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雲雀丘花屋敷のみちをゆく#6 高碕達之助

駅からメインストリートをゆるやかにあがり、急な曲がり坂を登っていった、山の中腹に高碕記念館はあります。高碕達之助たかさきたつのすけ(1885-1964)の旧宅です。

「高碕達之助にご興味あって来られたのですか?10人に1人くらいですかねえ。ヴォーリズ建築に興味ある方がほとんどですよ。」解説員の方は少し驚かれた様子。


高碕達之助は現在の東洋製罐グループホールディングスを作った実業家。晩年は政治家、閣僚として、日中外交、日ソ外交に尽力。昭和37年当時国交のなかった中華人民共和国との間に結んだ覚書、LT貿易(調印した廖承志と高碕達之助の頭文字を取った)によって準政府間の貿易が開始され、昭和47年田中角栄首相の日中共同声明へとつながります。
(↓第4回で高碕達之助の桜の移植について触れています。)


コロニアル様式の高碕記念館

解説員の方に案内いただいているなか、一匹の小さなワニのはく製が目に留まりました。


ワニ

「高碕はワニを飼っていたんですよ。」

この邸宅内にワニの飼育池まであったそうです。邸宅以外でも別に宝塚で私設の熱帯動物園を作っていたのですが、ある時大洪水で動物園からワニが逃げたとてんやわんやの大騒動に。出向いた高碕達之助がワニの鳴き声をして呼びかけると、なんとワニが戻ってきて無事捕獲できたとか!?

のちに高碕達之助はワニについてこのように語りました。

いっぺんなついたら、なかなか忘れない。ええとこあるよ、人間よりええとこあるで。

「日中をひらいた男 高碕達之助」 牧村健一郎著 より

高碕達之助は夢想家と言われていました。桜のこと、ワニのことから、人情味ある、愛にあふれたロマンティックな人だろうなと私なりの高碕達之助のイメージがふくらみました。

3階から階下をのぞむ

「高碕達之助は動物が本当に好きだったんですね。生きとし生けるものへの愛にあふれた方だったのですね。」と私が言いました。

すると。

「はい、動物好きだったのですが、そもそもは商売人ですからね。飼っていたワニから、ワニ革の輸出を目論んでいたらしいです。」

解説員の方がニヤリと笑いました。

「雲雀丘のダイアモンドヘッド」は高崎記念館おすすめの景色

ワニ革の輸出は実現しなかったそうですが、それもまた大きな視点から日本経済の発展を目指した、スケールの大きい高碕達之助の魅力だろうと感じました。高碕達之助のスケールの大きさ、愛の深さは、まさに雲雀丘花屋敷が誇る偉人の一人と言っていいと思います。


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