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名のない仕事で、世界はまわる。

「名前のない家事」という概念がある。料理や洗濯などと、いわばメジャーな言葉では表せないような作業。たとえば、ゴミ箱の袋を取り替えて大きくひとつにまとめること、また洗面所の排水溝をきれいにすること。それらはひとつの単語でビシッと表現できないものとして、それでも、日常にはかならず必要なものではないかと思う。

僕が委嘱されている地域おこし協力隊では、多くの地域で「活動報告会」が行われる。年に一度、日頃からお世話になっている住民の方々を招待したり、最近ではオンライン配信もしたり、1年間どのような活動をしたのかを伝える場になる。少なくとも僕が2年前に着任してから、ほとんどの近隣地域では見られているし、何なら自分たちも実施している。

たとえば昨年度の僕ならば、そういった“正式な場”ではコミュニティ事業や移住定住促進事業といった、堂々と言い表せることを発表した。そりゃあそうだ、不特定多数の人が見てくれたしプレゼンの時間も限られていたし、比較的わかりやすい内容を伝えるべきである。ただ、僕だけに限らずきっと仕事はそれだけでなく、というかほんとうはほとんどが、うまく言い表せないようなことなのではないかと思う。メールを返信して調整したり、企画書を書いて合意形成したり、同僚のメンバー同士の活動で音頭を取ったり。

それらがあるからこそ、堂々と言い表せるような仕事ができるのではないかと、ふと気がついた。まあ人によって、得手不得手や気になるポイント、キャラクターなどもさまざまで、適材適所で生きるべきだとして。オレがやっているからアイツもやれ、だなんてつまらない主張をするつもりはさらさらないとして。仕事を進めて社会を回すためには、いや仕事に限らず身の回りの世界をまわすためには、「名前のない仕事」を蔑ろにはできないのだと思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。