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ライターと小説家のちがい。

小説や脚本を書いている人と、お酒を飲む機会があった。ライターあるいはコピーライターとして「書く」に携わっているものとして、僕は密かにずっと尋ねてみたかったことをぶつけてみた。「物語ってどうやって考えるんですか?」と。

「たとえば気になる飲食店に入ったとしたら、ライターのあなたはとにかく取材をしますよね?メニューを見て味わって、店長にいろいろ訊いて、情報を集める。そして、それが活きるように書く。その世界にグングン“入り込む”ようなニュアンスです。でも、物語はちがって、そこに“佇む”んです。たしかに飲食はするかもしれないけれども、自分は味わうだけ。店内の情景や雰囲気を、感じるだけ。するとそこに、たとえば私の場合は少女が現れて、何かの動作や関係性が動き出すんです。だから私はね、ライターの方を本当に尊敬しています。私は自分勝手な妄想を書くしかないから」

初めて聞く感覚に、感心した。そして、とても納得できる理論だと思った。なるほど、つまりその世界に入り込むか佇むか、あるいは原点を自分以外にするか自分にするか。これがライターと小説家のちがいなのだ。

なんてことを踏まえて、改めて僕は自分をライター気質だと思った。自分以外のヒト・モノ・コトに興味があるし、その魅力を引き出したい。自分の関心や心の変化を頼りに、さまざまなことを尋ねてみたい。そしてそれを、誰かに伝えたい。物語を手掛ける人に敬意を抱きながら、今後もライターとして生きていたいと思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。