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福島SURFTRIP2010

暖かい季節になって、冬の間に雪山を活動拠点としていたサーフバディであるMさんが海に戻り、再び2人で海に行くようになりました。仲間と入れば、どんなプアなコンディションでも笑って過ごせるのが嬉しい。

2人で海に行くと、昔行ったトリップのことを思い出します。先日、海に向かう車の中で福島の海についての話題になりました。震災前の夏に行った旅。当時の映像が残っていたので、その映像とともにその時の旅の記憶を呼び起こして記事にまとめてみました。

当時の日記を追いながら書いたら長くなってしまいました(約4600字)。『おわりに』に添付した動画を見ていただければ、何となく当時の雰囲気を感じていただけるかと思います。音楽が主なので映像に興味のない方もBGMとして聴いてもらいながら本文を読んでいただけたら幸いです。


旅の始まり

この時の旅はサーフィンを始めたばかりのJくんと一緒に行くことになっていた。Jくんは私の職場の同期で、私がサーフィンをしていると聞いて「やってみたいから一緒に連れて行って!」と言われて何度か一緒にサーフィンに行っていた。そこで、毎年恒例となっていたMさんとの『海の日サーフトリップ』にJくんもお誘いしたのだ。

Jくんは事情があって日帰りになるので、旅先から電車で仙台に帰れるような行程を組む必要があった。Mさんと私はその条件で行ける場所を検討し、福島の海岸線を北から辿り、最南端のいわき市でJくんを送り出す計画とした。出発は2010年7月17日。確か、海の日がらみの連休初日だったと思う。MさんとJくんを集合場所の駅に私が迎えに行き、3人での旅がスタート。

新しい仲間を迎えて旅に出るということで、Mさんも私もとてもテンションが高かった。お気に入りの音楽と共に福島への旅が始まった。


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当時の愛車・CR-V。



DAY1

福島の海岸線は総延長約165Kmほどで、県別の海岸線延長では長い方ではない。大阪府よりも海岸線が短いなんて、なんか不思議。これは入り組んだリアス式海岸や島がないことが要因なのかな。でも太平洋に面した海岸線には多くのサーフポイントが存在する。南相馬市の北泉海岸やいわき市の豊間海岸はメジャーなポイントだが、原子力発電所周辺にもたくさんのシークレットポイントがある。Mさんと私は何度も福島の海に足を運んだ経験から、次はそのシークレットを見つけて入ってみたいと思っていた。

既知のポイントを回りながらも、その間にあると思われる場所をしらみつぶしに行く計画。特に原発周辺はネットの情報もほとんどないため、とにかく行ってチェックを繰り返すのみ。

初日は仙台から南下して、まずは北のメジャーポイントである北泉をチェック。波が良ければ入ろうかと思ったが、生憎のコンディション。霧も濃いので入らずに南下。


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震災前の北泉海浜公園のシャワー。今は無い。


その後、海沿いの道を進みながら入れそうな場所をチェックするが、潮が合わないのか良い波に巡り合えない。福島第一原発を通り過ぎて再び海沿いへ。

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こんな看板も。原発と共存していた地域。


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『YOASOBI』くらいは良いよね。。。


大熊町の海水浴場を見て、細い道を辿っていき、ちょっとした脇道を下ったところに海に続く獣道を発見。そこは地図にも乗っていないシークレットポイントと思われる場所だった。

その場所は断崖が続く場所の中でぽっかりと開いた海岸で、プライベートビーチのようだった。すでにボディーボーダーの先客が一人いたけど、ローカルではなさそう。しばらくすると上がってしまったので、その後は私たち3人の貸し切りになった。ちょっと厚くてトロ目の波だったが、たまに肩くらいのセット。私たちには丁度良い波質だった。


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小川を渡って砂浜へ。トリップ感出てますね。

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メローな波質


満足の1ラウンド目を終えて、もう少し南の富岡町の漁港周辺をチェック。波は良くなかったが、地元で崇められている奇岩を見たり、たくさんのカモメと戯れたりして楽しい時間を過ごした。


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富岡の奇岩。Jくんと私。

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カモメーが飛んだー♪


2ラウンド目はいわきのメジャーポイントの豊間海岸で波乗り。あまり波が良くなかったので1時間ほどで終了。仙台に戻らなければならないJくんをいわき駅まで送る。夜に酒を飲みながらいろいろ語るのもサーフトリップの楽しみの一つなので、次回は是非、泊りで行こうと約束し、Mさんと私はJくんを見送った。


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固い握手で次のサーフトリップの約束。


宿はいわき市内の『平(たいら)ユースホステル』。Mさんと私はいわき市内ではこの場所に泊まることが多かった。確か、素泊まりで1泊2000円くらいだった記憶が、、、定かではないけど。海に近かったため、震災で被災して今はもうない。

改めてWikiを読んでみたら、ユースホステルの利用者を『ホステラー』、ユースホステルを利用した旅を『ホステリンング』と言うらしい。初めて知ったわ。そうなると我々はサーフトリップ兼ホステリングしていたことになるわけだ。。。


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確かに。書いてあったわ『ホステラー』。『ペアレント』って?


