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写真好きの一人言『日常という奇跡』
先日、Xで見た投稿
決定的瞬間を写し止めたような写真じゃなくても、それでも同じ写真は2度と撮れないんだと思う。 pic.twitter.com/ix4B9NdG8R
— Taishi Arashida (@Taishi_Arashida) January 31, 2024
とても心に響いた
私が写真を始めた理由は以前に書いた。
眼の病気で視力を失いかけた。
『見えるうちに見えてる世界を残しておきたい』
そんな考えで写真の世界にのめり込んでいった。
それから色々と撮ってきた。
そうしているうちに
【どうしたらより自分が満足できる写真を撮れるのか】
を考えるようになっていた。
結果として写真を学ぶ・考える機会が増え、以前よりもいい感じの写真を撮れるようになったと思う。
上手い下手、共感される・されないではなく、ある程度慣れてきたからこそ出てくる悩みもある。
そこをどうやったら解決していくかを考えられることは、趣味の楽しみ方として最高にいいものだと感じる。
そう思っているし、間違ってはいないと思うのだが、前述の投稿を見て改めて考えさせられた。
自分の納得できる写真を目指していくうちに、きっかけになった考え方が薄れてきている気がした。
10数年前。
出血により眼が見えづらくなっている時期。
写真を始めようと決め、最初に手にとった写真集はフォトジャーナリストの長倉洋海さんの一冊。
この一冊に無性に惹かれて購入した。
元々は誰しもが想像する〝戦場カメラマン〟としての夢を持っていた長倉さん。
しかし、実際に戦場に赴く中で【決定的瞬間から日常を写す写真】が増えていった。
日常の大切さ
私も眼が悪くなったことで、身をもって体験していた時期。
写真を撮ることで、自分はこれ(日常)を残したい
その思いが強くなっていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1707221397624-FqjjP5GmWE.jpg?width=1200)
たまにお皿を変えたりすると雰囲気が変わる
日常の中の些細な変化
そして、今回...
改めて、過ぎ去った一瞬は二度と戻ってこない。ということをこの投稿で感じた。
![](https://assets.st-note.com/img/1707221503119-11g106bTQV.jpg?width=1200)
それでも〝この年齢の〟娘と綿毛の組み合わせは
もう2度と撮れない
時間は止まることなく進んでいる。
自分も必ず死んでいく。
私が見た・感じた世界は私の記憶の中にしか残らない。
しかし、私が何をしたか、どう感じたかは写真を通して少しは残せるかもしれない。
決定的瞬間ではなくても〝日常〟の一瞬一瞬はとても大事な瞬間。
![](https://assets.st-note.com/img/1707221610239-y79jaoHHbP.jpg?width=1200)
これも大事な瞬間
それを残す為に写真にできることはたくさんあると思う。
面白きこともなき世をおもしろく
座右の銘ではないが好きな言葉。
写真・カメラは光を記録することしかできないが、思い出という事実をよりよいものとして残すことができるだろう。
数年後の自分に着飾ることなく、今の日常を大切な日常として残していきたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1707221754742-T32YWeyfCj.jpg?width=1200)
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