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英国音楽史に見るコロナウイルスと芸術の向き合い方

4月15日に「こんな時こそたくさん考えることに時間を使おう。」という記事を投稿しましたが、今日はこのような状況の中、どのようにして音楽に、芸術に向き合って行ったら良いか僕なりにまとめてみました。

2月24日に行われたコンサートの2日後に政府よりイベントの自粛要請があり、よもや、そのコンサート以降演奏が出来なくなるなどと、その時はまったく想像もしませんでした。
それまで当たり前のように演奏していたのが嘘のように、それから一度も指揮棒を握ることなく、早3ヶ月が過ぎてしまいました。

今回、タイトルに「英国音楽史に見るコロナウイルスと芸術の向き合い方」としたのは、イギリスの歴史が、現在の状況下での芸術への向き合い方を考えるのに参考になるのではないかと思ったのです。歴史と共に現在の状況と照らし合わせながら考えていきたいと思います。

【清教徒革命による音楽シーンの低迷】

クラシック音楽に興味がある方は、お分かりかも知れませんが、実はイギリスには、数えるほどしかクラシックの作曲家がいません。
それはなぜだったのか?
イギリスの作曲家といえば、古くは1600年代にヘンリー・パーセル。1700年代にはドイツ生まれでのちにイギリスに帰化した「ハレルヤコーラス」などで知られるヘンデル。そして、かなり時間が開いて、1800年代もかなり後半から1900年代にかけて、エドワード・エルガー、グスターヴ・ホルストが登場し、二十世紀に入って、ヴォーン・ウィリアムズ、ベンジャミン・ブリテン他、ようやく作曲家が出てくることになるのです。
ドイツから来たヘンデルを除けば、1600年代半ばから1800年代半ばのエルガーの出現まで、実に200年もの間、クラシックの空白の時間が空くことになってしまいました。
その、原因の大きなひとつは「清教徒革命(ピューリタン革命)」でしょう。

「清教徒革命」は1642年に始まったイギリスの市民革命で、オリバー・クロムウェルらピューリタンを中心とする議会派が国王チャールズ1世の専制政治に反対し、共和国を樹立したというものです。
ピューリタンは聖書を厳格に解釈するプロテスタント諸教派で、英国国教会に反対し、1649年に国王を処刑し共和国を樹立後、クロムウェルは、人々が堕落するものとして、演劇や音楽をはじめ様々なものを禁止しました。そして、国内中のオルガンを破壊し、またクリスマスの祝祭を禁止する「クリスマス禁止令」が出されるなどかなり強硬に実施したのです。
クロムウェルが1658年にインフルエンザで死去して共和国が崩壊し、1660年の王政復古により「清教徒革命」は終わるのですが、それまで続いた12年もの間、イギリスでは音楽活動が断絶されてしまいました。
この「清教徒革命」によって多くのイギリスの作曲家は国外に逃亡し、イギリス音楽は長い低迷期が訪れることになってしまったのです。

話を今に戻しましょう。

本当に残念なことですが、個人的にはこのコロナウイルスによる影響で、現状を見れば現実的に最低でもこの先一年は、合唱もオーケストラも活動することが難しいのではないかと感じています。
さらには、世に出ている情報では2年以上難しいという話も聞こえてきます。
そんな中でこのイギリスの例を見ると、これだけの期間、空白ができるという現実に焦りを感じずにはいられません。

イギリスでは、12年間という時間でしたが、この僕たちが生きている現代の感覚で捉えると、現在の1年〜2年という時間は、360年前の12年間に優に匹敵するのではないかと思うのです。
もちろん、当時のイギリスがそうであったように、決して音楽がなくなるということはあり得ません。しかし、限りなく衰退することは残念ながら起こってしまうかもしれません。

【伝統の縛りから解放されたイギリス音楽の劇的な発展】

一方で、全く別の見方もすることができます。
現在のイギリスを見ると、クラシックのみならず、イギリスの音楽シーンは世界をリードするほどの素晴らしい発展を遂げています。

