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「『人権教育ができる先生』を養成する教師教育者」の専門性開発が必要です

学校生活と子どもの権利に関する教員向けアンケート調査結果(2022.4.19.セーブ・ザ・チルドレン)をご紹介させていただきます。

図表などで、わかりやすいのは、こちらの資料です。

https://www.savechildren.or.jp/scjcms/dat/img/blog/3897/1650252581609.pdf

調査結果についてのセーブ・ザ・チルドレンの広報ページはこちら。

この調査によると、

「子どもの権利」について、
「内容までよく知っている」 と答えた教員は2割しかいません。

ところが、その後の項目で

「子どもの権利を尊重していますか」という問いに
9割以上の教員が「尊重している」と答えているという矛盾が見られます。

これは2つの点において、かなり心配な結果です。
1) 知らなければ、尊重できないはずです。
 これは、「内容を知らないと自覚しているのに、知っているつもりになっている」ということです。

2) 知らなければ、尊重できるとは回答できない、ということを知らない先生がこれだけいる、ということです。
 

今、日本では、先生たちが、
  自分たちの残業が、自分たちの人権の問題であった
ということに、やっと気がついた段階といえるでしょう。

(いえ、もしかしたら、給与の問題、労働条件の問題と思ってはいても、それが人権の問題であるということには気づいていないかもしれません)

それに、気がついたとはいえ、まだ十分なアクションは取れていません。

そのような状況の中で、
先生たちが、子どもたちの人権の問題に気がつくまでには、
これからまだ長い道のりがあるでしょう。

もちろん、教師教育(教員養成や教員研修)において
人権教育は必須と言われています。

 でも、教師教育者たちにその認識があるかというと、かなり怪しいです。   
 教育学者たちが集まって国に答申する会議で、
 教員養成に必要なキーワードとして「人権」が入っておらず、 
 メンバーでもない私が気付いて指摘して入れてもらったことがあります。

ましてや「子どもの権利」となるとハードルはもっと高くなります。

実際に大学の教員養成や自治体の研修において、
「子どもの権利」についてどこまで教えられているかというと、
上滑りな知識として、あるいは高邁な理論としてしか教えられていない場合が少なくありません。

その結果として、学校で子どもたちに「子どもの権利」について しっかりと教えられる教員が少ないのです。

教えていても、たとえば、こんな感じ。


ん~~~~。どこからコメントすればいいものやら…

友だちを大切にしよう、障碍者、高齢者など弱い人に対して思いやりを持とう、いじめをしてはいけません。
という類の修身とほぼ同じような内容が人権教育ということになっています。「人権問題に取り組める良い人になりなさい」というメッセージが次から次へと発せられています。先生の求める正解を答えておけばいいと生徒が思うような構成です。

そして、「子ども自身の権利」について、しっかりと伝えよう、という教育は行われていないのです。

たとえば、奈良県の資料には、子どもの権利条約の条文のいくつかだけを抜き出して書いてあって、[自分の権利について学ぶというよりも、他の虐げられた人に対して正しくふるまいなさい、というメッセージが書かれています。○○です。と書かれている条文は、子どもたちからしてみれば、絵に描いた餅状態で、自分も救われないし、他者も救われない書き方です。

https://www.pref.nara.jp/secure/13987/jr.pdf

まず「子ども自身の権利が守られていないときにどうすればいいか」「子どもの権利が守られていないと気づいたときにどうすればいいか」を教えたり、考えたりするようにはなっていないのです。
これらは、私が海外で見てきた人権教育の資料とは全く異なるものです。

 人権=生まれながらの権利が義務とセットで教えられていたり、
 遠く貧しい国のかわいそうな子どもたちに愛を、とか、
 みんな仲良くしようね、とか。

それが日本の人権教育の現状です。

つまり、
子どもの権利条約の理念をきちんと教える ということをしていないのです。

先生たちも子どもたちも、
自分たちが被害者でもあり、加害者でもある と認識していないし、
それらの問題を予防しうる人間になることについて考えるような機会が
与えられていません。

第42条:締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。 ことが忘れ去られているようです。

「『人権教育ができる教員』の養成ができる教師教育者」の専門性開発が必要です。
まずは、それが必要である、という認識を持つところから始めなければならない段階です。

たとえば、私がかつて住んでいたカナダのオンタリオ州は、子どもの権利について、国連に先駆けて、世界で最も早く認識を拡げていった地域です。

そこでは、子どもたちに子どもの権利についての学習を必ず年に一回、一日かけて行い、パレードを行い、日常生活の中でも繰り返し、それを話題にしています。

たとえば、こんな本が参考になるかもしれません。

また、子どもの権利というと、どうしても、
「特別な」子どもたちの権利擁護、に傾きすぎるきらいがありますが、

今の日本に必要なのは、
   ごく普通の子どもたちの権利が保障されているのか、
という視点です。

この視点が弱い限り、
子どもたちへの社会的マルトリートメントはなくなりません。

20年前に『社会で子どもを育てる』第4章にそのことを書いたのですが、
残念ながら、「子どもの権利」という概念は、日本ではその後も拡がりませんでした。

子どもの権利に関心を持っている人の数は本当にごく少数です。
誰もがあたりまえに、子どもの権利について知っている社会を目指すために、教育者が子どもの権利について知ること、親が知ること。大人たちが知ること。

そのために大学で、各種の学校で、「子どもの権利」を教えられるように、していかなくてはならないのです。

#教師教育者の専門性開発 #教員養成 #子どもの権利 #人権
#社会的マルトリートメント #一般社団法人ジェイス  

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