2023/04/03 悲しみの第二波が

「悲しみの5段階モデル」というものがある。深い悲しみ、主に死期を目前に控えた時に訪れる悲しみの変化を表した言葉である。
・否認
・怒り
・取引
・抑鬱
・受容

 上記の5段階の感情を、順番通りに経験することが多いと言われている、らしい。
 今回私が感じた悲しみの変化を、このモデルと比較しながら振り返っていこうと思う。

・否認
 今回の悲しみが否認から始まったかといわれると怪しいところがあるのだけれども、この感情は間違いなくあった。悲しみの発生元に対して、それを否定するための材料を探した。

・怒り
 否認するための材料が揃ったら、ふつふつと怒りが湧いてきた。私が揃えた材料で悲しみの発生元を封じ込めてしまおうかと思った。
 この感情の持続時間が最も長かったように思う。否定して、どうにか築いてきたものを全部壊してしまっても別に構わないとすら思ってしまった。私は一人で生きていけるので。

・取引
 何かに縋ろうとはしていないのでこれは発生していない。と思ったのだけれど本当に今必要かどうか怪しい買い物をしたり、セブンイレブンで冷食を買いまくったりしたので散財で悲しみを誤魔化そうとしたのかもしれない。
 この感情は「怒り」と同時に発生したように思う。「取引」を経て徐々に「怒り」が落ち着き思考が冷静になっていった。

・抑鬱
 この感情こそ今回は発生しなかったように思う。これは一日中感じていたものではあるものの、春という季節や、花粉が多く飛んでいるという気候、そして新年度といういつもとは少し異なる状況やここ数週間の体調の悪さ、ストレスなどなど別の要因も挙げられるので、今回の悲しみだけに「抑鬱」の責任を押し付けるのは難しい。
「抑鬱」は冬から春にかけての季語である。

・受容
 多少落ち着いてきたものの「怒り」は未だ持続しているし、悲しみがなくなったわけではない。
 しかし、それは今回の悲しみの発生元である対象もそうだろう。私の愚かさのせいで、これからも一生苦しんだり傷ついたりするのだろう。そう考えると、私の悲しみや怒りばかり主張して対象を攻撃し続けるのは酷い棚上げである。他人と自分の感情を同じように考えることは好きでないし、間違っているとすら思うのだけれど、それでも今回の対象には自分にできる精一杯の誠実さを表したくて、私の得意な棚上げは使いたくなかった。
 それから、この悲しみと怒りがいつ発生するのかということを考えると一人の時である。一人の時、それも労働後、疲労している状態の時の思考を優先して今後の行動を決めてしまうのは悪い結果を招きかねない。
 だから私はこの悲しみを受け入れることにした。いや、受け入れるというとなんだか偉そうなので使いたくないな。たまに怒りや悲しみを感じても、多分それ以外の正の感情の方が多く発生するだろうという予感がある。時間と、楽しさや幸福が悲しみを薄れさせるだろう。

 悲しみについて振り返って、だいぶ落ち着いてきた気がする。この5段階の変化が正しいかどうかはともかくとして、悲しみや怒りで一人で塞ぎ込んでしまいそうになったらまたこの5段階の変化を思い出して、感情の変化を当てはめて考えてもいいかもしれない。
 遥か昔、子供の頃に実家で読んだ子育ての本だったか、保健体育の教科書だったかに書いてあったのは怒りの変化で、昇華という過程がある、みたいな内容だったような気がするのだが、ソースが探し出せなかった。本当はこちらで振り返りたかったのだが。この手の話に詳しい人や、知っているという人がいたら、教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?