見出し画像

【小説】健子という女のこと(16)

☜【小説】健子という女のこと(1)から読んでみる

 若者たちが、思い思いの格好をして、観客と一緒にガヤガヤやっているようだ・・・。喋っているのか、唄っているのか、ただの雑音なのか、音楽なのか、わけのわからない曲が、聞こえては遠ざかったりしている。
 どこからか、僅かな音で懐かしい旋律が聞こえてくる。アコースティクギターが、聞き覚えのあるイントロを奏でだしたようだ・・・。ピーターポールアンドマリーだ!そうだ!<パフ>なんだ!
 すぐそこで、演奏されているような大きな音量になってきた。なんて!懐かしいんだろう・・・。冴子は聞き入っていた。と、次の瞬間、誰かに背後から呼び止められる。
「サエ!健三のこと好きなんでしょ!」「何?いいだすの?」「どうも、健三もサエにイカれてるなぁって・・・思うの」「何よ!エミったら…突然に・・・」「サエ!わたし見たのよ!田端君と楽しそうに腕組んで、祇園祭を見学しているとこ・・・」「エミったら・・・」
 冴子は、恵美子の顔をまともに見られなかった。田端と将来を誓った翌朝のことだったこともあって、冴子には返す言葉がなかった。

画像1

 いつしか曲は、<レモンツリー>に変わっていた。

「エミ!ったら・・・あのとき以来、練習に顔を出さなくなったでしょ・・・だから、しかたなく、マリー役がわたしに回ってきたのよ!大学祭も近かったし・・・必死で、歌詞覚えたんだから」「・・・」恵美子の黙って、寂しそうな顔が、逆光の渦の中へ、吸い込まれて行こうとしている。
「内緒にしていたわけではなかったの・・・」冴子は恵美子を、ひき止めようと必死で謝った。「ごめんなさい!ごめんなさい!本当に!ごめんなさい!」冷めた目の恵美子からの言葉は、なにひとつ返えって来なかった。
「・・・あの時は、エミと何の関係もないっていっていたのに・・・田端の口から聞いたのは、結婚してから随分経ってからなの・・・上の息子が生まれたころなの・・・田端から聞かされたのは・・・あの時、エミと田端のこと本当に何も知らなかったんだから・・・本当よ!赤ちゃんのことだって・・・」「・・・」涙を溜めた恵美子の面影が、とうとう逆光の渦の中に、飲みこまれて行ってしまった。「本当なんだから・・・」冴子は、自分自身にも、言って聞かせるような、いい方で何度も呟くのだった。

 曲はいつしか、<風にふかれて>に変わっていた。


【小説】健子という女のこと(17)へ読み進む☞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?