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習いごとはダメですか?

『やりすぎ教育』(ポプラ新書)の中で、
 習いごとはダメ、とは書いていないつもりなんですが、
 習いごとはダメ、と受け止められてしまうようなので、
いやいやちょっと待って・・・・と。

習いごとがダメで、外遊びはいい、というものではなくて・・・

いろいろな選択肢の中から、
子どもがまずあれこれ試してみて、
自分がこういう時間の使い方をしたいと思うように生きられる

「いいんだ、自分で決めて」
「でも責任はがんばって自分で負わなきゃ」
「最後のところで子どもでは負えない責任については、
 大人がどんと構えて支えてくれる」

という状況を
大人たちでできる限り保障しようよ、ということ。

大人だって同じだよね。
自分にどんなことが向いているかなんて、
やってみなくちゃわからない。

遊びが大事とか、学びが大事とか、
大人が「決めてあげる」のやめませんか、ということ。

英語とかプログラミングとか、
それ、大人が「これから必要だからやらせたいこと」でしょって。

しかも、お金があって、情報がある家庭だけがそれができる、
あるいは、そういう環境の子どもが無理やりやらされる、
というのもなんだかなあと思って。

その点、オランダがいいなあと思うのは、
公教育でも私立の教育でも学費に差がなくて、
その日すべきことを自分で決める、でも、責任は自分で負う、
という考え方が割と広がっているということ。
つまり<オートノミー:自律>を、
先生たちも親たちも子どもたちも大切にしていること。
一日の生活の時間割も内容も自分で決める、とかね。

子どもが決められるようになるには、
大人がきちんと、決めるための情報を与えたり、
止めるときの条件を提示したりして、
責任を負う練習を少しずつさせることが必要なんだけど。

つーまーりー。

習いごととか遊びとか学びとか家事手伝いとかが
いいとか悪いとかじゃなくて、
自分が自分の人生を生きるということ。
「生活」を大事にすること。
いまやっていることを工夫して楽しめること。

を大人が大事にして、子どもにも大事にする。
 ということが大切なんだと思います。

まずは大人が
自分の人生、自分の時間を選択して生きなきゃね。

#習いごと #外遊び #学び #生活 #子育て #自律
#オランダ #やりすぎ教育 #羽仁もと子

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