この時は新潟県内の高校の柔道部(男子)と福島県内の高校のバレー部(女子)が合宿をしていた。Mさんと私が食事している隣でバレー部の顧問らしきオジサンが、生徒に高圧的な態度で説教をしていたのを見てなんだか暗い気持ちになったことが記憶に残っている。そのときMさんと私は「それもスポーツ・教育の一環なの?」と真面目に話し合った。日本の部活動って『楽しむこと』が二の次になっているなーとも。Mさんも私も学生時代にバスケ部に所属していたこともあり、珍しく熱く語りあった。サーフィンと出会ってからは特に、楽しむことで得られることもたくさんあると知ったから、という部分も大きいかもしれない。



DAY2

Mさんと2人になった2日目。朝一でいわき市のメジャーポイント、豊間海岸をチェックし、コシハラの波があったので1ラウンド。水が異常に冷たく、穴の開いたジャーフルを着ていたMさんはブルブル震えていた。1時間ほどでセットが来なくなり、終了。


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東北のハワイいわき市、豊間海岸

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二見ケ浦


午後からいわき市内のポイントをチェックするも、波が無い。波が無いとどういうことになるかというと、あたりまえですが波乗りが出来ない。そうなると、旅する我々のテンションがダダ下がり。普段から口数が少ないMさんは、波が良くないとますます無口になっていく。こればっかりはサーファーとして当然の反応なので致し方ないと思いながらも、いつも居たたまれない気持ちになる。いわき(東北)の最南端、勿来(なこそ)海岸まで波をチェックするも波は無し。。。


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心と体を温めてくれた、この日のベストウェーブ(うどん)。


最南端から波を探して北上し、いわき市の北、広野町と楢葉町の境にある『岩沢海岸』まで行ってみた。駐車場は海水浴客などで満杯。少し待って、やっと駐車できた。

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当時は賑わってたなー。


メインピークにはロングボーダーが群がっていたので、私たちは北側の空いている場所にパドルアウト。セットムネほどの波をゆったり楽しんでいたが、メインピークからは怒号が聞こえてきた。たぶん、前乗りしたとか、しないとかの争いだと思う。夏のピースフルな雰囲気の中でそんな争いしないでよね、と思いつつ、Mさんと私はがら空きのピークを楽しませてもらった。

海から上がってMさんが水道を使おうとしたら、脇から来たサーファーに割り込みされた。

「いやあ、陸でも前乗りされたわー。はははー♪」

と温厚なMさんは笑っていた。サーファーは海でもこうあって欲しい。
(もちろん、前乗りはダメよ)


海から上がって、すぐ近くの道の駅で温泉に入る。

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道の駅『ならは』。温泉付き施設。
最上階の温泉から海も見える。最高。


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双葉郡地図。多くのサーフポイントが、、、ありました。。。


なんとか波に乗れて満足して宿に戻る。途中、スーパーでお酒とつまみを買って宿で乾杯。

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この日来れなかった仲間と連絡を取り合うMさん。


共同のお風呂では、柔道部の高校生と談笑。若いエネルギーをもらったところで身体の痛みは取れないよね。疲れ切った私たちは9時前には床に就いた。



DAY3

旅も最終日の3日目。毎回のことながら、3日目ともなると体力的に厳しくなってくる5ラウンド目の朝。それでも早朝の空の色は美しい。

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いわき市内は波が無い。2日目に行った岩沢もイマイチ。ずっと北上して北泉もフラット。最終的には、北泉から発電所を挟んで北側に位置するカラス崎というポイントで最終ラウンド。

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カラス崎。美しい朝日。


やり切った気持ちで海から上がると、私のサーフボードのレールにひび割れを発見。Mさんのウエットも破れているということで、満身創痍な身体と共に、帰路、仙台市内のサーフショップにリペアを依頼しに行った。そしてMさんを仙台駅に送る途中で食べた幸楽苑のラーメンが最高に美味しかったな。



おわりに

エクセレントな波は当てられなかったけど、福島の海岸線を舐めつくしたこの旅は私の記憶に強く残っている。当時は意識していなかったけど、この翌年に震災でシークレットポイント付近は立ち入ることができない場所になった。地形も変わってしまっただろうから、結果的にこの旅の記録(映像・写真・日記)は貴重なものになりました。旅の約束をしたJくんは、その後転勤で東京に行ったり、結婚して家族ができたりして、今はサーフィンはやっていないそうだ。でも、いつの日かまた一緒に旅がしたいな。

この記事を書いている現在も、原発事故のあった周辺は立ち入ることができない区域となっています。動画のタイトルを付けるにあたって、『立ち入り禁止』の英訳を探ったところ、様々な表現がある中で『OFF LIMITS』という言葉に出会った。ニュアンスとしては「立ち入ることができない区域=聖域」という意味もあり、また、「言ってはいけないこと=タブー」という意味もあるようで、原発事故後の福島の状況を端的に表すにはぴったりな言葉だと思った。

震災から10年が経ち、原発事故の問題は過去のものになりつつある。だからといって反射的に「風化は良くない」というふうに主張しようとは思わない。ただ、原発問題が『OFF LIMITS』とされてはならないと思う。原発賛成、反対云々よりも、人類の進歩の象徴とされた科学技術をコントロールできなかった事実を受け止め、人間の幸福、豊かさとは何かを、個人レベルに落とし込んで考える必要があるのではないかなーと思っています。

可能かどうかは分からないけど、生きている間にまたこのシークレットポイントでサーフィンできたら良いな。もしも願いが叶うなら。。。


TRIPの映像です。2日目の昼(波が無くてテンションガタ落ちのところ)までの映像を編集してまとめました。

吐息を白いバラに変えて~♪



サーファーは波と戯れて遊ぶだけの存在かもしれないけど、海を通じて学べる事、考える事がたくさんある。

そして旅はネットでは得ることのできない多くの情報を私たちに与えてくれます。

パンデミックという一つの自然災害を経て、また新たな旅に出ることを夢想しながら、今は身近な場所でできることを楽しみたい。そんなことを思っています。


おわり



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