おそらく、イギリスの音楽は200年の空白の時を経て、新しい音楽を受け入れることに寛容でした。
実際に、ヘンリー・パーセルやヘンデル以来、久しぶりに音楽史に登場し、イギリス音楽復興の先駆けとなったイギリスの作曲家「エドワード・エルガー」は、音楽一家の家庭に生まれながらも、本人は民族音楽を軽んじ、イギリスの初期の作曲家にもほとんど興味も敬意も持ち合わせていなかったという人物で、国外の作曲家に影響を受けていたといいます。
いまでは、そんなエルガーが作曲した「威風堂々」は「イギリス第2の国歌」、「イギリス愛国歌」として親しまれているのです。

そしてまた、イタリアロックやフランスロック、ドイツロックと聞いても、なかなか日本では耳にしませんが、「UKロック」と聞けば別格に世界規模で発展しています。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーン、エリック・クラプトン、デヴィット・ボウイ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、アンドリューロイドウェバー、その他、今ではイギリスには数え切れないほどの素晴らしいアーティストが世界の音楽シーンに君臨しています。
ロンドンオリンピックの開会式はまだ記憶に新しく、僕は勝手に「まさに音楽の国イギリス」という印象を持ったほどです。

ではなぜイギリスの音楽シーンは劇的に発展したのでしょう?
その原因もまた同じく、クロムウェルの「清教徒革命」にたどり着くのではないかと思うのです。

「伝統や文化が受け継がれる素晴らしさ」とは反対に、「伝統や文化が無くなったことにより、それに縛られることなく自由な発想ができるようになった」ことが、劇的、かつ、独自の音楽の発展があったのではないか。イギリス音楽の発展すべてが「清教徒革命」影響というわけでは決してありませんが、要因の一つであると思うのです。

これは、同じことがアメリカにも見ることができます。
アメリカは建国からまだ約250年と音楽文化もヨーロッパのクラシック文化の歴史から見ればかなり浅いわけですが、オペレッタがアメリカに渡りミュージカルになったように、また、また民族音楽とヨーロッパ音楽が融合してできたジャズのように、縛られる伝統がないために、独自の発展を遂げています。

【イギリスの音楽史から学ぶこと】

人間は、基本的に変化をあまり好みません。なぜなら、たとえ状況が良くなかったとしても、良くないなりに落ち着いている現状に対して、変化を加えることによってバランスが崩れ、もしかすると崩壊や、破滅をしてしまうのではないかという危機を覚えるからだと思うのです。
しかしながら、「水は置いておけば蒸発し、物は置いておけば埃をかぶる。」、変化をせずにいつづけられる物も世の中には存在しないと思うのです。

「できる限り変わらなくてよければ変化したくない」ということと、「変化したくなくても変化していかなければならない」というバランスによって成り立っているのが自然界だと思うのです。

2020年の現在、人々の生活は日々様々に変化し、そしてその変化に適応していっています。
残念ながらもう今までの世界には戻らないでしょう。そしてコロナウイルスの危機を乗り越えた頃にはすでに新しい世界が始まっていることでしょう。

先日、横浜市瀬谷区の第九を演奏する実行委員20名近い皆さんと、今年の年末の第九コンサートについて、オンラインで会議をしました。
失礼ながら、つい最近までスマホは使えないからガラケーでとおっしゃっていたような世代の皆さんが、オンライン会議は初めてと言いながら一人ももれず全員が参加されていました。
また、「今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなったこと」によって、「今まで当たり前だったこと」一つ一つに感動できるようになりました。
老若男女問わず、世の中が日々変化していく今、もう元には戻れないし、元に戻る必要もないのです。

僕たち音楽家がいまするべきことは、この時間があるうちに、技術を磨き、来るべき集まって演奏できるときに備えて置くこと。
そして、これまでの「あたりまえ」に囚われず、この時間の断絶を恐れず、新しい発想にチャレンジしていくことが必要だと思うのです。

