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East meets West ソクラテスと禅が出会った日

「寒山拾得」

寒山と拾得の二人は見た目は乞食のように小汚く、振る舞いも狂人のようであるものの、実は仏教の哲理に通じた高僧。今日掛けた軸に描かれた寒山拾得像の二人はすべてから解き放たれたまるで無垢な子供のような満面の笑みを浮かべている。

寒山と拾得の二人は、煩悩を断ち尽くし、もはや学ぶべきもののない境地に至った「無学」の状態に至っているからこんなにも無垢な笑顔を浮かべられている。詰まるところ、人は学びを深めると幸福の境地に至る、そして学びを極めることは”すべてを知る”ということはなく、”知る”ことに終わりはなく、知っても知っても”知らない”ことがある、その事実を受け止め、”知らない”ことへの恐怖をなくし、貪欲に学びを深めていけばいい。

というメッセージが軸に込められているという説明をしたところ、今日の参加者であったギリシア出身のアナスタシアさんが驚きと興奮の表情を浮かべながら、古代ギリシアの哲学者ソクラテスも同じことを語っています!と「無知の知」の解説をしてくれた。

こうした自覚への機縁となったのは,〈ソクラテス以上の知者はいない〉というデルフォイの神託であった。彼はその意味を解明するために,世に知者と呼ばれている人たちを吟味して歩いた結果,彼らの方は〈何も知らないのに知っていると思い込んでいる〉のに対して,彼のみがみずからの無知を自覚している,すなわち〈無知の知〉という一点において相違していることに気づいた。そしてさらに,神託の真意はソクラテスに名を借りてすべての人間の無知を悟らせることにあると考えるに至った。(出典|株式会社平凡社世界大百科事典)

もちろん厳密に突き詰めれば「寒山拾得」の教えと「無知の知」の教えがまったく同じという訳ではなく、夫々の教えを受け止めた僕たちの解釈を通しているものの、当時決して交わることのなかった古代ギリシアの教えと中国唐時代の教えが脈々と受け継がれて、一つの茶室で出会う。

まさにEast meets West。楽しい学びの時間になりました。

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