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雲雀丘花屋敷のみちをゆく #4 荘川桜

ひばりがおかやまぼうし公園に植えられているアズマヒガンは、荘川桜とよばれ、岐阜県にあった荘川村に由来しています。その荘川桜がなぜ遠く離れた雲雀丘花屋敷に咲いているのでしょうか。その答は戦前から終戦後にかけて雲雀丘花屋敷に居住していた、高碕達之助たかさきたつのすけ(1885-1964)にありました。

岐阜県の御母衣みほろダム。昭和25年にこのダム建設の計画が立てられ、荘川村は廃村となりダムの湖底に沈むことが決定されたのでした。

住んでいる村が沈む。この悲しみはいかばかりでしょう。電源開発株式会社の総裁に就任したばかりの高碕達之助は、ダム建設反対の声を挙げた住民に正面から向き合いました。

「故郷が埋没することはしのびないことだが、国家、社会のため、多くの人たちの幸福のために、自分が犠牲になる考えで承知してもらいたい。」

高碕達之助の真摯な対応に、反対派も次第に軟化。そんな折、荘川村を訪れた高碕達之助の目に老いた桜の木が留まりました。

『なんとかして救いたい。せめてこの桜をダムに沈めることなく、移植して生かすことはできないのか?』

高碕は動きます。桜博士と言われた笹部新太郎ささべしんたろう(1887-1978)を訪ね、移植を依頼。樹齢は推定400年。そんな老木を移植できる自信はないという桜博士に高碕はこう訴えかけました。

「絶対に駄目ですか?」

わずか5分の対談。笹部新太郎は勢いで受諾したのでした。

前代未聞の難工事を経て丘に移植出来た翌年、その桜は無事に芽を吹きました。花がついた桜の木にすがりついて泣いた元村民もいたと言われています。

「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人力で救えるかぎりのものは、なんとかして残していきたい。古きものは、古きが故に尊い。二本の老桜は、来年の春も、きっと花開くであろう。」

高碕達之助 随筆 「湖底の桜」

ダムによって村が沈んでしまう住民の悲しみを少しでも癒す方法はないのか、せめて桜だけでも残すことが出来たら、気持ちが癒える日がくるかもしれない。荘川桜の移植は高碕達之助の心のなかの矛盾や葛藤の先から零れ落ちた一滴の思いやりだったのではないかと思えてくるのです。

荘川桜の二世が縁のある雲雀丘に植えられ、高碕達之助の思いがいまなお息づいています。

なお、この桜にまつわる物語は、水上勉の小説「櫻守」に取り上げられ、のちにドラマ化もされています。




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