NO MUSIC, NO LIFE

「10代のころ どんな歌を聴いてた?」
と聞かれた。
 
あの頃から好きなサザンオールスターズや
その頃流行っていた曲の名前がすぐ浮かんできたのだが、
ふと ずっと忘れていた
あるひとつの歌が浮かんできた。
 
あまりメジャーな歌ではなかったのかもしれないが
何度も繰り返し聴いていた時期があった。
 
「え、その歌気になる」と
その場で すぐにスマホで検索してくれた。
忘れていた歌が聴こえてきた。
 
ずっと何十年も聴いていなかった歌に
あの頃の自分を見ているような気持ちになった。
 
流れてくるメロディーの向こうに
無知で、頼りなくて、小さな世界で生きていて、でもそこが全てで、
一生懸命だった子供の私がいた。

 
先週、トモコさんと
オリジナルラヴのライブに出かけた。
 
今年のバレンタインデーに
彼女と田島貴男氏の弾き語りライブを見た直後から
今度はオリジナルラヴのライブに
一緒に行こうと
決めていたのだ。
 
あの歌に心躍らせ、
バレンタインにも聴いたあの曲の生歌に
トモコさんと目を合わせて微笑み合った。
 
ライブが中盤になりある曲が流れたとき
ふとなぜか遠い昔
海辺を走る車の助手席から見た
ハンドルを握り笑っていた人の横顔を思い出した。
 
あのときも夏だった。
あの道も、あの夏も、
ずっと続いていくような気もしていたし、
いつか終わるような気もしていた。

 
歌は世につれ世は歌につれ。
歌で記憶が蘇ることがある。
 
ただ 蘇った記憶に存在するのは
懐かしさである。
 
その懐かしさには確かに感情も伴うが
どれもが 小説の中の
読み終えた何章目かの1ページであり
優しい思い出にすぎない。

2016年7月31日 日曜日


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