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間違わないこと、ではなくて。

先日、問いを深めるオンラインイベントを開催したとき、ゲストがそのときのテーマの言葉を辞書で引いたり、いわゆる一般論を口にしたりしていた。主催でありファシリテーターを務めていた僕は、もっとゲスト個人の言葉を聞きたくて、問いを投げかけることを心がけた。

まじめな性格のゲストだったから、まあ理解できなくはない。それに辞書や一般論から、自分の言葉に展開することだってあるだろう。しかしそのゲストは「間違わないこと」を気にしていたように思う。知見や経験を重ねた自分自身の言葉を避けて、トークを聞いてくれている参加者の方々に、正しい情報を届けようと努めていた。

個人のブランディングとして間違わないことは大切なのかもしれないが、僕は個人的に、それではゲストに呼ぶ意味がないと思っている。辞書や一般論は、検索すればいとも簡単にたどり着ける場所だ。大切なのは間違わないことではなくて、「その人なりの正しいこと」を話す、ということである。少なくともオンラインイベントを主催した僕は、それを求めていた。

たまにゲストとして呼んでもらえることもある。地元の学校での総合学習の講話なんかも、この類に当てはまるだろう。その中で僕は、あくまで自分なりの言葉を大切にしたいと思う。それには当然偏りがあって、とある方向から見たら間違ったあり方にもなるだろう。ただ、誰にだって言えること、調べたら分かることに興味はなくて、自分の言葉を、自分自身を、表現することに価値を感じて生きていたいのだ。

いつもいつもありがとうございます〜。