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社会的マルトリートメントとマルトリートメントの違い 新生児の縦抱き抱っこ紐、不登校やいじめを例に

社会的マルトリートメントについての私の説明がまだ十分にこなれていなくて、みなさんに誤解を与えているのではないかと懸念しています。

現在、子ども家庭福祉学会民間団体活動推進調査研究事業の助成を受けて、社会的マルトリートメントの概念構築に取り組んでいます。よくある勘違いなどについても検討し、より洗練された概念を構築したいと考えています。まだその途上ではあるのですが、現時点で気になる点について、書くことで整理してみたいと思います。

よく生じる勘違いは、こういうパターンです。

「○○も△△も不適切で、社会的マルトリートメントですよね!」。
この○○や△△の中に、社会でよく見られるけれど一般にマルトリートメント(虐待)と考えられていない「行為」が入ります。その行為の主体を断罪するようなニュアンスが含まれていることも気になります。これは間違った使い方です。

一方、
たとえば、「『体罰』はマルトリートメントですよね」は、その通りです。
力や立場が上の者が、善意だと思っていても下の者に対してふるう、いかなる暴力も許されることではありませんから、暴力をふるう「行為」は、マルトリートメント=虐待です。

また、「『体罰』は社会的マルトリートメントですよね」もそうです。
日本でずっと目をつぶられあちこちで当たり前のように広がっていた現象としての子どもたちに対する「体罰」、一つ一つの行為ではなく、それらの行為の総称としての「体罰」を指す場合、ここでいう『体罰』は「社会的マルトリートメント」です。

つまり、「社会的マルトリートメント」というのは、<概念>、すなわち
「多くの物事に共通の内容を取り出して、その本質的な特徴をもつ物事を表現する際に適用される一般的なことば」なのです。

別の例で説明しましょう。
例えば、私がSNS上で「新生児の縦抱き」についてしばしば問題点に言及しているために、

「新生児の縦抱き抱っこはマルトリートメントですよね」
「新生児の縦抱き抱っこは社会的マルトリートメントですよね」
と、ときどき言われるのですが、これらの表現は、微妙です。
必ずしも適切な言い方とは言えません。

*******
首が据わる〈3-4か月〉より前の、とりわけ、新生児(生後1か月以内)の
「首や座骨のあたりを手で支えない縦抱き」や
「胸や肩に持たれかけさせない縦抱き」、
つまり、「頭重の負担を集中的に首にかけてしまう抱っこ」は、

短時間でも、
・激しく揺れれば揺さぶりっこ症候群のように脳震盪を起こしたり、
長時間では、
・体重の3分の1の頭の重さが重力で首や背骨などにかかって負担をかけ、首肩背中の凝りを生じたり、
・首が前後左右に傾くことで、喉の一部がつぶれたり、体のゆがみを生じたり、(その結果として呼吸や嚥下機能、吸綴機能などの口腔機能に影響が生じたり)、
・常に緊張状態で、力を抜くことができない赤ちゃんになってしまったり、

(抱っこひもを使った場合には)
・視界が防がれてしまうために視機能、ひいては脳の機能の発達を損なったり、(前をふさがれれば、前が見えません。脳が急激に発達する時間に、目からの刺激が入らないのです。一方、横を向いていると視野が半分になります。首が据わっていないので、ずっと同じ方向を向いていることになります。首の向き癖がつき、頭の形のゆがみにもつながります)
・赤ちゃんの身体が固定されて「コンテナベビー症候群」(別記note参照)になったり、

する「可能性」があると考えられます(必ずそうなると言っているわけではありません)。

ひどい場合には、
そうしている人が意図的にしているわけではないのだけれど、
虐待(マルトリートメント)と言えるほどの発達の阻害や身体の損傷をもたらす
のではないか、という懸念があります。

(実際に首の据わらない赤ちゃんを抱っこひもに入れて自転車に乗っていたら、揺さぶりっこ症候群の状態になったという事例、首の据わらない赤ちゃんを高い高いして、赤ちゃんが首をガクンガクンさせているのを喜んでいると勘違いしてしまった親が、虐待と同じ結果を自分の子どもに生じさせてしまったという事例が報告されています)

