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「なりたいもの」がないキミへ。

「将来やりたいことがない」「何を目指せばいいか分からない」。そんなふうに未来を案じる若者を、よく見かける。自分の近くの知り合いにもいるし、最近見始めた「悩み」をテーマにしたWebコンテンツでも、街頭でマイクを向けられた男女がそんなことを話していた。

思えば僕自身は、べつに「なりたいもの」には困らない人間だった。大学生になってから、コピーライターという職業に対してひどく憧れた。その当時から書くことが好きだったからだ。とはいえ、あえて理由を示せば「なんかカッコいいから」だっただろう。仕事や業界、あるいは自分自身の本質などまったく考えていなかった。だから今は、ただ「なりたいもの」があればいいとは思わない。

日本では、物心ついたときから「将来の夢」を言わされる文化に出くわしてしまう。まさしく「なりたいもの」を問われ、応えればまわりの大人たちはそれなりに盛り上がり、気づけば人は既存の職業を目指すようになる。しかしながら、職業はツールでしかない。言うまでもなく方法のひとつで、旅行に喩えれば、移動手段に過ぎないのだ。重要なのはその旅行先で何をするか、何のため行くのかなのに、人はいつしか移動手段ばかりを気にするようになる。僕がこのギャップに気がついたのは、大学時代の就職活動を終えて社会人になってからだった。

そんな感覚もあって僕は、まず若者たちに「どうあるべきか」を想像してほしいと思っている。前述のケースならば、旅行先で何をするのか、すなわちどう生きるかだ。どうあるか、と表現してもいいのかもしれない。常に誰かの存在を感じていたいのか、ひとりで淡々と何かをつくるのが好きなのか。単純作業が苦にならないのか、はたまた毎日異なる刺激的な日々を過ごしたいのか。そこに具体性はあまり必要ない、むしろ邪魔になる場合もあるだろう。

就活を履き違えて本質をおざなりにした僕は、結局新卒でコピーライターになることは叶わなかったし、なんとか就職を決めてからも苦労した。この人生において何を目指したいのか、まったくもって空っぽだったからだ。この多くの人にとっては遠回りに見える自分を、受容しつつ諦めつつ、今の僕だから思えることを大切にしようとは思っている。

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