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家族の死に対して私が感じたことは…でした

(毎日17時投稿)

こんにちわ、ボブです。

先日、母と祖母のお墓参りに行ってきました。
祖母が亡くなって7年の月日が経ちました。

身内が亡くなる体験をした7年前、
祖母と最期に会話したのは私でした。

そして、祖母の最期を見届けたのも私でした。
この体験を通して私は人が死ぬ日は実は決まっているのではないのかと思い始めました。

そんなことを言うと不謹慎なことだと非難されるかもしれません。

しかしながら私は祖母の最期に立ち会うことが出来ました。母はそれが出来ずに悔いが残っています。なぜ私だったのか、自問自答は今でも続いています。

私が体験したことは私の運命だったことを受け入れるようにしています。

受け入れたことで分かったことが、
家族を大切にすることでした。

すごく当たり前のことかもしれませんが
私には今までそれが出来ていませんでした。
今も出来ているのかと言われると自信はありません。

今回の記事は私が考える
家族を大切にするということは何かを
書いていきます。

投稿日が私の誕生日でもありますので
私自身の振り返りnoteにもしていきます。

家族とは恩恵

私にとって家族とは恩恵です。
当たり前のように過ごしてきたこれまでの人生を
振り返ると恩恵を受けまくっていたことに気付かされます。

大人になって、親元を離れるとそのことがよく分かりました。様々な恩恵を受けて育ったことを今更感謝し始めている自分がいます。

家族の最期は見届けたい

私の夢はこれです。
夢は何ですか?という問いに対して
真っ先に思い浮かぶのが「家族の死」に関して。

祖母の最期を見届けた時に強く思いました。
心拍数が0になる瞬間、別れがきます。
その別れは言葉を交わせないことがほとんどです。

しかし、きっと近くで見てくれている。
そう思うと側で手を握ってあげたいです。
別れとは言葉ではなく、想いです。

大切なのは時間

お金と時間、どちらが大切かと問われたら
即座に時間と答えます。

もし今家族の誰かが亡くなったとします。
私は遠くにいるので今すぐ会いにいけません。
それは私にとって一生の後悔になる可能性がある。

母がいつも言っているのが
あのとき祖母(母の母親)と一緒にいれば
最期を見届けることが出来たのに…
今でも後悔していると言っております。

それはそうです。
祖母が息を引き取ったのは、
私の母がすぐに駆けつけることが出来ない日だったからです。

私は後悔したくないと本気で思うようになったのはこの出来事があったからです。

家族の死を通して
私は誰かを想う気持ちを
大切にすると決めました。

そしてそれを行動へと移すことを
限りなく増やしていきます。

電話、メール、色々な便利なものがあります。
後悔するぐらいなら使えるものは使っていきます。

大切なのは、行動することです。
今日は家族に何を話したか、
何を伝えたか、感謝したか。

日々それを言い聞かせていきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

風の吹くまま、気の向くまま
編集者:Bobu

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