そのような「かつて日本ではあり得なかった、両手を離した縦抱き抱っこ」を「可能」にしたとか、赤ちゃんは横抱きより縦抱き抱っこの方が好きと主張して売り出されているのが、新生児にも使える縦抱き用の抱っこ紐です。

赤ちゃんの身体の外側を、がっちりとした布で囲って、(しばしばある落下事故への対策としての安全基準を満たして)落ちたりしないように固めて、身体を部分的に吊る、支えることによって、人間が手で支えなくても、赤ちゃんを「運べる」ようにした道具

でも、これが、人間の手や腕の柔軟で複雑な機能を補完できているかと言ったら、「できていない」のです。

しかも、こういう抱っこ紐の中に新生児を入れると、
素手の抱っこのときに自然にできる、
首やお尻を支えたり、身体をさすったりする。
手や足を中心に(内側に、体軸に向かって)まとめる。
という、新生児親子にとって大切な、

 互いの皮膚や筋肉、骨の感覚を通して、互いの体を感じたり
 親から子に対して微妙な圧をかけたり(シェルハブメソッドにおいて「ぽんぽんむぎゅう」と呼ばれるような「体の地図」を作る日常的動作のこと)
 体軸や左右両方の感覚を作っていったり、
することが難しい
のです。

赤ちゃんが自分の頭の重さを支えきれずに、首や身体が曲がった状態で抱っこ紐の中にくしゅんと納まっている新生児をご覧になったことがないでしょうか。
そうして育てられ、首肩背中が張ってしまった生後2—3か月の赤ちゃんを触ったことがないでしょうか〈2か月で首が据わったかのように固まってしまった赤ちゃんたちが子育て支援の場や医療の現場に登場しています)。

メーカーの広告で使われている写真は、生まれて1週間以内、一か月以内でも使える、と書いてある抱っこ紐の広告であっても、首が据わった状態(3か月以降)の赤ちゃんをモデルにしているのではないでしょうか。
生まれてすぐの赤ちゃんを実際に抱っこひもに入れたら、くしゃんと下の方につぶれた感じになって、とても写真に撮って広告に出すことはできないと思います。

赤ちゃんの身体を犠牲にしてでも、「売れる」ことを優先する商業主義
「赤ちゃんの身体に悪いというエビデンスがないのにいい加減なことを言うな」と、長年、多数の親子を見てきて、その「おかしさ」を指摘する現場の人間の懸念を言下に否定する科学主義

そういうものがはびこると、一般の人では太刀打ちできない社会の流れになって、修正が効かなくなり、「これでいい」と思う人が大多数になってしまうのです。

実は先日、幼児を育てている脳科学者に抱っこ紐の問題点をお話ししたところ、この問題をすぐに理解して下さって、
「え?!まずい!」と驚いておられました。
自分の子を育てていたときに、気づいていなかったと。

わかる人にはわかるのだなと思いました。
脳の専門家が、新生児の縦抱き抱っこ紐の利用が、新生児の(身体だけでなく)脳の機能の発達にとって問題であるということに即座に反応して下さったのです。
けれど、前提となる体や心や脳の発達の「知識」や「経験」がない人には、わからないのです。
また、わかりたくない人には伝わらないのです。

しかも、新生児期の赤ちゃんの抱っこの発達への影響について、かなり調べましたが、研究は見当たらず(もしもあったら是非教えてください)、
私たちはなんとかそれに取り組みたいと思っています。
その脳科学者の方にも、今後の研究の相談に乗っていただきましたので、是非進めていきたいと思います。
********

話を元に戻しましょう。
「新生児の縦抱き抱っこはマルトリートメントですよね」については、
→「いいえ、素手で(あるいは薄く柔らかい布でくるんで)「適切な」縦抱き抱っこをすれば、マルトリートメントではありません」が正解です。

「新生児の縦抱き抱っこは社会的マルトリートメントですよね」
→「新生児は横抱き抱っこが基本です。現在の日本に広がっている『新生児から横抱きよりも縦抱き抱っこの方がいい』という言説は、社会的マルトリートメントを生む可能性のある表現です」ということになります。
(ただし、最近はその横抱き抱っこでさえもきちんとできない人が出て来ていて、それはまた別の問題です)

