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よく喋る人見知り。

「人見知り」についてどのようなイメージがあるだろうか。たとえば関係性の浅いコミュニティで過ごしたり、人前に立ったりするとき、その人はとても緊張しているような、遠慮がちで寡黙な印象がある。そして、とあるバラエティ番組の『人見知り芸人』という自虐をはらんだ企画で、ある意味市民権を得た言葉ではないだろうか。その特性の持ち主は、どちらかといえばネガティブな雰囲気を纏っている。

きょう知り合った女性は、明るく元気で、よく喋る人だった。僕はその口数とテンションに押され気味だったが、彼女は「人見知りしますか?わたし人見知りなんですよね〜」と言った。僕はその意外性から不思議に思っていたところ、「だから余計に話しすぎちゃうんです」と意味を明かした。なんだかこれまでの自分が覆るような納得感があって、妙に心地よかった。

たしかに人見知りか否かは、口数で決まるものではないだろう。他人を前にしたときの“装い”というか、“ざわめき”というか。人によって他人からは判別しづらく、あくまで本人の感覚になってしまうのかもしれないが、先ほどまでの僕はその分かれ目を勘違いしていたようだ。よく喋る人見知り、というジャンルがあることに気づかされた。

ちなみに僕は人見知りではなく、すなわちあまり装ったりざわめいたりすることはない。その本質は「他人の目がどれほど気になるか」、あえて言えば「自分をどれだけ愛しているか」だと思っていて、基本的に自分や他人に期待しない僕はもう、遠いあの日にその感覚を失くした。別に人見知りをわるく言いたいわけではない。かつて自分もそうだったからこそ理解を寄せたいし、今回また新たな視点を得られたことをここに記しておきたいと思ったのだ。

いつもいつもありがとうございます〜。