外資系企業処世術:お気楽Optimism

欧米企業の専門家と話をしていると、悲壮感さえ漂う議論に進展しまうことがあります。マザー テレサとマハトマ ガンジーの言葉に触れた時、キリスト教の人間観がその背景にあるのかも、そんな気がしました。

マザーテレサいわく

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

マハトマ ガンジーいわく

思考が変われば言葉も変わる
言葉が変われば行動も変わる
行動が変われば習慣も変わる
習慣が変われば人格も変わる
人格が変われば運命も変わる

両氏の格言は、いずれも「思考」や「信念」が起点となり、それが運命を決めることにつながるとしています。確かにと、納得がいく教えです。しかし、この「思考」や「信念」を変えることが至難で、私たちはそれができずに日々悩み、反省をしているのかもしれません。人間のわざ(行いや思い)は罪深い、だから「行動の反省」しよう。そして、→「破戒の自覚」をし、→「罪悪感の強化」があり→それが「信仰の深化」とつながる。そんな思考が循環が下敷きにあるように思います。

自分の思考や信念を変えよう、運命を変えるんだと一念発起しても、なかなかそれを実践できずに落胆してしまう。ビンのフタをゆるめて、議論を拡散すべきところを、むしろフタを締める方向へ力(思考)が回ってしまい、隘路に入りこんでいく。欧米企業の専門家と議論をしていると、時に感じる視野狭窄の下敷きには、こうした思考があるように思えます。

フタをゆるめるような思考方法はないでしょうか。もっと「お気楽」に「Optimistic」に、これを変換する方法。キリスト教的罪悪感を持たない日本人だからこそできること。例えば。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。〜中略〜 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」ここで切り捨てずに、次のように繋げてはどうでしょうか。

「そうは言っても私たち凡人には難しい。」「だからこそ、せめて一つの小さな行動を起こしてみましょう」と。

小さくても何か救済策へつなげてあげる思考です。

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