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折り合いをつけるということ 

「今度生まれたら」の中では
趣味は嫌 今からやっても何にもならない という夏枝に
同じ年齢の評論家は言う。
「あなたは絶望しているのですね。
  毎日がずっと同じように過ぎていくと決めていらっしゃる。」

引退後の高齢者全般に言えることである。
趣味をやってもやらなくても。
生きがいと言えるレベルかどうかに関わらず。
でも、もう少し広く取れば、働いていたって 
毎日は同じように過ぎていくのだ。
春夏秋冬 それぞれの季節の行事はありながら。

そうなんだけれど。

自分自身のことを言えば、それなりに無理もしながら働いてきたので
のんびりしてもいいのではないか とは思っている。

次の仕事がなかなか決まらなかった焦燥感を知っている。
もともと仕事が少ない場所だったから、引っ越したし。

もう、あらゆるプレッシャーはいらない と思っている。

引退後、ボランティアをやろうかと思う気持ちもあったけれど、
コロナもあったし結局電話もかけていない。
「既にある輪の中に自分から入る」ということにかなり抵抗がある。
招き入れてくれたら行く という、考えようによれば傲慢な態度。
行けば行ったで大人の対応はできるのだけれど。

「教えて下さいどこにいればよいのか」と言う詩を好きな所以である。
自己評価も低いのだけれど、それ以上に、テンションを少し高め設定にするのに疲れたのかもしれない と思っている。疲れるのだ。
私もそれなりに大きなネコを被っていたということ。

「今度生まれたら」の中で示唆されるのは、
「自分が一番好きだったこと」をやる という事。
主人公夏枝は「園芸」だった。

私は?  読書と「空想すること」だった。

今しているのは
健康を保つための少しの運動と、読むこと書くこと観ること 時々遠足。
最近は「撮ること」も加わったか。
年金は多くないから、少しずつ節約生活になるだろうが。



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