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【昭和三十年代】桜は「サクラ」でも・・・

桜が咲くころになると思い出すことがある。
それは、昭和三十年代前半の頃のことだ。

その頃の<やまのぼ>は、まだ小学校低学年だったので、記憶が所々不確かなところもあるが・・・子供心に<大人の狡さ>を何となく垣間見て、大人不信の複雑な気持ちにさせられたことがあった。

当時まだテレビもあまり普及していなかったので、子供たちは、もっぱら日が暮れるまで、外で泥だらけになって遊び呆けていた。そんな頃の昼下がりのこと、当時では珍しいスクーターに乗った上半身裸の男がやって来て、ベラベラ喋りまくり、近所の子供と言わず大人までも引き寄せていた。

今じゃ誰だって鼻もひっかけないだろう紛い物を、売りさばいて行く。その売り方と言うのが、後で知ったのだが、いわゆる<サクラ>により購買力を助長させ、買わせる古典的なテクニックだった。

ちなみに、この<サクラ>は、当て字で「偽客」と書き、パッと派手に景気よくやって、パッと消えることから、桜の性質になぞらえて、<サクラ>と呼ばれ、いまだに生息していると聞く。

幼い<やまのぼ>は、その数日後、隣町の友達の家に遊びに出かけた折、偶然にそのスクーター男を取り囲む風景に再び出くわしたのだ。何とよく見ると、数日前「それ!ひとつ買う!」と叫んでいた<偽客>の男が、上半身裸になって口角泡を飛ばし、客とやりとりしている。その相手の客というのが<やまのぼ>の街では、上半身裸の売り手役の男だった。

配役が日替わりしていたのだ!
 
当時は清濁併せ呑む大人の狡猾さもまだまだなく、初な胸をドキドキさせるばかりだ。隣にいる友達に小声でこっそり、その顛末を伝えるだけがやっとだった。このときが、大人の社会の狡くて、醜い成り立ちを垣間見た初めだろう。

いまでも、桜が咲いてパッと散るさまを見るたびに、そのときのスクーター男が、夕日に向かって颯爽と、走り去って行く光景を思い出す。あれ以来、性善説とは一定の距離を置いて、見知らぬ人は疑ってかかる!の心境が根付いている。

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