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記憶は海のようでもあり無造作に積み上げられた荷物のようでもあり

専門学校で教員をおよそ二十年もやっていると、最初の頃の学生たちのことを意外とよく覚えていて、最近の学生のことはけっこう忘れちゃっていることにびっくりする。
ときどき、最初に担任を務めた卒業生から連絡が来るが、彼らとの話は尽きない。あんなことあったよね、あいつは今どうしてるのかな?などなど。
でも、二年くらい前に担当していた卒業生がふらっと学校に顔を出したときなんかは、
(卒業生)「あ、先生、久しぶりです。元気でした?全然変わってないですねー。」
(わたし)「おぉ、久しぶりだなぁ。仕事、うまくやってるかい?先輩の…誰だったかな、同じ職場にいるやつ。元気にしてるかな。」
なんて会話を30分くらいして、その卒業生が帰った後に職員室で隣に座っている同僚に「で、彼はいつ卒業した誰だっけ?」と聞くこと、珍しくない。

どうやら、記憶というものは海のように古いものは深海にあってゆっくりとたゆたっているもののような気がする。
新しいものほど水面近くで、心がざわついている時期だとどんどん波に運ばれていってしまうらしい。

あるいは、引っ越したばかりの部屋に無造作に積み上げられた荷物がなかなか片付けられなくて、数ヶ月、一年経って、片付くどころかどんどん荷物が上積みされているような感じ。
積み上げられた荷物の段ボールは大きさがバラバラだから、積むほどに凸凹の山になって、新しい荷物ほど所在の確認に手間がかかる。
古い荷物なら、「どうせ底の方でしょ」と探すべき層の目星がつけやすいから見つけやすい。

昨日は、コロナ禍が収まりつつあるから久しぶりに母と会って食事を共にできた。
ぼくは家族みんなを連れて、少し豪華なホテルの食事を。
昨年9月に、ぼくは娘を連れて地元近くの某所でライブに出演した。ピアノをやっている娘に、一度くらい父がシンセを演奏しているところを見せたくて、娘を連れて父娘で地元へ帰省した。
そのついでに実家によって、母と娘と僕の3人で昔馴染みの洋食屋さんで昼ごはんを食べた。
昨日はその時のことを母に話したら、母はその日のことを全然覚えていなくて、少し困った顔をしていた。
「年相応だね」とぼくは言い、笑い流した。
※「笑い流す」っていう日本語が正しいのか、知らんけど。

久しぶりに会った母と、母がぼくを産むまでの話なんかもした。
母が小学生だった頃は、(祖父、つまり母の父は国鉄職員だったので)転勤が多く、田舎を転々としていたらしい。幼い母が体調を崩すと、祖父はトロッコで街(田舎の対義語としての)まで連れて行ってくれた、とか。
そういう昔の話はたくさん出てくる。
母の記憶の海の底も、水面のように波がないから、いつまでも記憶はそこにあるんだなぁ。

ぼくは忘れっぽい、かなり。
人の顔も覚えられない。
いつもぼくの海の水面は、時化てるんだろうなぁ。
海というよりも、もっと下世話に、バケツみたいなもんで、揺れるもんだから表面の水はこぼれまくりだ。

大切な家族や友だちのことは、バケツの底、海なら深海に沈めておきたいと思った。

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