短編小説|「枝葉」 (第5話/全7話)
幸いホテルは2室確保できた。とりあえず、これで今日は風雪をしのげる。そう思うだけで安堵した。ただ、こんな旅でも洋人と一緒というのが気に入らなかったけど。
「そう文句ばっかり言うなよ。おれだって巻き込まれてんだからな」
ホテル向かいの焼き鳥屋でビールを飲みながら洋人も文句を言った。
「確かに。これは我が家の問題だからね。でもさ、嫌だったら断ってもいいんだよ」
「いや、嫌とは言ってない。でもなー、こんな大雪の日に歩かされる上に、家にも帰れなくなんてなー。想定外だ。特別手当が必要だ」
「分かった分かった。ここの飲み代、私持つから。好きなだけ飲み食いしなよ」
「アホか。バイトのお前に奢ってもらうほど落ちぶれちゃいねえよ」
そうだな。私よりも洋人の方が稼いでるもんな。
「それは今は無しにしよう。私だって好きでバイトの立場になったわけじゃないんだから」
「ほう。前の会社で何かあったのか?」
「あんたに言う話じゃない。とにかく飲むぞ。くたばらない程度に」
そう言って私は中ジョッキを一気に飲み干した。ああ、なんかどうでもよくなってきた、、、いや、どうでも良くない。
「あのさ、洋人。今日話しかけた女の人、どう思った?」
「ああ、あの人な。おれはちょっと態度が変だと思った」
「やっぱり?私も思ったのよ。特にあの手紙を見た時」
「そう。動きが止まって、凝視してた。あれ、知ってるんじゃないかな」
「私もそう思う」
「明日、もう一回行ってみるか。せっかく泊りになったことだし」
「そうだね。私もそうすべきだと思う」
「あと、あの人、お前に似てると思った」
「え、私に?それは気が付かなかった」
確かに、初めて話したにしては、親近感があったような、、、気のせいか。
「うん。やっぱり明日行かなくちゃね」
「そうだな。とりあえず飲もうぜ。もう、今日はやり切った」
洋人はビールを口にしてはどうでもいいようなバカ話を繰り返した。私の周りにはいなかったタイプの人間だ。こいつの話を聞いていると、私の悩みなんてただの考えすぎな気がしてきたな。
「私さあ、前の会社、クビになったんじゃないんだよ。自分から辞めた」
「ああ?なんだよいきなり」
「あんたのバカ話聞いてたら、もうどうでも良くなったから話すんだよ」
「そんなにバカか?」
「ああ、バカだね。そして私はそれ以上にバカだ」
酔いに任せたかどうかは分からない。でも、誰かに話したかったのは確かだった。
「あんまり細かいことは言えないけど、会社の上司が、私の同僚を裏切るような行為をしたんだよね」
「裏切る」
「うん。それを私は見てみぬふりをした。その上司の行為を知っていながら、私はそれを誰にも言えなかった。裏切られたその同僚は、会社を辞めた」
「うん」
「その上司は悪い奴なんだけど立ち回りも上手いし頭が切れる。私は告発することで自分も復讐されるんじゃないかってことを怖れた。自分の保身のために同僚を見捨てた。でも、その後悔が消えることはなかった。それに耐えられずに会社を辞めたんだ」
「そうか。おれがお前だったら、、、たぶん同じようにしただろうな」
「え?」
「自分を守ることって、本能だから。倫理とか、道徳なんてのは人が理性で後付けした理屈だろ。それを悪用する奴だっている。でも、怖れっていうのは本能なんだよ。仮にその時お前が理性によって正しいと思うことをしたならば、おそらく、お前の精神はそいつにズタボロにされたんじゃないか」
洋人の答えは私が想像していたようなものではなかった。
「佳穂、そんな過去の自分の判断に囚われてんじゃねえよ。人生、そんな暇ねえぞ。気がついたら死んでるのが人生だって、おれのじいちゃん言ってたぞ。あ、じいちゃんまだ生きてっけどな」
ははは。やっぱりこいつはバカだった。私も見習わなきゃいけないのかも。
「洋人のくせして笑えること言うじゃないか。やっぱ今日は私の奢りだ!」
「いや、今日はおれの奢りだ!お前こそ飲め!いつまでもウジウジすんなバカ!」
「うるさいよ、バカ!」
その後も洋人はずっとバカ話を続けた。しつこいくらいのその一貫性は、なんだか私に勇気を与えてくれたような気がした。
翌日、二日酔いで痛む頭を無理やり起こし、約束した8時にロビーにたどり着いた。洋人はすでにお茶を飲みながら新聞を読んでいた。
「おお、酔っ払い。ちゃんと間に合ったな。どれ、あの人が出かけちゃう前に家に向かうぞ」
「ああ、元気だな洋人。よし、行こう」
チェックアウトを済ませ、ホテルの外に出る。外は昨日の大雪がウソのように青い空が広がっていた。雪に反射する日の光が眩しく目を細める。
「最高の天気だな。結果はどうあれ、再チャレンジにふさわしい!」
洋人はまた意味の分からないことを言っている。でも、そうだよな。自分の想いがあれば、いつだって再チャレンジできる。
そして私たちは昨日行ったあの家に向かって歩き始めた。
その人の家の前は、きれいに雪が片づけられていた。朝日に照らされ、家の前の駐車場は雪解けの水でキラキラ輝いている。昨日話した女性が叔父さんのことを知っているという保証はない。私は全く関係のない人に同じ質問をすることになるのかもしれない。ただ、それがどうだって言うのだ。そうなれば、これでやっと叔父さんは正真正銘の『不在者』になれるのだ。
「じゃあ、行くよ」
「おう、行け」
私はふーっと息を吐いてからインターフォンのボタンを押した。
「はーい、どちら様ですか?」
インターフォンから昨日の女性の声がする。
「あのー、何度もすいません。昨日の夕方お声をかけた長谷川というものです」
しばらくの沈黙があった。私が洋人の顔を伺うと、その目には諦めの色が見えた。おそらく、私も同じような顔をしていたことだろう。さすがにしつこいよね。洋人が玄関に背を向け、私も踵を返そうとしたとき、玄関の扉が開いた。
つづく
サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。