「新生児の縦抱き抱っこ紐の使用はマルトリートメントですよね」
→「はい、短時間でも姿勢が取れていない抱っこはそうですし(そして、姿勢はそもそも取れないでしょうし)、長時間の使用はより虐待という結果をもたらす確率を高めるでしょう。
 赤ちゃんは自分で辛いと言うことはできませんし、生まれたばかりでそれ以外の姿勢を知らないし、脳もそこまで発達していないのですから判断がつかないのですが、辛い状況だと思います。おとなが自分で同じ格好を真似してみるとわかるでしょう。自分の体重の3分の1の重さの頭を、据わっていない首の上に載せて、まっすぐの姿勢で手足で何かにしがみつくこともできず、尻だけで支える状態です」

「新生児の縦抱き抱っこ紐の使用は社会的マルトリートメントですよね」
→「はい。使用を勧めることは、多くの赤ちゃんの発達に問題を生じる可能性があり、それを放置、承認している現在の日本社会は、社会的な意味でのマルトリートメントを生んでいるということができます
(私たちは、この問題に関して、縦抱き抱っこ紐を推奨している団体に問題提起をしてきましたが、残念ながらスルーされてしまいました。全国的に配布されている、使用を勧めるパンフレットの配布停止を求めています)

ということになります。

さて、

新生児に対する意図せぬ「マルトリートメント」が起きてしまう可能性のある現状に対して、私たちは、親が「知らなかった」のにもかかわらず、それを「マルトリートメント(虐待)」だと言うことができるでしょうか。
私は、そう言うことに抵抗があります。

それで、私が代表を務める一般社団法人ジェイスでは、現代の日本で
誰でも知らないうちにマルトリートメントを起こしてしまう可能性がある社会を「マルトリ社会」と名づけそのような形で起きてしまうマルトリートメントを、一人一人の行為、一つ一つの行為ではなく、一つの現象として取り上げ、問題点を指摘してきたのです。

つまり、こういうことです。

出産後一か月以内の女性が、ワンオペレーション(一人きりでの子育て)のために新生児を連れて大人一人で外出せざるを得ないという場面が、しばしば日本では見られます。かつては里帰り出産が主流で、母方の両親が産後の生活を支えてくれたものですが、それがしにくくなっているからです。
外出の目的は、買い物(日々の生活のため‥通販が増えてきたとはいえ…)や2週間健診(任意)、上の子どもの送迎などです。

そして、そのときに、
新生児とどのようにして外出するか、あるいは外出しない方がいいか、
(そもそも母子の身体のために、産後の外出はしない方がいいけれど、狭い家で親子だけで籠って一か月生活するというのも無理があって、どちらにしても大変な状況)について、どうしたらいいかという適切な情報が、親に伝わっておらず、

その結果として、両手を赤ちゃんに添えず、新生児にとって危険と思われるような状態で、抱っこひもで外出している親が存在するのです。

それを可能にしたのが「新生児から使える縦抱き抱っこ紐の登場」です。
「新生児期の親を救う道具」として、販売されている
のです。

新生児でもこれがあれば大丈夫とメーカーは宣伝し、
親たちはしばしばそれを信じて私たちの警告を聞こうとしません。
でも、実際に抱っこされている、首の据わっていない新生児を、
多数の赤ちゃんを見てきた専門家たちが見ると
「赤ちゃんに負担をかけており、心配である」
「発達の様子がおかしい赤ちゃんがいたので、親に3か月までの育て方を聞くと、長時間縦抱き抱っこひもを使っていたということなのよね」
ということなのです


そこで、このような状況を作り出している社会(ワンオペ、狭い家、外出の要請、生後すぐから使っていいという抱っこ紐の販売と推奨など)
それを問題と考えずに、
むしろ、「やむを得ない外出を支援する」という触れ込みで

(新生児と母親の心身を守り、のちのちの子どもの成長を阻害しないという以上に「やむを得ない」ような事態はあるのでしょうか)、

新生児期も使えるという縦抱き抱っこ紐」をメーカーも専門家も推奨するような状況が展開されている社会は、
 マルトリートメントを皆が疑問を持つことなくあまねく広めている「マルトリ社会」と言えるのではないかと私は思うのです。

