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写真好きの一人言『日常という奇跡』

先日、Xで見た投稿

とても心に響いた

私が写真を始めた理由は以前に書いた。

眼の病気で視力を失いかけた。

『見えるうちに見えてる世界を残しておきたい』

そんな考えで写真の世界にのめり込んでいった。

それから色々と撮ってきた。

そうしているうちに
【どうしたらより自分が満足できる写真を撮れるのか】
を考えるようになっていた。

結果として写真を学ぶ・考える機会が増え、以前よりもいい感じの写真を撮れるようになったと思う。

上手い下手、共感される・されないではなく、ある程度慣れてきたからこそ出てくる悩みもある。

そこをどうやったら解決していくかを考えられることは、趣味の楽しみ方として最高にいいものだと感じる。

そう思っているし、間違ってはいないと思うのだが、前述の投稿を見て改めて考えさせられた。

自分の納得できる写真を目指していくうちに、きっかけになった考え方が薄れてきている気がした。

10数年前。
出血により眼が見えづらくなっている時期。

写真を始めようと決め、最初に手にとった写真集はフォトジャーナリストの長倉洋海さんの一冊。

この一冊に無性に惹かれて購入した。

元々は誰しもが想像する〝戦場カメラマン〟としての夢を持っていた長倉さん。

しかし、実際に戦場に赴く中で【決定的瞬間から日常を写す写真】が増えていった。

日常の大切さ

私も眼が悪くなったことで、身をもって体験していた時期。

写真を撮ることで、自分はこれ(日常)を残したい

その思いが強くなっていた。

いつもの食事
たまにお皿を変えたりすると雰囲気が変わる
日常の中の些細な変化

そして、今回...

改めて、過ぎ去った一瞬は二度と戻ってこない。ということをこの投稿で感じた。

タンポポの綿毛は毎年見れる
それでも〝この年齢の〟娘と綿毛の組み合わせは
もう2度と撮れない

時間は止まることなく進んでいる。
自分も必ず死んでいく。

私が見た・感じた世界は私の記憶の中にしか残らない。

しかし、私が何をしたか、どう感じたかは写真を通して少しは残せるかもしれない。

決定的瞬間ではなくても〝日常〟の一瞬一瞬はとても大事な瞬間。

何気ない日々
これも大事な瞬間

それを残す為に写真にできることはたくさんあると思う。

面白きこともなき世をおもしろく

座右の銘ではないが好きな言葉。

写真・カメラは光を記録することしかできないが、思い出という事実をよりよいものとして残すことができるだろう。

数年後の自分に着飾ることなく、今の日常を大切な日常として残していきたい。

この一瞬は〝今〟しか撮れない

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