【そうだ、変化していこう】

「ファーストチェス理論」というものがあります。
チェスを打つときに5秒で考えた打ち手と、30分考えてた打ち手では、86パーセントは同じ結果になるというものです。
この日々状況が変化し先が見えない中では時間をかけて考えているうちにすぐに状況は変化していまします。
いまは、思いついたらまずはやってみることが大事な時期なのかもしれません。
5秒で考えたのと、30分考えたのがほぼ同じならば、この「トライアンドエラー」を繰り返した方が、たとえほとんど失敗に終わったとしても、繰り返すうちに精度も上がり、いつか新しいアイデアが生まれるきっかけになると思うのです。

クロムウェルの話しに戻しましょう。

結局、クロムウェルの評価は、優れた指導者か、強大な独裁者か、現在も評価は分かれています。
音楽シーンの目線で見てみても、「クロムウェルがいなければ現在のイギリス音楽を聴くことはできなかった」と思えば、ありがたい存在であり、「クロムウェルがいなければ、また違ったクラシック音楽が存在したかもしれない」と思うとそれもまた興味があります。

もう一つ例を上げれば、ドイツ南部、バイエルン州にある「ノイシュヴァンシュタイン城」や、「バイロイト祝祭劇場」は、神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られるバイエルン王、ルードヴィヒ2世が、王室公債などを乱発してまで借金を積み重ねて作ったものでした。
ルードヴィヒ2世は、最後には家臣たちに精神病を理由に廃位させられてしまいますが、残した建築物は今となってはバイエルン地方随一の観光資源となっています。
当時は問題視されながらも、結果的に末代にいたるまでその観光資源で生活できる人たちがいることを思うと、ルードヴィヒ2世の功罪は見方が変わります。

つまり、「今、これまでの形を変えて、変化していこうとすることが正しいことかどうかはわからないけれど、とりあえずやっていかなければ始まらない。」ということだと思うのです。

いま、コロナウイルスと共存しなければならないこの時期に考えるべきことは、
①いかにして、これまで積み上げてきた芸術、文化を継承していくか。
②いかにして、現状にあった、いま生きる人々に必要な芸術、文化活動をしていくか。

この2点だと思うのです。

いつの時代も、音楽シーンは単体では成り立っていません。
そしていまは、コロナウイルスという現在の科学ではまだすぐには解決できない状況下においては、自分たちが変わらざるを得ない現状を受け入れなければなりません。

今、一番大事だと思うこと。
僕たちが一番気が付かなければならないことは、音楽家だけで集まらず、多くの広い世界の人たちと交流し、そして、今の時代を生きるたくさんの人たちと共に存在できる新たな音楽シーンを探っていくことだと思うのです。

「そうだ、変化していこう」

この現状に合わせてどうして行ったら良いのか日々模索していますが、まだ、自分たちが何ができるのかはわかりません。
でもたくさんの可能性があると思うのです。なぜなら、音楽業界にいる自分たちでは気が付けていないことがたくさんあると思うから。

いま、僕たち音楽家がすべきことは、「黙って嵐が過ぎるのを待つ」だけではなく、これまでの常識に囚われず、様々な人や発想に触れ、これから新たに、「今を生きる自分たちの文化」を創り上げていこうという気持ちを持つことが大事だと思うのです。

【参考】イギリス革命に興味のある方はぜひ読んでみてください。
オルガンが破壊された経緯なども詳細に書かれています。

【追記】
よくイベントでご一緒させていただく、いのうえようすけさんのOTAIAUDIO Youtubeチャンネルで、英国音楽史について話をさせていただきました。
こちらの動画もぜひご覧ください。

【第一話】Music Elements Votre Etude Supported by Yamaha Vol.1「イギリスにクラシックの作曲家がいない!?」


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