このように社会において、社会的弱者に対し、その生活や成長が守られていない状況全体を「社会的マルトリートメント」と私は言っています

そもそも最初は、学校や家庭などて強制的な教育が行われていることに対してエデュケーショナル・マルトリートメントという概念を作ったのですが、それでは、個人を責めることになりかねない、と危惧して、いろいろ考えている中で、社会的マルトリートメント、という概念を作り出したのです。

もう一つ例を挙げましょう。不登校についてです。

不登校の中には、学校や教員の、子どもたちに対する扱い方がおかしいために不登校になっている事例があります(すべてではありません)。

それは、具体的事例については、マルトリートメントと言えるのですが、
日本社会は、そういう不登校という状態が生まれ広がるような学校教育の現状が、日本の子ども観や教育観といった価値観によるものであると気づかずに、不登校が初めて報告されてから40年以上放置してきたわけで、そういう状況を表す概念が社会的マルトリートメントなのです。

そして、この概念は、「私はそんなことをしていないから関係ないわ」と言えるものではなく、そういう社会の中の一員として、
 その状況を変えることなく看過してきたという意味において、
 気づかないでその社会で生活していたという意味において、
社会構成員全てが考えるべきもの
だと私は考えています。

いじめで言えば、
 加害者ではないから関係ない、知らなかったから問題はない
ではなく、もしかしたら、
・加害者が安心していじめができるような観客の一人になっていた、
・知らない間にいじめのきっかけを作っていた(先生がいじめることを誘発したり、いじりにお墨付きを与えたりしてしまっているのはしばしばあることです)、
・いじめを見て見ぬふりをしていた、
という形で、いじめに加担していた「傍観者」であったかもしれないし、

・いじめが起きていることを知ろうとさえしなかった、見抜くことができなかった「その場にいた人たち」や、
・自分や自分の親しい人たちに問題が起きていないし自分は何も悪いことをしていないし「私はいい感じにうまくやっていると思っている人たち」
 が、「知る必要」「変わる必要」「考える必要」があるのかもしれない、

社会に対してそういう問題提起をしようとして考え出した「新しい概念」なのです。

まだまだうまく説明できていないかもしれません。
もう少しわかりやすく簡易に説明ができるように、引き続き検討していきますので、どうぞいろいろな角度から、コメントをいただければと思います。

※ 追記です。
 新生児の両手を添えない縦抱き抱っこが始まった頃から、
 「今までの知識や経験では対応できない赤ちゃん」
 「新しいタイプの赤ちゃん」が現れ始めた
と言えるようです。
   「リラックスできない(力が抜けない)赤ちゃん」
   「母乳が飲み込めない赤ちゃん」
   「視線が合わせられない赤ちゃん」
   「左右の視力が異なる赤ちゃん」
   「チアノーゼが出ている赤ちゃん」(の増加)
 などです。
これらの発達の「おかしさ」の現状把握、原因の究明が早急に必要であると私は考えて、文部科学省科研費に申請して、研究を開始しています。

※ 追記2です。
 助産師で母子フィジカルサポート研究会代表の吉田敦子氏からコメントをいただきました。ご了解を得て転記させていただきます。
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新生児から使える縦抱き抱っこ紐。
「みんなが使っているから、メーカーが使えると言ってるから、専門家(?)に大丈夫と言われたから、云々」使っているお母さんたちがわるいのではありません。そういうことを容認している社会にあるのが、「社会的マルトリートメント」ということでしょう。

「新生児から使える縦抱き抱っこ紐」誰が何を言っているのかは一旦忘れて、赤ちゃんをよく見たら、きっとこれは使わない方がよさそうと感じられると思うんです。それを、様々な大人側の理由をつけて、そして、「みんなが使っているから、メーカーが使えると言ってるから、専門家(?)に大丈夫と言われたから」大丈夫なんだよね、と使っているのだろうなと。

それを「おかしいよ」といえるようにならないと、この社会的マルトリートメントは、なくならない。

はっきり書いていただいています。みんなで考えてみませんか。
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吉田様、どうもありがとうございました。


※ 写真 室伏淳史氏による 2019年に山中湖で撮影。

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