村上春樹「一人称単数」

昨日、村上春樹著の「一人称単数」を読んだ。
今さらだなと思いつつ、たまたま手に取ったことが運命だから仕方ないと、そこで自分は初めて「一人称単数」と読了した。

「一人称単数」は、短編集だ。ある話は情緒的に、ある話は意味深に、それぞれの世界を表している。その中に、「村上春樹」を見た。

自分がまだ学生だった時代、村上春樹の小説を英語で読んだことがあった。正直な感想としては、「なんだ、これ?」というものだった。
意味が分からない、と自分は頭を悩ませたのである。

当時の自分の英語力はたかが知れていて、読み取れなかった部分が多いというのもあるだろう。しかし、村上春樹の世界そのものに造詣が深くなかったということも、大きな要因であろう。この「一人称単数」を読み終えて、そんなことを思い出した。

村上春樹には、熱狂的なファンがいると言われる。尤も、数の大小はあれど、どの作家、作品にも熱狂的なファンはいるものだ。しかし、村上春樹の熱狂的ファンは桁違いだと思う。この文章を読み砕き、自分のものにして、それから好きだと胸を張ることができるのは、嫌味でもなんでもなく、すごいと思う。

つまらなかったわけではない。むしろ、面白かった。ただ、はっと気が付けば周りに霧が立ち込めて、自分の足元がおぼつかなくなるような、奇妙な不安感を覚えた。
短編で切り取られた人々の生活の、もっと別の面を見たい。そうすれば、きっとああフィクションだと割り切ることができるのに。しかし、この本は、遠すぎず近すぎないという奇妙な距離感で、するりと心に入ってくる。

エンターテインメントという言葉に違和を感じるほどに、村上春樹の脳内がべったりと焼き付いている本だった。
ひとつひとつの話に言及すればキリがないが、一番好きだったのは「謝肉祭(Carnaval)」だった。
自分が音楽をやっているということもあるだろう。しかし、それ以上に、彼の人への眼差しが心に焼き付いた。醜い女性への眼差しに、自分は何か、心に波紋が生まれたような気がした。

言語化が難しい。自分はまだ、彼の言葉の真意を理解しきれていないのかもしれない。学生時代から少しは成長したと思うので、もう一度読み返そうと思う。

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