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コミュニケーションは争いなのか。

「白か黒で答えろ」という難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている
迷ってるけど
白と黒のその間に無限の色が広がってる
君に似合う色探してやさしい名前をつけたなら
ほら一番きれいな色
今 君に贈るよ

つくづく、Mr.Childrenの『GIFT』は名曲だなあと思う。白と黒の間の、無限の色。大発見、というほど大げさな感覚ではないだろう。ただ、だからこそ、多くの人にとって共感できる、心の支えになりうる歌詞になっているのではないだろうか。

さて。令和になってからだろうか、気づけばコミュニケーションにおけるワードとして「マウンティング」が一般的となったように思う。自分の意見の真っ当さを相手に誇示すること、あるいは一瞬でも見えた相手の欠陥を突くこと。そこには決して負けんとする闘志のようなものが、少なくとも僕には感じられる。今日もSNSでは、一見するとつまらない戦いが繰り広げられているようだ。

ふと思い返すと、僕の家族は令和になるずっと前から、いわば“闘志むき出し”だった。食卓での会話は、マウントの取り合い。というか、うちの父は妻や息子に自分の欠陥を見せることを快く思っていなかったようで、それに呼応するように僕の母もファイティングポーズを見せていた。ちなみに今も実家に帰ればそんな会話が見られ、きっとうちの両親は死ぬまで戦い続けるのだろう。

コミュニケーションは、争いなのだろうか。マウントを取り合い相手の欠陥を突き、「やるかやられるか」なのだろうか。もちろんそんな側面はあれど、僕はそこがメインストリートではないと思っている。もし自分と異なる価値観が感じられても、それを尊重し“ちがい”として認めることはできないのだろうか。「まあそういう考え方もあっていいよね」では、まずいのだろうか。

それぞれの人の“正義”に、たとえ家族であれ他人は立ち入れない。僕は、それこそミスチルの『GIFT』よろしく、“無限の色”を広げられる世界であってほしいと願うのである。


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