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曲がることを恐れずに。

ここ1年ほど、焚き火をよくしている。キャンプではない、あくまで焚き火である。町の公園や会社の駐車場で火を焚き、そこに集まった人と話したり、話さなかったり。もちろん役場や消防署など各所へ申請を出して、正式に行っているものである。

薪を割る機会がある。クサビと呼ばれる鋭利な金属を薪に当てて、ハンマーでこつんこつんとヒビを入れながら切るように割っていく。しっかり真下に力を伝えることがコツで、それを掴めばたとえば子どもでも使いこなせるだろう。しかしながら当然、薪に対して曲がってクサビが食い込むこともある。あえていえば“変な方向”に、つまりは非効率的な力の伝わりかたで、そうなってしまえばスムーズな薪割りとは言いがたい。

ただ、曲がったらどうするか、上手く割れないならどうするか。そりゃあまっすぐ、割れるように、ハンマーやクサビの角度を調整するだろう。わざわざここに記すまでもないような、当たり前の話である。曲がることはあれど、大袈裟にいえばその課題と向き合い、そして解決することが大切というか、たとえば社会を生きていく人間が必要とするものだ。

ふと、生き方としてあまりにも曲がることを恐れる雰囲気が蔓延っているなあと気がついた。少なくとも僕は、その影響を感じながら育ってきた。曲がってしまえば、多数に笑われる。落ち着いてまっすぐ打ち直せばいいものを、そう笑われることを恐れ、あるいはメンタルを消耗することを面倒だと思い、結局ハンマーすら手に持たない。僕はそんな社会を受け入れて、いや一度あきらめて、曲がったクサビを打ち直せるような世界をつくりたい。いや何より、自分自身がそこで生きていたいと思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。