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なんだかんだ楽しく過ごしている日々

母が入院してから13日。そのあいだにお見舞いへ行ったのが11日。ほぼ毎日のように病院を訪れている。

入院当初や術後、全く動けない日々を過ごしていたけれど、今日からは一人で車椅子に乗ってトイレへ行けるぐらいに回復している。でも、痛い日もあれば痛くない日もある。そんなに来なくていいと母は言っているのだけれど、でも私は病院へ毎日のように行っている。ただ喋りたいだけ、ただ会いたいだけで。そうすることが、母の認知に良い影響があるのではないかという思い。

今日あった出来事を報告しあったり、特に用もないのにコンビニへ行こうと誘いエレベーターに乗って散歩へでかける。あれこれ食べたいもの買って病室で一緒に食べる。

早く母に帰ってきて欲しいと思う反面、病室で母と過ごす時間も、家で一人リビングでNetflixを流しながらnote書いたり本を読んだりする日々もそれなりに楽しく過ごしている。

1年半ぐらい前、母と暮らし始めた当初のことをnoteに書いている。

高齢者として母親として、一人の人として、いろいろな姿をこの1年で見てこれたことは、私にとって救いだった。兄の死に対しての悲しみに暮れる日々に留まらずにいられたことや、いつか母と一緒に暮らすことを考えたり介護という言葉がよぎったとき不安でしかなかったのに、こうやって楽しく過ごしている日々の思い出を持っていつか介護に入れることは良かったのではないかと思えるようになった。

こんなに早く介護が訪れるとは思っていなかった。

母が最初に転倒した去年の9月から様々なことが起き、だいぶ落ち着いた頃に、介護認定「要介護1」と認定された矢先に2度目の転倒、骨折をし手術をした。

これまでのnoteを見返すと、状況は都度変化し気持ちが大きく揺さぶられはしているのだけれども、でも介護が始まった今も楽しい日々を送れていることを幸せだなとふと思った。

介護がもっと進めばさらに辛く大変な日々が来るかもしれないけれど、でもたった今幸せだと思えることが、これからの日々を救ってくれるような気がするから言葉としてここに記していきたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。