る。空はすっかり晴れた。高い地勢から見晴らす街の上には蒼く澄み渡った空が無干渉にひろがっていた。
 階段脇のエスカレーターを下る。風が枝を吹く。右にはエスカレーターに沿って、草山の小路にありそうな木組みの階段がついている。小春の日を受ける草の斜面からは秋桜の香がしみてきて、傍らでは嘴を空に向けた一羽の目白(めじろ)が、羽根を広げて頭上を行く輸送機のまねをしていた。
 女は『同行』と記された紙を受付に戻し、おれに向いて口だけで笑った。それから、なんだか言って去った。

 その後、日本での暮らしも潮時かと思い、巡礼に出るつもりでいたところに、昔の編集長のつてで学生会館の受付係を世話された。面接には編集長がついて来たから、すんなり通った。毎日茗荷谷まで通って、今ではおれがカウンターに坐っている。
 烏帽子をつけて大麻を振っていたのも、今となっては色褪(あ)せた思い出、くすんだ写真でしかない。
 久世は神主になった。何でも、都内でアダルトビデオの撮影をした神社が表向き宮司を変えなくてはならなくなったらしく、神職を募集していたそうだ。その話を初めはおれに勧めてきた。おれは、もう神主は閉口だと言って断った。白衣に袴、草履に帯は久世にやった。神職免状は塩を振って、卒業証書もろとも神田川に流した。

                                   了

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