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御朱印帳

母が御朱印を集めていたことを知っている
今の私と同じ年になるまででも、かなり集めていたかもしれない

お寺のサインをもらう御朱印を、私は集めたいと思ったことはない
長田弘のサインを喜んでいる私ではあるのに

母が写経をしているのを見たこともある
鎮めたい怒りがあったのだろう 
悲しみかも知れないが

写経したものは
どこかの寺に納めたと聞いた

母が何から解放されようとしていたのか私にはわからない
解放されていないだろうことはわかってしまうが。

他人の苦しみなんて目には見えない
自分自身が何に苦しんでいるかだって
長いことわからなかったのだから

欠点はわかっても欠落はわからないのが家族なんじゃないか
欠落を見ないふりをするのが家族なんじゃないか

愛があったとしてもそうでなくても



こういう塔の見わけもつかないのである




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